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おつかれ、僕。 / 僕の五カ年計画
五カ年計画 / おつかれ、僕。
以下、
❶2029年1月30日迄に《20作品の長編小説》を書く。
❷❶のための資料のための読書をする。
❶年に四作品のペースで長編小説(400字詰め原稿用紙換算300〜500枚程度)を書く。
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例)
2025年(初年度)の目標は年に4作品を出すことです。
⑴1月25日に1875枚「消えた小説=K」《例外:構想26年、準備期間3年、執筆期間1年》
⑵4月30日に300〜500枚の「第2作」《新作》か《Kの端役の独立系スピンオフ》
⑶7月31日に300〜500枚の「第3作」《新作》か《Kの端役の独立系スピンオフ》
⑷10月30日に300〜500枚の「第4作」《新作》か《純文学(中間小説)》
〜12月31日は初年度の糊代=休日分
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2026年(2年目)の目標は《架空の街を描きながら自分なりの小説形式(様式)を探る》
⑴2月28日に300〜500枚の「第5作」《新作:アンソロジー(多視点)で架空の街を表す》
⑵5月31日に300〜500枚の「第6作」《新作:Kの世界観の群像劇》
⑶8月31日に300〜500枚の「第7作」《新作:Kの世界観の架空の街》
⑷11月30日に300〜500枚の「第8作」《新作:Kの世界観のサスペンス》
〜12月31日は2年度までの糊代=休日分
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2027年(3年目)の目標は《じぶんの小説の様式、形式を解体する》
⑴2月28日に300〜500枚の「第9作」《新作:Kの世界観のメタフィクション》
⑵5月31日に300〜500枚の「第10作」《新作:Kの世界観のサスペンス》
⑶8月31日に300〜500枚の「第11作」《新作:短編アンソロジーでKの架空の街を表す》
⑷11月30日に300〜500枚の「第12作」《新作》か《純文学(中間小説)》
〜12月31日までは糊代=休日分
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2028年(4年目)の目標は《解体した自分の小説の様式を再構築(脱構築)する》
⑴2月28日に300〜500枚の「第13作」《新作》《サスペンス or メタフィクション》
⑵5月31日に300〜500枚の「第14作」《新作》《陰謀論 and メタフィクション》
⑶8月31日に300〜500枚の「第15作」《新作》《純文学 × サスペンス × メタフィクション》
⑷11月30日に300〜500枚の「第16作」(〜12月31日までは糊代=休日分)
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2029年(5年目)の目標は中堅タイトル文学賞を獲ること。
⑴2月28日に300〜500枚の「第17作」《新作:ジュブナイル》
⑵5月31日に300〜500枚の「第18作」《新作:純文学》
⑶8月31日に300〜500枚の「第19作」《新作:冒険モノ》
⑷11月30日に300〜500枚の「第20作」《新作:純文学(リアリズム小説)》
〜12月31日までは糊代=休日分
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❷ある架空の街を描く。
そのための資料(とライフワークの作家)を読む。
①目下、手元にある書籍は全部読む。
②フォークナーの長編小説を読む。
③フリオコルタサルの「石蹴り遊び」をきちんと読みなおす。
④トマス・ピンチョンの長編小説を読む。
⑤九州ヤクザ抗争、広島ヤクザ抗争、山口組の歴史を学ぶ。
⑥自分の生まれた街を調べる。
⑦慶應義塾(通信)に入り直す。大江健三郎か中上健次か村上春樹を《書き手側からの視点で研究、論考する》卒業する。
⑧エンタメ系で二個目、三個目の賞を獲る。
⑨純文学(中間小説)を書く。
⑩書き続けている。
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さて、
1月23日に第八稿を書き終えた。
それからPDFファイルをチェックして、それを第九稿として、25日に、応募した。呆気なかった。
それからボーっとしたままユーチューブを見ていた。なぜか、九州ヤクザ抗争、広島ヤクザ抗争、山口組の歴史をずっと見続けていて、僕のYouTubeがすべてヤクザ抗争のチャンネルになってしまった。笑。
前回の小説に「伝説の親分」井岡忍がいる。ある親分さんをイメージしてキャラを描いた。
それからふと、山口組のYouTubeを見ていたら、今日1月25日(原稿を投稿した日)は、なんと、六代目「司忍」の誕生日だった! 奇妙な縁であった。
それと、自民党の自滅、日本国内の様々な固陋した組織の滅びの時代。僕の作品「消えた小説」のテーマは、奇しくも、こんな時代に「審査ばかりの詰まらねえ文芸界への挑戦状だった」笑。時代に乗ってくれたら嬉しい。エントリーフォームに書いたじぶんのキャチコピーは「腐り切った文芸界など文芸もろとも死に絶えればいいのだ!」である。笑。
日本の九州、広島、山口組のヤクザ史を見てみると、すごい既視感がある。
①深作欣二監督の「仁義なき戦い」だ。これは《広島ヤクザ抗争》そのままだ。
②中上健次の作品群。彼は、日本のヤクザ史、家族、地縁、血縁、(その個性あふれる任侠キャラ)と路地(被差別部落)文化を芸術にまで融合させている。
③尾田栄一郎。ワンピースだ。九州(福岡)抗争を見ていて思った。尾田栄一郎は大分県出身だ。僕も国東半島に住んでいたが、ヤクザは多くはない。だが、司忍は大分県出身だし、大分県から全国に名を轟かせる大親分を幾人も輩出している。
④それと、ヤクザの世界、任侠、裏切り、仁義、これは見ていて《任侠社会は小説よりも奇なり》であった。すごい二枚目ぞろい!
最後に、下記は僕の創作ノートの一部。
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「最凶」①北九州抗争 ~カメラが捉えた工藤会の半世紀~ 対立した「工藤会」と「草野一家」
https://www.youtube.com/watch?v=eFfib4k26oY
特定危険指定暴力団工藤会 総裁「野村悟」当時77歳(警察の頂上作戦)
一審の死刑判決を破棄して、無期懲役の判決。
北九州の街に君臨した工藤会
1970年代後半、当時の小倉の街では「工藤会」と新興勢力「草野一家」が対立関係にありました。1979年12月、「工藤会」の中核団体「田中組」の田中新太郎組長が草野一家「極政会」によって射殺される事件が発生。これを契機に、いわゆる“北九州抗争”が勃発し、両者の争いは泥沼化していきました。
1977年5月。まだ暗い早朝、雨の中。港。
大勢の暴力団員が集まっている。
この日十年の刑期を終えて出所した草野高明(当時55m歳)の出所だった。
草野高明は「工藤玄治会長」率いる「初代工藤会」の元No.2だった。
草野高明は山口組傘下の組員2人を殺害した”紫川事件(1963年発生)”で逮捕された。
その後、工藤会を脱退していた。
周りのヤクザはずっと草野高明の出所を待ち望んでいた。
「草野親分が帰ってきたら、小倉の街が変わるぞ!」と噂で持ちきりだった。
★草野高明は新組織の「草野一家」を立ち上げる。草野一家の初代総長の座に座る。
1978年
草野高明は、
①工藤会と反目していた田川市の「太州(たいしゅう)会」の太田州春(くにはる)会長会長と兄弟杯を交わす。
②中間市で愚蓮隊を率いていた溝下秀男を配下にする。
さらに草野一家は工藤会に不満を抱く勢力を次々に取り込んで吸収していった。瞬く間に草野一家の組員の数は180人に膨れ上がった。
これに危機感を抱いたのが工藤会の大幹部「初代田中組組長:田中新太郎」だった。
田中組は小倉北区(田中組本部)を拠点に、戸畑、若松、直方に傘下組織を持っていた。豊富な資金と統制された100人を超える組員の数にものを言わせて小倉の裏社会に君臨していた。若い衆はみな代紋をつけたスーツを着ていたが田中組長はジャンパー姿だった。クルマはリンカーン・コンチネンタルに乗っていた。
新旧の工藤会の対立構図が勃発。
1979年9月:
草野高明総長は山口組伊豆組「伊豆健児」組長に接近する。
1979年12月21日:
草野高明と伊豆健児は五分の兄弟盃を交わす。
これを受けて反山口組を掲げる工藤会と草野一家の緊張状態は最高潮に高まる。
1979年12月21日:(兄弟盃から二日後だ)
「工藤会、田中組組長は、田中新太郎は、新しい太郎です。年齢39歳。拳銃は頭部に一発、腹部に一発、右肩から胸に一発、三発が命中して即死の状態」
田中新太郎が草野一家の極政会(溝下秀男)によって射殺される事件が勃発する。
喫茶店「サンフラワー」
サブストリーム:
★北九州抗争が勃発する。
1980年7月:
草野一家が大東亜会に発砲する事件が起こる。
草野総長の親族経営の旅館で発砲事件が起こる。
「そんなにしたかったら山かどっかいってドンチャカバンチャカやってもらいたい」
アナウンサー
「現在北九州市にある暴力団組織は42団体、ほにゃららほにゃらら、、、」
小倉の街で以下の大物の二人が出会い頭で喧嘩をして拳銃発砲でお互いが死亡……。
工藤会理事長矢坂組「矢坂顕」組長(当時52歳)は死亡した。
草野一家の若頭の大東亜会「佐古野繁樹」会長(当時36歳)は死亡した(最武闘派だった)。
この時に溝下秀男は刑務所(田中新太郎殺害)にいた。
■■■■■■■■
北九州地図
工藤会VS草野一家が、
★筑豊地区に飛び火。
アナウンサー
「。。。ほろ酔い気分の歓楽街で火を吹いた」
筑豊地区では、太州会の太田州春(くにはる)会長会長(当時47歳)が筑豊地域の完全掌握に乗り出す。
太州会(草野一家の弟分)VS九州俠友連合会が激突する。
襲撃された九州俠友連合会の映像。散弾銃。
九州俠友連合会「定岡組」定岡英治組長のインタビュー
「だいたい、私に言わせたら、この草野って男が出て来たから、福岡県が戦国時代に入った。この人が出てきなかったらなんにも起きてはいない」
「草野は取り巻きに担がれてる」
「それは正解だ」
田中新太郎が死んで、工藤会は終わった。
カリスマがいなくなると流れがゴロッと変わってしまう。
草野一家の杉山組など
死者三名など
1981年02月:合田幸一の七回忌法要にて
稲川会の稲川聖城会長(当時66歳)関東系
草野一家の草野高明総長(当時59歳)
工藤会の工藤玄治会長(当時71歳)
の仲裁が入った。
1981年03月:
一方、組長(田中新太郎)を射殺された工藤会の二代目組長は木村清純(当時41歳)が継承する。
組長の木村清純は若頭に野村悟(当時34歳)を抜擢する。
1981年08月:
元愚蓮隊だった溝下秀男(当時34歳)は田中新太郎の射殺を買われ、草野一家の若頭になる。
溝下秀男が刑務所から帰って来た時に。佐古野繁樹は死んでいた。
佐古野繁樹が死んでいなかったら、溝下秀男は若頭にはなっていない(これも運命……)。
溝下秀男は部下にも恵まれていた。
「溝下秀男のところにはしっかりした若いもんがいっぱいいますもんね」
などのたくさんの噂があった。
サブストリーム:野村悟(当時34歳)
北九州市小倉北区出身
父親は資産家(土地など)
十代から非行に走る。少年院の出入りを繰り返す。
23歳で工藤会に加入する。その後、組織で順調に出世する(豊富な資金で)。
「喧嘩は強くないよ、地主の子じゃけ、じゃが、金があるとどんなシノギもできるわ」
同期の話。若いもんはシノギができないと親方についてまわらない。
野村は運がいい:福岡県警の話
1974年(昭和49年)に野村は複数の事件で逮捕される。しかし、工藤会の大きな変革の時期に常に娑婆にいたことだ。しかも重要なポストにいた。
豊富な資金で賭博場を運営する。巨額の利益を得ていた。さらに暴力に長けていた。
1982年10月:草野一家系の拳銃乱射事件
野村悟の自宅の近くに草野一家系の組織が事務所を作った。
野村悟の配下らが殴り込み拳銃を乱射した。
野村悟の逮捕。
二代目田中組の穏健派の組長の木村清純と武闘派の野村悟は確執(対立)を強めていった。
田中新太郎の射殺以後、大きな抗争は起きていない。
それに不満を漏らす若い衆たち(過去の工藤組の栄光が懐かしい)。
田中新太郎を崇拝している若い衆が燻っていた。
1985年08月:
工藤会会長工藤玄治は二代目田中組組長の木村清純を「金儲けに走り、極道としての本分を全うしていない」として組織から追放する。
1985年09月:
二代目田中組の若頭の野村悟を支持しなかった組関係者が相次いで襲われる事件が勃発する。
1986年05月:
若頭の野村悟は三代目田中組組長を継承。
草野一家草野高明総長↔︎(抗争)↔︎工藤会初代田中組田中新太郎組長(溝下秀男に射殺される)
草野一家極政会溝下秀男会長(田中新太郎を殺害)↔︎(義兄弟の盃)↔︎工藤会三代田中組野村悟組長
溝下秀男が野村悟と盃を交わした理由:
溝下秀男が親分になるため。
工藤会と草野一家を合同にして北九州市を一つにまとめ、自分がそのトップになるため。
溝下秀男の配下に野村悟がいないことには何事もまとまらない。
市民も抗争に巻き込まれることはない。
ヤクザたちも抗争事件を起こさなくて良い。
草野一家(工藤組)はよそ(北九州以外)に出る必要はない。
北九州市によそ(他の暴力団)も出さない。
★野村悟は溝下秀男に絶対忠誠を誓う。だが、溝下秀男にとって野村悟は自分が殺した田中新太郎系の組長(田中新太郎の舎弟が木村清純で木村清純の子分が野村悟)だ。
「私は田中組員じゃないです。だから田中組長は私の親じゃありません。溝下さんについていきます」
溝下秀男はその言葉を信じるしかなかった。
溝下秀男の性格:
意地っ張り。自分が小さく見られるのが嫌い。男として舐められたくない。自分が納得しない限り抵抗する。突っ張っていく。そういう生き様の男だった。
1986年11月:草野一家のポスト争い:殺害の実行犯は「極政会(溝下総業)」と「田中組」
お互いに邪魔だった。殺らなきゃ殺られる空気(危機感)があった。
◉上原且久会長(当時44歳)射殺事件(北九州市小倉北区)
上原且久会長は腕や腹などに六発銃弾を浴びて、三時間後に死亡した。一方、犯人である二人の組員は小倉北署に拳銃を持って出頭したところを殺人などの疑いで逮捕された。
草野一家草野高明総長(当時64歳)
草野一家極政会溝下秀男会長(当時40歳)
草野一家上原会上原且久会長(当時44歳)=死亡。
上原且久は田中新太郎の命を2度も3度も狙った男だ。上原且久も実行力のある若手を抱えていた。
◉合田一家尾倉忠組長射殺事件(北九州市小倉南区)
★草野一家極政会溝下秀男会長は北九州地区を掌握していった。野村悟は溝下秀男の隆盛を間近で見ていた。
1986年07月:久留米市の道仁会と山口系組系組織の抗争(山道抗争:死者9人、負傷者16人)が勃発。
溝下秀男は(工藤会の工藤玄治会長と草野一家の草野高明総長の意向を受けて)この争いを止めるために奔走した。
1987年01月:北九州の一連の抗争事件に警察組織が動き始める。
福岡県警は山口組伊豆組(伊豆健児)に続き道仁会本部など含め700人を動員して暴力団の摘発に動く。
1987年02月:山道抗争終結宣言(福岡県警)
1987年03月:山道抗争手打ち式
アナウンサー
「普段は閑静な山間にあるこの料亭に100人余りの暴力団組員があつまり、騒然とした雰囲気のなかで手打ち式が行われました。この手打ち式は北九州市の中立系の暴力団組長の仲介で行われたもので、構想を続けていた山口組伊豆組の伊豆健児組長と道仁会の古賀磯次会長を始め、九州一円や東京などからおよそ35団体の組長ら100人余りが集まりました。出席していた関係者の話では、五分の条件で和解の手打ちが行われたとのことです」
山口組伊豆組の伊豆健児組長(当時60歳)
道仁会の古賀磯次会長(当時52歳)
「溝下はおおきくなるな。この男の芽を摘んだらいかん」
と山口組伊豆組の伊豆健児組長はいった。
1987年07月(夏):北九州地区の暴力団統一。
しかし、暴力団に使われた銃は、市民に向けられていくのであった……。
マル暴刑事
花田英治
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/171863037/picture_pc_505d714191cc87cc06df608cf82f2a6b.jpg?width=1200)
ではみなさん。
もう一月も終わりですね。
あまり、頑張りすぎないように、いきましょう。
自分に言ってます。笑。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/171863061/picture_pc_129b77ad170557e6efee4493f3b825d4.jpg?width=1200)
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![蒼井瀬名(Aoi sena)](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/68835914/profile_ebdb29924df664f9a6b2ac8e7c4e0a69.jpg?width=600&crop=1:1,smart)