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ポルノの定義は、「見ればわかる」

1608文字・5min


ポルノの定義は難しい。しかし、見ればわかる。

PRESIDENT 2008年11月3日号より抜粋。

長嶺 超輝(ながみね・まさき)
司法ジャーナリスト

規制の目的が正当であっても、規制手段が正当であるとは限らない。

2008年9月の臨時国会において審議が予定されている、児童買春・児童ポルノ禁止法の改正案もその一例だ。

改正のきっかけの1つとなったのは、07年7月、ある元小学校教諭の男に言い渡された、執行猶予つきの有罪判決。交通事故で死亡した児童や幼児、計6人の写真をホームページに載せた行為が、刑事事件として立件されたのだ。

事故死した子どものあどけない写真に、被告人が不謹慎なコメントをつけていた事実も、各メディアで取り上げられた。また、体操服姿の女児の画像なども、ともに掲載されていたという。

しかも、この判決を受けた被告人は、刑の執行猶予中、運動会が行われていた小学校の校庭でカメラを持ってうろついていたところを、建造物侵入の容疑で再逮捕された。性犯罪は再犯率が高いといわれ、それは小児性愛も例外ではない。

このように性犯罪として処断されてもおかしくない行為をしたにもかかわらず、当該ホームページの作成に関して検察側の起訴状に記された罪名は「著作権法違反」。写真の無断転載を裁かれたにすぎない。被告人がポルノ写真をホームページに掲載したわけではなかったからだ。

被告人のような小児性愛の傾向がある者は児童ポルノを所持していることが多いが、現行法で所持は禁止されていない(児童ポルノを頒布・販売するなどの行為は禁止されている)。そこで犯罪の構成要件に「所持」までを含め、懲役1年を最高刑として罰しようというのが、与党の改正案の内容だ。今年11月に「子どもの商業的な性搾取に反対する世界会議」の会合が開かれることもあり、それまでに改正案を可決、成立させて日本国の取り組みをアピールしたい模様である。

子を持つ親や、小児性愛自体に生理的嫌悪感を抱く多くの人々にとって、厳罰化の流れは朗報だろう。しかし、「所持」自体を禁止するという規制の方法には、多くの疑問が投げかけられている。それは「児童ポルノ」、なかでも「ポルノ」の概念があまりに曖昧だからだ。

法律上、「ポルノ」は「衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態」などと定義されている。しかし、普通の親でも、自分の子どもの全裸・半裸の写真を撮ることはあるものだ。それを頒布・販売する親が取り締まられるのは当然としても、そういった写真の所持までが禁じられてしまえば、私たちは素朴な家族写真すらも満足に撮れなくなってしまう。


1964年、文書の「わいせつ性」の定義について争われた事件の判決文に、当時の米連邦最高裁判所の判事、ポッター・スチュワート氏は、こう書き記している。「ポルノ写真の類について、どういうものを規制すべきか、法で定義して決めるのは難しい。しかし、見ればわかる」と。ポルノの定義を条文に示す悩みを表現した名言といえよう。

現在、法律で単純所持が原則として禁止されているものとして、覚せい剤や麻薬などの幻覚薬物や、銃や爆弾などの危険物があるが、これらはいずれも定義が比較的はっきりしているものばかりだ。ここに「児童ポルノ」を加えるのは違和感があるのは否めない。過度に広範な規制を敷く刑罰法規によって、捜査当局が恣意的な取り締まりを行うような事態は回避されなければならない。

児童ポルノの所持を網羅的に規制する案は、性犯罪を防ぐ効果より、社会生活上の弊害のほうが大きい印象を受ける。また、小児性愛の傾向を持つこと自体は罪ではないし、過去の成育環境がそうした傾向を助長させた可能性が高く、本人に責任を帰しがたい面もある。小児性愛者は、処罰というより、むしろ、治療やカウンセリングの対象となるべき人々といえよう。この法案が、世間の差別意識を拡大させる、窮屈な結果を生むことを危惧する。


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