いい人?悪い人?
親はいつから親になるのだろう。
命はどこから来るのだろう。
親とはどのような存在なのか、
子供とはどのような存在なのか。
親とはどうあるべきなのか、
子とはどうあるべきなのか。
親としてどう在りたいのか、
子としてどう在りたいのか。
混沌とした世界でおやこのみちを考える親子道を提唱しています。
はじめましての方もふたたびの方も
お立ち寄りいただきありがとうございます♪
ここからのお話がますます楽しい親子関係への
何らかの氣づきのきっかけと成ることができたなら幸いです。
『赤ちゃんは神様からの授かりもので、産まれながらの悪い人はいない。』
昔から伝わる言葉の1つで先人から語り継がれている思想です。
赤ちゃん(あなたが生み出したもの)は生み出された瞬間に一生分の幸せをもたらすともいわれています。ホンマカイナ…
突っ込みたい私がいます。
ずっと自分の中で育てあたためていたものを、痛みと相当なパワーをついやして産み出す。それは、大変であれば大変であるほど生まれた瞬間のよろこびは大きくなると思うのです。タシカニ…
簡単に作れるものと難しいもの。出来上がったときの達成感は…うん。確かに、難しいもののときの方が大きく感じます。
「産まれた〜」嬉しい達成感。でも、これは終わりでなくて始まり。自分の内側で、あたためて守っているうちは自分の一部だったものが、産まれ出た瞬間に切り離されて、自分とは全く別の独立した存在になる。
自分とは全く別の…。
赤ちゃんは誰かがお世話をしてくれないと育つことは出来ません。例外なく、今生きている全ての人が、誰かのお世話になって生き延びました。
私もあなたも、誰かのお世話になって、生きのびている。今もそれはかわらない。誰かが作ってくれた野菜を食べているし、誰かが作ってくれた洋服を着ているし、誰かが作ってくれた発電システムから作られた電気を沢山使っているわけです。電気のない生活は、不便極まりなく、現実的ではないと思うのです。
直接お世話をしてくれた家族、隣近所のおじさんおばさん。名も知らないたくさんの人々…。沢山の人と関わりながら赤ちゃんは大きくなります。関わりの中で、たくさんの価値観を身につけていくことになります。みえるものから、聞いたことから、体験したことから…人と比べたり比べられたり、決めつけたり決めつけられたりしながら。そして、たくさんの価値観の中に埋もれて、忘れてしまうことがある…沢山の人に支えられて守られて成長できたのだということを…。
人間は「間違える」という特権を与えられています。ちょっとした間違いや思い違いから事件は始まります。ささいな間違いが、大きな誤解となり、取り返しのつかない結果をうむことがあります。根底にあるのは『さみしさ』『孤独感』。
自分は理解されないんだ
自分は認められていないんだ
自分は愛されてないんだ
自分は必要とされていないんだ…
ない、ない、ない、ないジゴク。
そして、満たされない思いが間違いを起こさせる。時には悪意を産み出す原動力になる。
そう。さみしさが、満たされない思いが、さらなる大きな間違いを起こさせる。
『このよに生まれながらの悪い人はいないんだよ。こころが満たされない、さみしさでいっぱいになってしまった人がいるだけなんだよ』
ひでじいの言葉が響きます。
さみしさでこころがいっぱいになった人が、大きな間違いを起こすのなら、さみしさをゼロにはできなくても、そのさみしさを減らすことが出来たのなら、悲しい事件が減るのかもしれない。と、思うのです。
そのために思い出してほしいことがあります。
あなたはひとりで大きくなったっわけではなく、沢山の人に支えられて、見えない力に守られて、お陰様のお力添えで、お天道様(太陽)に見守られて今に至っているということ。生きているだけで、誰かの役にたっているかもしれないということ。それは、どんな人も例外なく。温かい気持ちで満たされている人もさみしい気持ちで満たされている人も。みんな程度の違いはあっても同じなのです。
あなたも私もみんなも。自然の力に守られて生かされている。そして誰かの役に立っている。
…のかもしれない。