八重桜の好きだった母の葬式のテーマは桜、桜のお棺に喪主花は八重桜
今日、金スマでX・JAPANのYOSHIKIの壮絶な過去を知った。お父さんが、自殺、そしてバンドのメンバーが二人も亡くなった。大切な人を失うということは、本当に辛く悲しいことだ。亡くなったことが突然だったり、理由がわからなければ、さらに悲しみは深い。
最近つくづく、
喧嘩なんかしている場合ではないと思う。大切な人は、いつ何時、突然いなくなってしまうとも限らないと思うからだ。
私の母は、人生無遅刻無欠勤で、大きな病気ひとつする気配もなく、少々疲れていても、会社を休んだり、遅刻したりすることはなかった。小学校にも、1時間ほど歩いて通っていたらしい。9人兄弟の上から数えて八番目に生まれたから、八つ重ねて八重子という名前になったらしい。
そういうこともあって、八重桜の好きな人であった。でも、本当に好きなのは、葉っぱの赤い山桜。そこだけ雪が降ったように、春浅い芽吹き始めた藪の中に、コブシの花が咲き、それと咲き移るようにして、山桜が咲き始める季節を親子で好んだ。母は、いつまでも、長生きするものだと勝手に信じ込んでいたから、普段から、労るというよりは、ストレス解消の対象として、時にはひどいことを言ったりしても、照れ臭くて、優しい言葉をかけるような日常ではなかった。
亡くなる前の年の春、今から考えると、ちょうど亡くなる一年ほど前、首が痛くて眠れないと言っていた。首だからと、大したことはないと思っていたら、あとでわかることであるが、それが骨転移による痛みだった。振り返ってみると、数年前から、独特の口臭があり、サービス業なのにと、口臭の管理もできないのかとばかり、よく喧嘩していたが、これも当時は知らなかったが、「大腸ガンの兆候だった」とあとで知った。
そのうち落ち着いたら、親孝行をゆっくりしてあげようと思っていたが、それをすることなく、あっけなく逝ってしまった。
刻々と芽吹く山の緑が日々移ろい、瞬きしてる間に山桜の季節が終わってしまうような儚い春が、急ぎ足で、駆け抜けて夏になるように、あっという間に亡くなった。しかも父が亡くなって、3ヶ月後のことだった。しばらくは泣き暮らした。母のことを話題にすると、泣きそうになるので、誰にも触れてほしくなかった。
できる時に、思い立った時に、大切な人にいつも「ありがとう」を言って欲しい。感謝の気持ちをその場できちんと伝えて欲しい。
今、自粛で家族と居られる幸せを噛み締めて欲しい。与えられている時間は、限りなく貴重で、かけがえのないものだということを忘れないように。家族との時間は、毎日が記念日。コロナがそれを今、与えてくれています。
こんな時だから、家族を堪能しよう。
レイガーデンで桜の宴を開催する予定だったから、親しくしている花屋さんが、大量の桜を準備されていたので、それを喪主花にして、おかんの中を桜の花で埋め尽くした。時間がないから、葬式を結婚式のように作り込んであげることはできなかったが、桜がテーマのお葬式となった。
家族の記念日は、家族の存在に心から感謝をする日、それは、誰かの誕生日や何かの記念日でも、七五三でも、成人式でも同じ。
結婚式は誰のために、なんのために行うのか、家族のためにと即答する人が最近少ないように感じる。結婚式を自己実現の場所だという視点だけより、自分たちが、お世話になった人に対するおもてなしの主役だという視点にたつと、結婚式はさらに特別なものに変わる。