吐き留めの唾(私小説)

口の中に入ってるガムを、噛んで、甘味料の味を流し込む。
なんのために、ガムを噛んでいるのだろうかと噛み続ける動作に疑問なんて感じてはいけない。
そう、朝起きて、歯磨きをして、学校へと行く平日の習慣のように、この繰り返すだけの時間に疑問を持ってはならない。
そして、いつか口にあるガムをぺっと吐き出して、すっきりする日まで、呑み込まずに噛み続けることに嫌気をさしてはならない。
そう、卒業する日まで、わざわざ遠くから電車や自転車で、学校にやってきて、授業中にいねむりをして、お金を捨てていたことに気づいてはならない。

私が中学生だった頃の朝は騒がしかった。もう学生を卒業してしまったから、グラウンドの土の匂いを嗅ぐことももうないだろう。
夜、夜更かししてしまうせいで、朝がなかなか起きれず、機嫌の悪い母親に、起こされて、半分寝ている状態でよく起きていた。
朝飯なんかくっていたら、遅刻するので、朝は何も食べずに登校した。
すると、母が、呑気に「朝食べなさい」と言ってくるので逃げる感じで、家を出て、中学まで向かった。
そして、自転車のカゴにガバンを入れるのだが、時間割を毎日合わせるのが邪魔くさかったので、パンパンの鞄を突っ込んでいた。
当初は、クラブなんてする気などなかったので、パンパンの重い鞄をカゴに入れて、通学していたら、ちょっとは筋肉はつくだろうと思っていたので、時間割をちゃんと合わせようとせず、「カバンが入らない、中学校の教科書は大きいから」と母に言って、大きなカゴを買ってもらって、自転車修理屋さんにつけてもらった自転車を使っている。
そんな自転車で通学をして、異様な空気を漂わせることにした。
クラスの中には、暴れ馬みないな奴しかいなかったので、あんまし関わりたくなかったが、自転車は目立った。
自転車が倒れていることもあったが、そこまで他の生徒に注目されることなく生活していた。
中学校は、基本暇人間の溜まり場なので、休み時間は元気に走り回ってるやつやプロレスごっこしてるやつ後は、のんびりしてるやつがいる。
そして、おもちゃを探すものが現れる。
学校の休み時間という無法地帯には、そういう輩がふらっと現れて獲物を探しているのだ。
その無法地帯を整備する先生たちは、躍起にとられている。
ある日の休み時間に、私のクラスにもおもちゃ探しが、やってきた。
おもちゃ探しというのは、素朴な顔をしており、教室に紛れていても、気づかない奴に多いい
おもちゃ探しは、私を探しにやってきた。
全く面倒くさいことで、だるいという気分にしかならない。
おもちゃ探しに、こちょこちょを、されて思わず笑ってしまったことがきっかけで、連行されることになった。
おもちゃ探しについていくと、丁寧に机を並べて、作った台がある場所についた。
私が逃げようとすると、体格のいい奴に抱えられて、台の上に乗せられて、こちょこちょをされる。
敏感に反応する体質のせいで、笑ってしまった。
頭の中では、ずっと笑っちゃいけないという言葉が、ぐるぐると渦を巻いているというのに、抵抗できなかった。
その日の夜、私は、絶対に笑わないように我慢すると誓い家を出て、学校に行った。
次の日学校に登校すると教室で女たちが会話しているのを、みて笑ったら、なんで笑っているのですかという感じの目つきで睨んできて、戸惑いびっくりした。
私は「話が面白かったから笑った」とぼそっと言った。
すると女たちは、勝手に会話を盗み聞きされたと思ったらしいが、私は女たちのボリュームが大きすぎて、耳くそが入ってる状態であっても、聞こえてきたので、反応してしまったのだ。
私が笑った姿を見て、周りの男子たちは、「あんなので、笑うん」と口々につぶやいていた。
たしかに、この頃の私は女特有の感性を持っていたのかもしれないなと少し思った。
この日もおもちゃ探しはやってきたまったく災難な奴らである。
こちょこちょをして、私が笑う様を見たいがために人が集まる闇というかもう病んでいるとしか思えない教室へと行く、途中でにげてしまえばいいものを、笑わないと決めたから、いけるという付け焼き刃の自信で、つき動いてしまった。
案の定、笑ってしまったのだが、これで身の程を知り、迷わず逃げれるようになった。
そっから、逃げれるようになったので、もうあんなやばいところに行くことも無くなり、平和に暮らしていた。
その頃の私は帰宅部をしており、クラブなんてしたくなく、速攻で家に帰っていた。
そんな家に帰りたい私を、母は、心配して、クラブや塾を勧めてきた。
もう一年生の終わりの季節だったので、「もう遅いから」と言って、断っていたのだが、聞いてもらえず、クラブ体験をすることになった。
母がずかずかと入ってきて、先生たちに連絡をして、最初は、陸上部を見学することになった。
小学校の時から馬の合わない人がいて、あてもなくただ走る姿を見て絶対嫌だと思った。
それだったら、まだ球を追いかけている方がいいと思いテニス部に入部した。
テニス部の顧問は、すごい形相をしており、殺気だったオーラを感じて、怖かった。
そして、ウォーミングアップとかじゃなくて、急に前衛の練習をさせられて、後ろに先輩がついてくれた。
そして、たしか3球目くらいに顔面ににボールが当たって、痒くて泣いた。
すると、顧問の先生は、「泣くな、泣くな」と感情なんてものは、押し殺せと指示してくる。
この日は冬の季節だったため、ボールの球が冷えてて、顔にあたると痒いのだ。
泣きながらやって、嫌だ行きたくないと思いながらも、行かなきゃと思って、クラブに行った。
それから、ウォーミングアップをしたり、逆立ちをしたりやって、練習にも参加した。
ラリーが苦手すぎたため、相手にしてくれる人がいなくて、自分で壁に球撃ちをして練習した。
受験があるから、塾に通うようにもなって、クラブしてから、塾という生活を送るようになった。
塾にいったが、実習が主で、眠たすぎて、ほとんどを寝て過ごした記憶がある。
そんな生活を、卒業まで、クラブと塾に行った意味は何かあると思いながらすごした………
きっと卒業してから、意味なんてなかったと、気づくことができる。










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