親子喧嘩は犬も食わない?
親はいつから親になるのだろう。
命はどこから来るのだろう。
親とはどのような存在なのか、
子供とはどのような存在なのか。
親とはどうあるべきなのか、
子とはどうあるべきなのか。
親としてどう在りたいのか、
混沌とした世界でおやこのみちを考える親子道を提唱しています。
はじめましての方もふたたびの方も
お立ち寄りいただきありがとうございます♪
親子はよく喧嘩をします。
親子喧嘩は夫婦喧嘩に似て犬も食わないものです。大抵の場合、喉元を過ぎればケロッと自然に仲直りできてしまいます。
これってとっても大事なことだと思うのです。
意見の相違、ちょっとしたこだわりの相違、言葉の意味あいの違いなどなど、ちょっとした違いから始まり、伝わらないもどかしさや理解されていないんじゃないかという感覚から口調が強くなったり、返事をしなかったり、不満やモンクを言ったり。時には言いすぎてしまったり、心にもないことまで付け加えてしまったりすることもあるかもしれません。
でも、最後には仲直りをして、喧嘩してしまったことを許して水に流す。これがすごく大事だと思うのです。
どんなに喧嘩しても、根底に互いへの愛があって大切にしたい存在だと思い合っているからこそ、信じているからこそ許せたり、許そうと努める事ができるのだと思うのです。
互いに主張しすぎたり言い過ぎたりしたときには言った方も後悔や気まずさを思ってはいるものの意地になってしまって素直になれなかったりします。わかってほしいという気持ちが強ければ強いほどその傾向はあるんじゃないかと…。
だからこそ許しましょう。喧嘩してしまった相手のこと。言い過ぎた自分。わかってくれない相手。素直になれない自分…全部許して水に流しましょう。
不思議なことですが、放たれた言葉は消せないけれど水に流すことはできるのです。水にはすべてを溶かし込む能力があります。水はあらゆるものを浄化する力があります。それは、実在の水もイメージした水も同じです。
許せば緩みます。緩めば余裕が生まれます。余裕が生まれれば相手を理解したり、自分の言動を冷静に省みることもできます。
悲しい結末ではなく、「互いに言いたいこと言っったけど結果、今まで以上に分かり合えたね」とそういう結末が増えるといいなあ。