吉本ばななさんの「小説家としての生き方100箇条」を読んで1ヶ月経った
吉本ばななさんの「小説家としての生き方100箇条」を読んで早1ヶ月。この間を振り返ってみる。読んだ内容そのものはほとんど忘れてしまっていたけれど、唯一繰り返し頭に浮かんだ言葉があった。「自分の周りの小さな空間や愛する人たちとの関係を禅寺のようにきれいに保っておくこと」。この言葉が、ふとした時に頭をよぎる1ヶ月だった。
もちろん物理的なことばかりを意味していない言葉だとは思うのだけれど、精神状態をそのように保つためには、物理的にもきれいになっていないと難しいので、まずは物理的なことから心がけた。これまで、朝、床にクイックルワイパーをかけるのはようやく習慣化できたけれど、床以外の埃などまでは手が回っていなかった。処分してしまったハンディワイパーを買い直し、家具や照明の埃にも少しだけ意識が向くようになった。エアコンフィルターも久しぶりに洗った。衣類整理をし、使ってない肌着や下着を処分。夫の服も古着買取に出した。粗大ごみも申し込んだ。水回りも掃除した。1ヶ月少しずつ、少しずつだけれど、禅寺、禅寺、と思いながら、日々の出来事の合間に取り組んだ。徐々に気持ちの良い空間が広がってきている実感があった。
しかし先週1週間、突発的に仕事が忙しくなり、毎日仕事に追われていると、あっという間にシンクは皿で溢れかえり、夕飯は自炊できず外食やテイクアウト、冷蔵庫の中の肉や魚は期限が切れてしまい、洗濯機は途中不具合があったこともあったが洗濯物が山積み。もちろん床もなかなか掃除できない。わずか1週間でもそんなことがあると、ストレスが溜まる溜まる。疲労困憊、イライラしやすくなり、日々の積み重ねの大事さ、一時的でなく物事を保ち続けることの重要さ、その為に自分のキャパシティや予定の見通しをつけることの大切さなどがしみじみと身に染みた。これでもかというくらい、1週間に密集して突発的な事が起こったので、いや〜わかったよ、私が悪うござんした。ごめんなさい、もう分かりました。降参です、という気持ちに。久しぶりに週末寝込んだ。
何となくで仕事をしすぎちゃあかん。どうしてそんなに、せきたてられるように仕事をしてしまうのか?そこに私の個人的な課題があるなぁと、何度も直面してるはずのことを突きつけられて落ち込みもした。けれど瞑想のおかげで沈みきらずにいられた。ありがとう瞑想。やるべきことは研ぎ澄まさないとならない。
今日は久しぶりに少し時間ができたので、ぐちゃぐちゃの頭の中を整理するために、やることを書き出し、計画を立てたり、少し見通しをつけた。ボーッとしていると、限られた時間で働いているのに、頑張りすぎてくたくたになってしまうので、有り難くも上司から賜った、頑張りすぎない、できる範囲のことをやる、という言葉を胸におさめ、やらないで良いことはやらないのが大事、ということを改めて意識し直した。すぐ忘れちゃうのだけれど。。でも、整理できたので久々にnoteも書けた。整理してみたらやる事はそこまで多すぎはしない。頭の中が散らかっていただけだ。小さくバンザイ。