プロット沼 / 死んだ男の手記(ニラ栽培農家4)番外編
2840文字・30min
地図アプリが誘導する女の声をたどって北に向かった。神社にぶつかった三叉路を西に折れて川沿いに裏のトシオのニラの露路を横目に北へ走る。百メートルもいくと重油のキツい匂いが鼻につく。そこは銀色のタンクがそびえる瀝青工場だ。工場の橋を渡ると目の前には紫色のホトケノザが一面に広がる畑だ。内側をトラクターでひとまわり走って畑アートの額縁に見える。
畑の向かいは昔は高木や蔓や雑草でうす暗かったがいまは太陽光パネルだ。太陽光を北に上がっていくと、空気の壁が男にぶつかってきた。山から吹き下ろす風だ。ペダルが一気に重くなる。遠くの畑で、剥がされた看板が折り紙で作った風車のように砂をあげてまわっているのが見えた。
ロードバイクを走らせながら男は昨晩、読み終えた小説《蒲田行進曲》を思いだしていた。
舞台は東映京都撮影所。映画スターの銀四郎は、大部屋のヤスとは奇妙な関係を持っていた。銀四郎はヤスに自分を「銀ちゃん」と呼ばせて、自分の子を身ごもった水原小夏を出世のために押し付ける。ヤスは小夏に嫌われながらもマゾヒスティックなほどに銀ちゃんの暴力を受け入れる。
男は蒲田行進曲の男女の奇妙な三角関係に、なにかが頭に重なっていた。男の頭に重なるものは石原慎太郎の《太陽の季節》の男女の三角関係だと思った。あらすじはこうだ。
テニス部から転部した津川竜哉はボクシングに熱中しながら部の仲間とタバコ、酒、博打、女遊び、喧嘩の自堕落な生活を送る。ある日、竜哉は街でナンパした少女の英子と肉体関係をむすぶ。英子は竜哉に惹かれていく。だが竜哉は英子につきまとわれるのに嫌気がさして、英子に関心を示した兄の道久に彼女を五千円で売りつける。それを知った英子は怒って道久に金を送りつける。それからは三人の間で金の遣りとり(契約)がくりかえされる。
ある日、英子は竜哉の子を身籠って中絶手術を受けるが手術は失敗。英子は腹膜炎を併発して死亡する。葬式で竜哉は英子が自分に対する命懸けの復讐をしていたと感じて遺影に香炉を投げつけて、そこで初めて涙を見せる。竜哉は学校のジムへ行きパンチングバッグを打ちながら英子の言った言葉を思いだす。「何故貴方は、もっと素直に愛することが出来ないの」。竜哉はその瞬間、パンチングバッグに見えた英子の笑顔の幻影を夢中で殴りつけた。
石原慎太郎の《太陽の季節》もつかこうへいの《蒲田行進曲》も構図はおなじく《三角関係》で、女を奴隷(商品)と見立てた《奴隷売買》になる。
男がのちに読んだ三島由紀夫ら錚々(そうそう)たる文豪たち文芸評論家らの賛否両論は男の理解を超えていた。男の心にのこった解説は、三島由紀夫の言葉くらいだった「これだけ性的能力を誇示した小説にもかかはらず、この主題が奇妙にスタンダールの不能者を扱つた小説と似てゐるのは偶然ではない」
男の頭に引っかかるものは作品のテーマ性やモチーフではなかった。文学とはまったく異なった低俗で鄙俗な観点からのものであった。
男はこの二つの関係性を思い浮かべる度に、昭和の名曲と言われるさだまさしの《関白宣言》あるいはセルフパロディの《関白失脚》と平成のポップミュージックの代表曲、平松愛理の《部屋とワイシャツと私》が連想されるのであった。《関白宣言》はタイトルがテーマ「お前は黙って俺についてこい。だが俺はお前がいなきゃ生きていけない。俺より先に死んではいけない。俺より一日でも長く生きろ」《部屋とワイシャツと私》は恐妻がテーマ「お願いがある。私を大事に思うなら三日酔いは許すけど、四日目は恐れて実家に帰らないで。あなた浮気したらウチでの食事に気をつけて。知恵を絞って毒入りスープで一緒に逝こう」
昭和の「関白宣言」。平成の「部屋と〜」。令和五年。まだ令和の夫婦の形を映す名曲はない。そろそろ出てくる頃か。
あらゆるものには因果律がある。三角関係の名作小説も、時代を映すヒット曲も、羽生善治のあとに藤井聡太も、イチロー後の大谷翔平の出現も、相撲の八百長も、野球賭博も、うる星やつらも、みな周期がある。
「議員や、俳優は二世、三世ばかりだ。ドラえもんののび太は永遠に黄色いシャツ、ラムとあたるはつかずはなれず、ルパンの相棒は次元と五右衛門、世界はなにひとつ変わらねえじゃねえか! 変わろうとしてねえんじゃねえのかッ!! ロシアがウクライナに一年も侵攻しても、みんなで助けよう! バカヤロー、花見して酔っ払ってマツコデラックスが映るテレビに突っ込むだけのお前が言うな! みんなで平和を! いいねしてね! バカヤロー! そういう平和ボケを『おまいう』ってんだ!! 」
叫びながら男は、全身全霊の力を足の裏に込めてペダルをふみこむ。携帯のマップアプリの音声ガイダンスの女がいう「この次五十メートル先の十字路で高崎方面へ曲がります」それは高崎競輪場のことなのか? 男の、頭蓋骨のなかで、高崎競輪場の最終周回の打鐘(ジャン)が鳴りひびく。カン…カン、カンカンカン…カン。
ジャンが鳴り終わると、残り周回は一周半だった。男は肺のなかに残った空気を濡れ雑巾を絞るように締めあげる。
「うぉおおおおおおぉ〜!」
「部屋とワイシャツと私は、結局、関白宣言のパクリだったんじゃねえのかッ!? Winkはバブル期の音楽業界のXが仕掛けた、ピンクレディーが忘れられた頃に満を持して出現させた女性デュオだったんじゃねえのかッ! わらべはどこに消えたんだ! 松田優作の《積み木崩し》の不良少女役の役作りのために家出、窃盗、校内暴力、シンナーをやり過ぎたからかッ! 高部知子のわらべ脱退の原因は私生活でベッドで全裸になった喫煙姿をFOCUSされたからなのかッ!! 」
男は全身を楽器にして大空にさけんだ。また全身全霊でペダルを漕いだ。
男は競輪選手ではない。だからフレームの軸の重心がぶれて、車体が左右に大きくゆれる。まるでメトロノームの振り子のように。
「オリジナルってパクリっていったいなんなんだよおおおおお〜!!」
叫びつづけた男が乗ったロードバイクは県道のど真ん中に出ていた。
男の顔面に激しい衝撃があった。男のヘルメットに二十トントレーラーのフェンダーミラーがぶつかったのだ。男は、ロードバイクの車体ごと大空に飛ばされた。それはまるで春休みの代々木公園で見かけるフリスビーのようだった。
「ベチャッ」
男は牛の堆肥まみれの畑のなかに頭から突っこんだ。そこはまだ堆肥が撒かれたばかりだった。湿った牛の糞の白い湯気が立っていた。
「おえ〜」
男は口から牛の糞を吐いた。
「オレは、ビフ・タネンじゃねえんだよ!!」
そこには人だかりができていて、みな男を指さして笑っている。
「お父さん、ビフ・タネンてなに?」
子どもは父親に聞いている。
「さあな。なにか爆弾か何かの名前かな?」
父親は首をかしげた。
「ちがうよ。バックトゥー・ザ・フューチャーの名脇役だ」
背が低いスタジャンを着たアメリカ人が宙に浮くピンク色のスケボーに乗って去っていった。