おなえどしが銀河鉄道に乗る場合
「あなたの推しはどの宮沢賢治作品(の登場人物)?」
という設問を思い付いて、気に入っている。この世の全てのオタクに回答して欲しい。無限に読んでいたいので。
勝くんは本人曰く、よだか。
……自称がよだかなの本当に好きだなあ。噛み締め。
(個人的には、『十力の金剛石』でコウ王子とハチドリに連れられてワクワク原っぱに出かけていって、生命や草花の宝石のようなさまに素直に胸を打たれて、草露に膝をついているのが見たいな。二人とも感性がすごく優しくて柔らかいから似合うんじゃないかなと思う。
献身ぶりはグスコーブドリっぽさもある。これはちょっと心配。……もっと良いのがある気がするので、よかったらご意見下さいね。)
閑話休題
おなえは同じ便の銀河鉄道に乗れる
最新のものだと、心理テストのコラボ配信を見ましたか?
すごく良かった。心理テストをやるだけだからお互いに弄り合うしかないんだけれど、それが3人ともやさしい。決して傷付けないし、お互いにあなたはこういうところがあるよね、と投げかけるときの敬意や理解の眼差しがあたたかい。あんなに安心して観ていられるコラボ雑談もそうない。おなえは精神衛生上良い。いつかガンにも効くようになる。
おなえどし組、聡くてシャイで優しい3人だなあと思います。あらゆる神さまや善意に守られていて欲しい。
『銀河鉄道の夜』
優しさや成熟や誠実さがすこしでもズレていたら、きっとジョバンニとカムパネルラは同じ便の銀河鉄道には乗れなかったと思う。
お祭にゆかずに働いてお母さんの牛乳をとりにいくジョバンニ。ザネリを救うために川へ飛び込み、命を落としたカムパネルラ。その時その場所でそれをした、というゲームのフラグ的なことではなく、徳の高さのような本質が同じじゃないですか?
途中で乗り合わせた、船を譲った兄弟もそう。みんなりんご(命を代償にいいことをしたご褒美)をもらえる子供たちです。
祭の夜にすれ違ったとき、遠くなってしまった関係性をいちど決定的に思い知らされてからの、銀河鉄道というコントラストが美しい。それをすると、透度がとんでもないことになってしまう……なっています……。
学校集団では距離のある関係になってしまったけれど、根のところでは昔のまま、一番大切なところが同じだった二人。もう二度と会えなくなってしまった親友と、だから誰より近しい魂をしていたねと、あの崇高さを形見に育ってゆくのかなと思うと泣けてしまう。
あるいは夜空や列車を見る度に反芻したのかな。魂にあんなに貴い背骨を遺してゆく友情が好きです。
おなえはその匂いがすると思っていて(唐突)
りんごの香り、夜汽車の香り、かすかな死の香りなんですけど。
劇場型配信に垣間見えるOD組のストーリーは、平静ののどかで年相応なはしゃぎ方とは裏腹に、あんなふうに押し付けがましくない柔らかな関係性はちぎられてしまうような絶対的な拒絶と別離の影が落ちています。
中学生で学校まで違う、やさしい縋りあうような気持ち一つで集まっていた(ように思える)彼らを、運命はいとも容易く散り散りにしてしまいました。
そして結び直される、あまりにも失われた形で。
ジョバンニとカムパネルラの配役を当てはめられるとは思わないけれど、ものすごーく強いていえばウヅコウがジョバンニなのかな。この世界に一人置いてゆかれたから。助からなかった霞ちゃんと助けられなかった勝くん、私達の知っている二人はもう同じ地平に足を着けることはなくて。
電子の夢を天上とすれば、二人はカムパネルラあるいは船の子供たち。
かつての記憶を引き継いだふたりと、コネクトオン!して遊びに来ているであろうコウ。両方を観測してるウヅコウ、つらすぎないか…?コウ……。
2434システムという電子の夢の中で、刹那的に思い出を紡いでゆく3人。
それって、ちょっと銀河鉄道の旅を続けているみたいじゃないですか? そこには生が繋ぎ止められている、生と死の境目で、きっと想いやら魂の重さやらで曖昧に儚く成立している空間で。
年相応にジョナゼリアで心理テストに興じる3人が、なんとも儚い。大人しめのバカをやってる(かわいい 基本的に育ちのいい子たちなので)賑やかさと比例するように切ない。死ぬ前や生まれる前に見ている、いっとう眩しいあたたかな夢みたいだなと感じてしまう。電子の海に守られた子供たち、どうかいつまでも健やかでね。
じゃなかった!思ったより銀河鉄道とストーリーに親和性があったので話がズレてしまった!けど!
おなえの子たちのシャイな優しさというか、抱いている優しさの温度の近しさがジョバンニとカムパネルラのように同じボックス席で目覚められるような種のものだよな、やっぱおなえどし組は最高だな……!という、いつものオタクの強めの幻覚の話でした。いつか誰かに分かると言ってほしい。
誰かのために手を差し伸べられる者のための、優しいりんごの香り。乾いた夜の空気、浮き足立って見知らぬ匂いが不思議と嫌じゃない、すこし孤独な旅の途中の汽車の(あるいは公園の)香り。いつか乾いた涙の匂い。みたいなね?(突然のポエム)おなえって、夏の終わりのあらゆるものだとか、そういうさびしくて鋭くてうんと透明なものが似合いますよね。そういうね。(?)
平和なおなえも見たいね。
注文の多い料理店に入って、だって書いてあるしって律儀に守ってる騙される勝くん、ほわ~っと怪しがったり呆れて窘めたりする霞ちゃん、クリームを勝手に食べたりばかをやり(他2人は呆れつつ和む)、店主についてつらつら考察し出して鋭く勘づく卯月コウ。
3人で猫をぎゃふんと言わせて、わ~~!って逃げ延びてほしい。卯月家のつよつよ自家用ヘリコプターがお迎えにきて、ボロッとしちゃってるのをバスタオルで包まれながらぴゃーぴゃー言い合ってて欲しい。
最後は正直けっこう面白かったよなって笑い合って欲しい。おなえ。
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追記(2020.10.15)
この記事を書いておいてよかった。同じ気持ちでは書けなかったろうから。
いよいよジョバンニとカムパネルラになってしまったなあと心の隅で思ってしまう。電車を降りても、同じあの夜を過ごしたのなら、その過去はどんな今にも塗りつぶされない永遠です。彼女たちのままで綴じられたおなえを、私たちは読み返し、繰り返し書いてゆくことでしょう。本を手にとれば何度でも銀河鉄道の夜が再現されるのと同じように。霞ちゃんもおなえも最後まで物語だったな。
最後にもう一度だけ花火をしてくれて、おなえどしを大切にしてくれて有り難う。
最後まで見届けさせてね。