Boundary(自と他の境界について)
境界を侵犯された過去を持つ人は、自他の境界についてあいまいになる
こんにちは。あおいたこです。
久しぶりにnoteを開いてこの記事を書いております。いつぶりなのか。
最近思うこの自他のバウンダリー、境界について、今日は少し書いておこうと思います。
境界というものは自分自身の周りにある、他人に入ってきてほしくないバリアみたいなイメージです。パーソナルスペースと似ていますが、パーソナルスペースは物理的ですね。
たとえば個人的な感情や情報、他人と関わるうえで踏み越えてほしくない、自分が「嫌だな」と思うラインのことです。
これらを幼い頃から侵害されてしまうと、大人になっても
・自分の境界がわからず、他人の侵犯を許してしまう
・自らプライベートなことを話過ぎてしまう
・他人の境界を何も考えずに踏み越えてしまう
ということが起こり、人間関係に問題が生じることが多々あります。
これらは境界がきちんと成されている人であるならば、起こりえないことです。
周りの人で「あ、あの人のことかな」という知り合いが思い浮かぶ人はいることでしょう。
かくいう私は母親に境界を侵犯され続けた結果、だいぶ長いことこの境界があいまいになっておりました。
とはいえ、今は少しマシになっているはずです。(たぶん)
境界があいまいであると困ること
バウンダリーが成されていないとこんな困ることが出てきます。
・嫌なことに嫌と言えない(起こっているそのときに嫌と気づけない)
・手伝ってほしいときにきちんと協力を要請できない
(他人の親切を申し訳ないと思い、断ってしまう等)
・相手が嫌と言っているのにそんなはずはないと踏みにじってしまう
(相手に要求を無理やりのませる等)
こういった事象がみられたら、境界があいまいであると思われます。
他人と自分の境界がきちんと成されていないと、自分も困ることが多く、相手も困ることが増えて本当に生きづらくなってしまいます。
仲間がなかなかできず、一人きりになることが多い、なんてことにもつながります。(友達がいたとしても、孤独感を感じる、なんてこともあります)
とりあえずここまで書いて途中ですが切り上げておきます。
読んでくださってありがとうございます。