小説、妻のクマ、第2話「カフェデート」
800文字・60min
「今晩、おねがいできるかな」
席に座るなり僕は妻に訊く。
「なんのこと? 」
「なにをって、ほらあれだよ。アレ」
案内された席はレジ横で広い。向かいに座る妻との距離はやや、遠い。妻はふるびた革のポシェットを脇に置いた。
「ランチじゃないのに待ったね。あそうか。今日は連休の初日か」
妻は笑う。快活に。
「今晩の件。おねがい。できますかね? 」
また小さい声で妻に言う。夜の話をするには席の間隔は、やはり遠い。
今日の妻の服装はツーピースだ。トップスは淡い柳色でスカートは深碧色だ。このまま夏の森に溶けこみそうだ。妻は口を、への字にして両肩をすぼませる。
「お待たせいたしました」
ウェイトレスが両手にプレートを持ってやってきた。ふわふわに仕上がったスフレ卵のオムライスだ。ドルチェの違いは、妻がクレームブリュレで僕はパンケーキだ。
「そのハチミツの器、ほら、それって」
妻はつるりと光った黒い鉤爪でハチミツ入れを指さした。黒い爪にはピンク色のネイルチップが着いている。
「パンケーキにかけるこの壺のこと? 」
「ちがうわよ。それって、さっきの雑貨屋で見かけた商品だよ」
妻は二人分のカトラリーを籐の籠からだす。
「で、なんの話だっけ? 」
妻はスプーンを器用ににぎってオムライスを割ろうとする。
「話題を避けてるの? だとしたら、ズルいなー」
僕は顔をふくらませて妻の顔を睨(ね)めた。
妻の髪が前に垂れる。スプーンを持ったまま妻は髪を掻(か)き分ける。ハーフアップになった耳の後ろに、インナーカラーが現れる。ピンク系のレッドのエクステだった。
(あっ!)
突如あらわれた虹のような赤い髪を見て僕は声を小さくあげる。
「今日は生理。だからダメ」
妻は、ハチミツかけるのは私のほうがゼッタイに上手だと思うよ。と笑った。
「男ってそういうの、すぐに忘れるー」
僕はバックから手帳を出して開いた。肩を落とす。
「ごめん」
今日の日付に赤ペンで×が。その前後三日間は線が引いてある。
「早く食べちゃいなさいよ」
= = = = =
取材先
オムライス&パンケーキ「サロン卵と私」