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支援の輪の中にいること

ミャンマーのヤンゴンでクーデターを経験し、帰国して1年が経とうとしている。ミャンマーをいつか旅することはあっても、暮らすことは、しばらくないだろうなと諦めている。

兄姉弟で始めたヤンゴンかるたプロジェクトは、たくさんの方との出会いに支えられ継続している。これからも、年代、国籍、さまざまなボーダーを超えた活動を広げたいし、私にできることは手伝うつもりだ。

娘がこういう活動をしていると、「意識が高い」とか、「ご両親もさぞ国際貢献や教育に熱心なんだろう」とか「どんな子育てをしているんですか」と言われることがある。

みなさんご存知の通り、両親は国際貢献に疎いし、私は英語も話せないし、教育にも決して熱心ではない。長男は発達障害だし、娘は意識高くもないオタクで、日本に帰国したら一番行きたい場所は「コミケ(コミックマーケット)」だった。次男は姉のプロジェクトの間、しっかり家でゲームしてお留守番をしている。
私も常に「子供が苦手だから子育てやめました」と言っているだけに、恥ずかしく、返す言葉もない。

私は20年前から、変わらずワンオペを継続している。障害のある長男を含む3人の子育ては私の能力を超えていて、いつも生きることより死ぬことを考えていた。夜になると疲れ果て、子どもを殺して自分も死ぬんだと思い、何度もシュミレーションをした。長男は勢いで殺せたとして、3人殺して自分も死ぬ・・・。大抵の場合そこまでの体力が残っていない、今日はもう寝ようと思う。ある意味、体力も気力も残っていなかったから、今も生きている。

そして小学校の校長先生から「こういう子供が将来犯罪者になる」と言われて、いよいよ将来を悲観し、長男に「ママと一緒に死のう」と言った時、「死にたいならママ一人死んで。僕は生きて、将来役に立つ人になる」と言われた。たった7歳で、人生のほとんどを否定されて生きている息子の言葉で目が覚めた。そして何がなんでも生きると決めた。

でも自分一人では、本当にどうにもならなくて、助けを求め始めた。そもそも人付き合いが上手じゃないから、最初は負担だった。支援の独特なコミュニティは、さまざまな考え方の人が集まっていて、むしろ気疲れもした。

でも、「助けて、助けて」「私は〇〇で困ってる」と声を出すことで、徐々に人が集まってきてくれる。身近に協力者がいなくても、探せば色々な場所に同じような気持ちを持つ人がいる。

支援の輪の中にいるということは、自分も守られるということだと思う。

先日、ミャンマー支援のイベントを開催し、準備を手伝った。
勉強も大変だし、プロジェクトはお金もかかるし、同世代と遊ぶ時間もない。絶対見たかった映画もいつの間にか終わっていた・・・そんな娘の毎日を見ていると、時々笑っちゃうほど忙しくて大変だなと思う。

でも、ミャンマーという国を通してつながった人々は、みなさんとても温かで、一緒にいると優しい気持ちになれる。そして娘が疲れて倒れそうになる頃に、「頑張ってる?投稿いつも見てるよ」とLINEが来たりする。こんなに素敵な人々に囲まれていることに安心する。この場所にいたら、きっと、困った時「助けて」が言いやすい。

こうして人と繋がる経験を積み重ねた娘は、きっとこれから一人でも、人とのつながりを作っていけると思う。その過程を見ることができ、共有できたことが、私はとても嬉しい。まだ娘は16歳。今だから一緒にできることなのかなと思う。教えてあげることはできないから、時には後方支援し、一緒に学び成長したいと思う。

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来週は、娘が期末試験。代わりに荷物に宛名を貼って、配送に行く。
支援のためとか、娘のためじゃなく、私のため。これまで助けてくださった方に感謝をお返ししていくこと、そして新しい出会いのため。