凡才たちのパレード(ショートショート)

思い出の破片探してます。それが、普遍的な毎日です。ちょっとだけうつつになりがちなのは頭のせいなんだと思う。
私は芸術的な作品になりたくて、アーティストチックな考えに浸りたくて、凡才のかけらをあつめて、文章にしている。
自分の中では、クソ駄作に感じて、はずかしいけど、頭の中の全ての表現かき集めて、つめこんでいる。
小説のルールなんて、全部無視して、書きたいものを詰め込んでいる暴力てきなものだ。
ルールなんて忘れてしまった。何が正解なのか全くわからない。
今やってることは、つまり、凡才のパレードと、表現するのが、妥当ではないだろうか。
何者かになりたいという願望、答えのない意味を見つけるために爪痕を残している悲しい生き物にすぎない。
輝くプロの眩い光追い求めて、まねごとをして、支持を集めようとする。
狂っていやがると、その不甲斐なさを、酒飲んで忘れることももうできやしないのか。
家で静かに踊り狂って、酒飲んで酔っ払って寝込んだほうが清々しくていいんじゃない。
いろんな色敷き詰めた、輝きを求めてスマホに夢中となって、深夜まで起きてしまったおかげで、頭の中騒がしくなって、日勤の肉体労働している時も鳴り止まないうつつとなって、あらわれた。
ありとあらゆるものの思考が、人間の勝手だと気づいた時に、人間の自己中に心酔してしまうのだろう。
汚染水流した海で釣り上げた魚を、水道水で洗って、味付けて、焼いて、煮て、やりたい放題の大騒ぎで、自己満足満たされないとやっていけない心境になっては、騒ぎ出す。
芯は硬いから、皮は食べられません。骨は硬いから食べられないので捨てましょう。
嫌いなものを、無理食べる必要はありません捨てましょう。
全ての命に、感謝しますいただきます。
あんたらの、食事になるために、命もらいました。勝手な都合で捨てられてもかまいやしませんと、きっと食材たちは、囁いていると麻痺して都合良く解釈して、いただいている。
魚はそれで嬉しいなんて、理論は無駄で、人間たちが満足しないとダメで、理不尽なことが起これば、不満であって、満たされないとダメで、わがまま言ってないと生きたここちがしなくて、そっけがないから、何かやろうとする。
そんなことを、何の考えもなく平気でやり過ごしてる凡才たちが、自分を満たすために昇華させるために、ネットというプラットホームに投稿していくその姿は、まるで、凡才たちのパレードであって、美しいものだ。
始めようか楽しい哀れで、美しいパレードを、自分の自己満足に付き合ってくれる友をフォロワーと呼んで、舞い上がって、滑稽に振る舞って、合わないのなら、さよならしましょう。
うっとしく正論をいって、優越感に浸りたいだけの、私の陳列された文章に、お楽しみいただけたのなら、満足です。
私の欲求は満たされましたが、まだまだパレードは、進行するつもりであって、終わらないようです。
朝は眠くて、昼は忙しく夜が安泰で、それが嬉しくて、文章かいている…………。

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