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🕊️正解?不正解?🐦
世界中全ての人に、
だれ一人、例外なく、
両親がいます。
好きでもきらいでも。
生きていてもいなくても。
そばにいてもいなくても。
必ずいる…。
両親がいたから今の命がここに在る。
自分のことを好きでもきらいでも。
両親のことを好きでもきらいでも。
一人一人の命は、過去からつながれてきた大切な存在で…。
すべての命が、もれなく大切な存在…。
「こどもとして生きる」
あなたも私も、誰かのこども。
この世のすべてが皆、誰かのこども。
こどもとしてどう在りたいか?
考えたことありますか?
私は私の命を大切にしているだろうか…。
命を大切にするってどういうことだろう。
正解のない問いがあふれるこの世界。
社会人になるまでは、正解のある問いがあふれていた。正しいかまちがっているか、正解の数を数えて点数をつけていた世界。
点数が多ければ親は喜んだ。
点数が少なければ、「親にがっかりされてしまうかも」と勝手に思いこんだ。
そおして、ちょっとでも残念そうな表情をみつけては、「やっぱりね」と確信にかえていった。
同じ位かそれ以上に、はげましの笑顔をくれていたであろうことは気にとめず…。
そう考えると…
自分の思い込みと、親の笑顔が基準だった。
定期的に行われるテストで
点数がいい=親の笑顔とほめられる
これをくり返すうちに
いつしか
点数が高い=価値がある
点数がひくい=価値がない
と勝手に思いこんでしまっていた気がする。
そう。
みずから勝手な思い込みを作ってた…
それは…私だけだろうか?
勝手な思い込みで作ってしまった基準…
今こそ自分に聞いてみる。
その基準は本当に必要ですか?
生き方に点数はつけられない