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ハートが正しい、ではなかった。

マインドよりもハートで。

昨今よく見聞することかもしれません。

特にスピリチュアルな世界では。

だから何となく、精神や頭(で考えること)は良くなくて、心(感じること)が正しい、みたいに思っていた。

もちろん、この世で人間が生きいくには思考も必要だとは思っていましたが。何も考えないのも危険があるので。
(シルバーバーチだって「理性を使いなさい」って言ってるし)

しかし、ジェーンアン・ダウの『クリスタル・ジャーニー』という本で「フローライト」(ほたる石)の項目を読んでいて、そうではないことにやっと気づいた。
前から何度か読んでいたページのはずなのに、やっと。

ジェーンアン・ダウ自身が精神(マインド)の人だったのでしょう。
彼女は当初、精神というのは、より高い意識に拡大していくためには障害となるものだと思っていた。
でもやがて、宇宙的な精神(ユニヴァーサル・マインド)は重要なもので、「精神的な局面は私たち自身の非常に高貴な部分であり、人間の精神は存在世界のかなめとなるものだ」(289ページ)ということを理解した。

<クライアントのなかには、その世界に対する姿勢が最初からメンタル(精神的)な人たちがいますが、彼らはかつての私のように混乱している、ということがわかるようになりました。彼らはひっきりなしに、おまえは愛情深くはないし感情の表現力もない、ものを考えすぎるしなにもかも精神的なものにしてしまう、と言われてきました。>

ジェーンアン・ダウもそういう体験があったのでしょう。
そう思うと励みになります。自分を肯定的に捉えられる。

<私は世界を知覚するには二つの異なったやり方ーーー精神を通してのものと、ハートを通してのものーーーがあることに気がつきました。自らを閉ざして表現を許さないのがハートであるとしたら、それは少しも間違ったことではないのです。頭脳(マインド)とハートはバランスがとれる必要があります。>

<だれのなかにも両方の要素があるのですが、ふつうはどちらか一方が勝っているのです。クライアントが多くのフローライトを選んだときには、(中略)、彼らが知識の人であることは間違いありません。>

(「クリスタル・ジャーニー」289-291ページから抜粋。ジェーンアン・ドウ著、澤西康史訳、OEJ Books)


ちょっとわかりにくい言い回しもありますが。
ジェーンアンの考えでは、世界との関わり方や霊的な成長には、精神を通していく人と、ハートと通していく人といて、どちらも正しい、ということです。
一人の人の中に両方あって「どちらが得意か」ということであり、片方に極端に偏ったら問題なだけだ、と。

ユング心理学の「外向型」と「内向型」を思い出します。
一人の人の中に両方あって、傾向としてどちらが優勢かということであって、どちらが良い・悪いではない。という。


そして私が今回解ったのが、ハート系の人たちと自分が「合わない」ところがあっても当たり前だし、それでいいのだ(構わないのだ)、ということ。
どっちがどうだとジャッジせずに済むという、納得がいった、理屈だけでなく腑に落ちたのは良かったです。
ただ理解の仕方や表現の仕方が異なるだけだし、違うやり方をしていい。


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