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タイピング日記027 / 呼び寄せる島(冒頭) / 又吉栄喜
「脚本家の民宿」(琉球新報・夕刊二〇〇五年四月四日〜二〇〇六年一〇月二六日連載)改題
第一章
梅雨が明け、連日強い陽が照りつけている。
七月初旬のある日、諒太郎に第十五回曙脚本賞落選通知のはがきは届いた。諒太郎はマンションの部屋のクーラーを強めた。
この行政主催の脚本賞は賞金はわずかなのに、毎回丁寧に落選の通知などをするのかと諒太郎は憤慨した。他の文学賞のように数人の候補者だけを誌面に載せればいいはずなのにと呟きながら、痩せた長身をベッドに横たえた。
連続落選四回目だが、諒太郎は我が目を疑った。にわかには信じがたかった。
今回は書き終えた後、今までにない手応えを感じていた。選評はほどなく機関誌に載るだろうが、一言も俺を納得さえ得ないだろう。
非力な審査員の目にとまろうが、とまるまいがどうでもいい、と自分に言い聞かせたが、自尊心が傷ついた。
脚本賞募集要項の三人の審査員の顔写真を思い出し、諒太郎は頭にきた。権威のある脚本賞なのに、彼らの顔には厳正に審査を行う厳粛さが微塵もなかった。
アルバイトに書かせたのか、書き慣れていない、稚拙な文字だと、はがきの宛名を見ながら諒太郎は思った。
諒太郎は起き上がり、冷蔵庫からビールを取り出し、飲んだ。一度落選した作品に手を加え、別の脚本賞に応募する者を軽蔑した。未練たっぷりに引き出しにしまったりせず、キッパリ破り捨てた。
子供の頃から俺を啓蒙する人も指導する人も触発する人もいなかった。琉球大学在学中、暗中模索しながら脚本家になれるという自負がある。
特に想像力はたくましいと信じている。
湧田島では珍しく小学低学年の頃から、月刊雑誌を購読していた。連載されていた推理小説や冒険物語の筋の展開や犯人や人物の運命を自分なりに想像する癖がついていた。
「主人公の少年が犯人の屋敷に忍び込み、壁の節穴から部屋を覗いた。少年ははっと息を飲み、顔が青ざめた(来月号につづく)」という箇所を読んだ諒太郎は、一ヶ月間さまざまな残虐な情景や、恐ろしい犯人の仕打ちを考えた。
雑誌が届くと、まっさきにこの連載のページをめくり、食い入るように読んだ。なぁんだとがっかりした。想像の十分の一もひどくなかった。
諒太郎は「あの出来事は豊かな想像力のなせる業の一端をしめしている」と思っている。
大学卒業後、脚本執筆一筋に過ごしてきた諒太郎は今回の落選をかえすがえすも残念に思った。寝苦しい午睡から目覚め、宅配ピザを注文した後ふと、しばらく生まれ故郷の湧田島に滞在し、心機一転しようと考えた。
マンションにこもっていたら季節が夏なのか、冬なのかわからなくなってしまう。このような感覚の鈍磨が創作力をいちじるしく衰退させる。湧田島は海風が常に吹き抜けているから体内時計を狂わす人工物とも無縁だろう。頭はミントを染み込ませたようにすっきりするだろう。
高校生の時から那覇に居るせいか、頭の中のイメージが変わってしまっている。昔は海という字面からアダンや白い砂浜をイメージしたが、今はテトラポットやコンクリートの護岸のイメージががっちり固まっている。自分の頭が人工の、つまり他人のイメージに規定されてしまっている。これではものの本質を究明できないと諒太郎は考えている。
湧田島に一軒ある民宿が売りに出されているという話を母親から聞いていた。
持ち主の老人が母親に「入院費がかさんでいるから、買わないかねぇ?別荘にでもどうかねぇ。ほとんど手を入れんでも、まだ十分住めるよ」と打診してきたという。
土地と建物を含め百五十万だという。書斎にしようと思いついた諒太郎は外廊下をはさんだ部屋に住んでいる母親に電話をかけ、購入の話をした。
母親には原稿執筆の際いつでも集中できるように民宿を書斎に改造すると言ったが、内心、まずは落選のショックを癒そうと思っていた。
窓から潮の息吹を含んだ清々しい、眠気を誘う風が吹き込むし、毎日イマイユ(生魚)の刺身が食べられるから、たちまち立ち直れるだろうと考えた。
生活費は本島や本土に出た子供たちの仕送りに頼っている湧田島の人たちはあくせくしていないし、表情にもゆとりがある。小さい畑や漁を楽しみ、欲のない人生に順応している。
湧田島全体が金には無頓着に思える。前に長期滞在型の施設建設の話が県から持ち込まれたが、反対し、代わりに受け入れた隣の島に金が落ち、潤っている。しかし、湧田島の人たちは別に羨んでいるようにも見えないと諒太郎は思う。
ヤンバル(沖縄本島北部)出身の祖父の山や畑が道路やつぶれ地にかかり、莫大な金が転がり込んだ。生真面目な祖父は全額預金し、全く手をつけなかった。十年前に祖父が亡くなった時、動産不動産が全部一人っ子の諒太郎の母親に残された。
湧田島出身の、ハンサムだが、病気がちの父親は自転車屋を経営していたが、諒太郎が中学二年の時、病死した。
父親が亡くなった半年後、母親は那覇に九階建てのマンションを建てた。那覇の高校に合格した諒太郎は湧田島から引っ越した。
次のテーマは「支配者の罠」にしようと考えている。琉球王国のような武力と祭祀の統治ではなく、近代的な、庶民の目に見えず、誰も気づかないうちに大衆をロボット化する「支配者」を造形しよう。「支配者」は大衆が欲求不満になり、自分に目を向け始めたら一大事と考え、つねに大衆のエネルギーを消耗、発散させようとしている。盛んに各種のスポーツイベントや祝祭や文化行事を遂行し、また大衆の自発的な企画を協賛している。
味気ない日常を送っている大衆は「支配者」にうまく踊らされ、健康ブームを作り出し、スポーツやボランティア活動や芸能や芸術にのめりこんでいる。
たとえば、「支配者」は大衆をどんどん走らせ、ぐったりさせ、すぐ寝かせる。目が覚めたら、また、走らせる。
諒太郎はこのような「支配者」の巧妙な罠を見抜ける主人公を模索している。「支配者」が大衆を政治や情況から遠ざけた後、何を狙っているのか、まだ想像が及ばないが、モチーフの輪郭はできている。「支配者」のキャラクターをうまくはめ込めば物語は動きだす。
主人公は大衆の目を眩ますような、魔術をかけるような偉大な奇人にしようと諒太郎は今、思いついた。
又吉栄喜wikiより
又吉 栄喜(またよし えいき、1947年7月15日 - )は日本の小説家。第114回芥川賞を受賞。
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