日々是短歌、ひりだす哉。 4/9(火) / 14
手をつなぐ父と息子のシルエット微笑ましさより羨ましさかな
■ミニ解説
一昨日の出来事。図書館の駐車場から歩くと、前から、家族の笑い声が。こんな幸せな家族ってあるんだ〜。ほほえましく後ろを歩く。中学生ほどの男の子の手とお父さんの手はしっかりと貝殻むすびだ。ふと思った。四十年以上じぶんは父親と手を結んだ記憶がない。
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今日の玄人短歌二首は手元に短歌研究がなく、ネットから引っ張ってきました。
花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに
小野小町
【意味】
(桜の)花の色はむなしく衰え色あせてしまった、春の長雨が降り続く間に。 私の容姿はむなしく衰えてしまった、恋や世間のことなど物思いにふけっているうちに。
■ミニ感想。
美人だった。というイメージだったが、博識というか。奥ゆかしさ。奥ゆかしさ! でも、いまの女性にも「うんうん!」「そうそう!」 って男性にも通じますよね! 時代を超える「ことば」ってすごいですね。
東風吹かばにほひをこせよ梅花主なしとて春を忘るな
菅原道真
■ミニ引用
下記の説明はYahoo!知恵袋(ベストアンサー)から
太宰府に左遷された道真が奈良の自宅にある梅の木を歌ったことは、有名ですが 「東風吹かば」……東の風の指すものは? 春風の意だけでしょうか? 「にほひをこせよ」……命令でしょうか。
「梅花」…梅の花は、菅原家の屋敷にあった紅梅・白梅であり、かつ菅原家の家紋も梅ですよね。
「主なしとて」……道真公は都にもどってこれないことを予想していたのでしょうか。
「春を忘るな」……はる……
ただ単に季節の「春」でしょうか?
疑いを晴らすの「はる」でしょうか?
弓を「張る」(→対決姿勢?)それとも……?
文末は、おもに二種類あります。
道真公伝承地では「春な忘れそ」が多く見られる傾向があるようですが、道真公に近い年代の表記では「春を忘るな」が主流のようです。
平安末あたりから「春な忘れそ」が出てくるようですね。
「春を忘るな」……『拾遺和歌集』『大鏡』『北野天神縁起絵巻(承久本)』『源平盛衰記』
「春な忘れそ」……『宝物集』『十訓抄』『古今著聞集』『太平記』 この和歌を詠んでから、わずか二年一ヵ月後の延喜三年(903年)二月二十五日、都に戻ることなく、またはなれた家族と会うこともなく、都より遠く離れた大宰府に於いて、59歳で薨去されます。