ケンカをしては…いけないの?
親はいつから親になるのだろう。
命はどこから来るのだろう。
親とはどのような存在なのか、
子供とはどのような存在なのか。
親とはどうあるべきなのか、
子とはどうあるべきなのか。
親としてどう在りたいのか、
子としてどう在りたいのか。
混沌とした世界でおやこのみちを考える親子道を提唱しています。
はじめましての方もふたたびの方も
お立ち寄りいただきありがとうございます♪
ここからのお話がますます楽しい親子関係への
何らかの氣づきのきっかけと成ることができたなら幸いです。
世界にたった一人しかいない私。
世界にたった一人しかいないあなた。
世界にたった一人しかいない父。
世界にたった一人しかいない母。
世界にたった一人しかいない………
世界に人間は沢山いるけれど、
同じ人は一人として存在しない。
たとえ、クローン技術で自分の分身ができたとしても、それはもう同じではないと思うのです。常に一緒にいたとしても…少しずつ違いが生じて来てしまう…。
違うということは、見える世界が違うということ。性格も、感性も、大切にしたいことも、多種多様な価値観が、似ていていたり正反対だったりするということ。
皆、自分のおもいを大切にしたい。
だからぶつかる…。
ちがいに出逢うと「ちがうよ」と言いたくなる。
近くにいればなおのこと言いたくなる。
相手を守りたいと思えば思うほど
自分を守りたいと思えば思うほど
その気持ちは強くなる。
「それ違うよ。こっちの方がいいよ。」
言われた方はといえば、
もちろん素直に「そうだね。ありがとう。こっちの方がいいね。」となることもある。
「えー。そっかあ。どっちもどっちで迷っちゃう。」となることも。
問題なのが、「違わないよね。これでいいんだよ。そっちが間違ってる。」というパターン。
冷静に話せているうちはいいけれど、自分の考えの方が正しいんだと、より良いはずだと、思いが強くなれば強くなるほど口調も強くなり、ケンカに発展してしまう。
意見の違い。ものの見方の違い。
多くの喧嘩の原因になっているのはこれら価値観の違い。すなわち、同じ人が二人といないからこそ起こること。誰にだって、誰とだって起こりうること。
だからこそ大切なことは仲直り。
声を荒らげてしまったこと。…冷静になって気づくことがあったなら。
対等な立場での仲直りが大切になってくる。
自分にしか理解できないことがあるし、相手も同じ。それぞれわかり会えない部分が残るのは当然のこと。意見を同じにすることはできないし、違っていてもいいと思うのです。歩み寄れるところがあれば歩み寄ればいい。互いの納得できるポイントを探ればいい。
とにかく仲直りをすることが大事です。
もちろんケンカはしないほうがいい。でも…時には仕方のないこともある。ケンカを世界からなくすことはできない。
だとするならば、ケンカした後がだいじ。
「仲直り」仲直りができれば、喧嘩する前よりもまた一つ互いをわかりあえる絆が結ばれるように思うのです…。
あなたは仲直り…得意ですか?
私は苦手でした。少しは大人になれたかなって思う頃から仲直りへの苦手意識が自然と消えていきました。
日々成長です。
最後までお読みくださりありがとうございますm(_ _)m。お読みいただいた皆様に、しあわせな出来事が雪崩のごとく舞い込みますように…。