冒頭で出会うVol.12_ラーメン屋
開けはなたれた部室のドアに荒太が入ってくる。まじやんなっちゃうよ、おれ足おせーしよ〜、練習後の10キロタイムランなんかもうヘトヘトだよ。夏前の夕陽は松林の向こうへ沈みかけていた。くらくなった校舎。職員室へと走る廊下だけが煌々とあかるい。
「堂本が春に父母会でいってた、夏の大会の全国大会出場宣言。あれはマジで本気かもな」部室に敷かれた人工芝にへたり込む荒太にアクエリアスを渡した眞也がいった。キャプテンの慎也は、三年の数少ないレギュラー候補だ。
堂本は二年前にウチの学校に着任してすぐサッカー部の顧問になった新米教諭だった。新米といっても、四十を過ぎた無精髭を生やしたただのおっさんにしか見えなかった。
元プロ選手つったってどこの堂本だよ。万年補欠でベンチのムードメーカーの荒太は、上半身裸のまま人工芝にへたり込んだ。人工芝に乳首を擦りつけ、堂本いまあいつ車椅子じゃねえかよ。名選手の堂本プロを慕ってウチに入学してきたいまの中心メンバーの二年生も大変だぜ、車椅子じゃ身体の入れかたやプレスや蹴りかたひとつ碌に教えてもらえねえじゃん。荒太はアクエリアスをリコーダーを飲むような格好でちゅーちゅーやりながら校庭をゆびさした。グラウンドでは五十人近い二年生がトンボでならし、さらにおなじほどの数の一年生がボール拾いやコーンの回収をしている。ぼくは学生服に着替えおわっていた。すっかり裾丈が短い。夏の大会が終われば引退だ。家に帰って苦手の数学に手をつけたかった。
堂本の指示では三年も一緒になってグラウンドの整備をしてからチーム全員の練習が終了のはずだったが、ぼくらは堂本がくる前の、三年はすぐに帰ってよしという慣習に従っていた。
「じゃ、おさき」
とんとん、とプレハブの三和土で革靴の先を蹴って、部室に向かって手をあげた。
「ちょまてよ」
荒太が、キムタクのモノマネをやっているモノマネ芸人のマネをして、いつもの爆笑をとる。いや、おまえ直人をとめろといったのは、こいつ慎也だ。といってその場を茶化した。「ラーメンでも食っていこう。奢るよ。横丁にあるあそこのラーメン屋。知ってるだろ」慎也はいう。ごくごく飲みながら荒太は、一番後ろの棚にあるサッカー部員共有のエロビデオを一本とってためつすがめつしている。顧問の堂本に、今年の夏の大会まで部活をつづけるといって残った三年生はキャプテンの眞也と荒太とぼくだけだった。眞也もぼくも二年にレギュラーを奪われつつあった。眞也はレギュラー奪還に頑張ってそうだったが、ぼくは受験に切り替えていた。荒太は進学の予定はなく、他の数名は春の大会で受験に専念するといって引退していた。
「じゃあ、ぼくは先にいってるよ。」
「ちょまてよ」
荒太を無視してぼくは先にラーメン屋へと向かった。
そこは清潔とは断じていいがたいラーメン屋だった。とんねるずの「きたなシェラン」でグランプリでも獲りそうな数坪の店だ。黒くなった油と黄色いタバコの脂に塗れた壁にメニューが短冊になってぶら下がっている。ぼくは赤いカウンターに座った。奥の小上がりで小学生が四人座っていて、おっちゃーん、ギョーザまだー、と箸と小皿で騒いでいる。
「お、霧科中かい?」
六十を過ぎた白髪の店主がぼくに油で汚れたメニューをだした。友達がくるので、きたら頼みます。といって、適当にメニューを広げておいた。店は汚いのに、カウンターの角のうえに設られたテレビのディスプレイだけが異様に真新しく見える。相撲の結びの一番をやっていた。ぼくはコンタクトを外してメガネにしようとしていたところだった。
「始めるぞ」
と店主がいうと小学生たちがテレビの真下に集まってくる。餃子焼いてもいいのか。だめ。見終わってから焼いて。
始まった映像の最初はひどく荒かった。どこかの国で行われたサッカーの試合だった。ハンディカムで撮られていて、非公式の試合のようにもみえる。いや違う。ぼくはその水色と白の縦縞と赤と白の縦縞のユニフォームで、アルゼンチンとパラグアイの国際試合だと思った。昔の、W杯予選か親善試合だろう。ハンディのズームがスタジアム全体を俯瞰したり、選手にズームで寄ったしりしている。アルゼンチンの10番に、当時の世界サッカー界の至宝、全盛期のリオネル・メッシがいた。となると十数年前の試合の映像か、ぼんやり思っていると、パラグアイ代表のある選手に違和感を覚えた。ハンディカムはズームになる。なんと、パラグアイ代表の背番号10番をつけたフォワードは日本人だった。まさかと思った。あの無精髭は…。それからラーメン屋は完全な沈黙になった。みんな画面に釘付けになった。さっきまで箸や小皿で騒いでいた四人の小学生らは固唾を飲んでパラグアイ代表の10番の日本人の走りを見つめている。メッシが大きなジェスチャーで味方にゲキを飛ばしている。「あの東洋人を潰せ!」いっているようだった。アルゼンチン代表選手らの、凄まじい、プレスという言葉では表現しきれない日本人潰しが始まった。足を引っ掛けられ、何度も、パラグアイ代表の日本人の背番号の10番は倒された。だが、彼はすぐに立ちあがって試合を進める。残り時間がないようだった。ハンディカムが一瞬、電光掲示板を映す。1:1で同点だった。パラグアイ代表の日本人の10番は南米人のお決まりのような転ばされた後にもがく演技じみた大げさなジェスチャーは一切しなかった。
奇跡が起き始めたのは、メッシが中央からひとりでドリブルで五人も置き去りにして、決定的なシュートを外した後からだった。
メッシの、矢のようにするどいロングシュートは、ゴールバーの中央に直撃して、ほとんどセンターサークルの近くまで跳ね返ってきた。赤と白の縦縞のパラグアイ代表ユニフォームを着た、それほど背が高いとはいえない10番を背負った日本人選手は、メッシのシュートが跳ね返ったボールを、腰と膝を引いてスッとボールを足に絡ませグラウンドに。スタジアムの時間が止まった。それからワッと沸いた。異様な予感がする。七万人を収容する巨大スタジアムが妙にざわめき立つ。アルゼンチンのフォーバックで対応していた四人のディフェンダーが一瞬、腰を落として構える。あれ? どこかで見たことがある。ぼくは思う。このハンディカムが映すアルゼンチン代表のフォーメーションは今の霧科中がやっているものとおなじだ。ハンディカムが引くと、頭を抱えたメッシが両膝から崩れ落ちている。メッシは結果を予見しているようだった。
パラグアイ代表の日本人の10番は、二人がかりのスライディングを、ボールを足に挟んで浮かせ、今度はアメフトのタックルのようなディフェンダーには、ボールを、軸足からくるりと小回りさせて回転ドアみたいにすりぬける。やばい、オランダのヨハンク・ライフが開発した、伝説のクライフターンだ! ラーメン屋の小学生たちは全員とも口をあんぐりとあけたまま箸を三和土のコンクリに落っことしていた。だれだ、あの日本人。本当におっちゃんの息子かよ! ぼくはメニューに目を落とす。堂本ラーメン、お品書き。と書いてあった。
日本人のパラグアイ代表の背番号10は、最後のディフェンダーを、またぎフェイントで一瞬で後方に置き去りにした。それから直接ゴール中心には向かわず、キーパーをゴールエリアの外へ誘き寄せる。ふわりというようなシュートを踏む。キーパーが腰を浮かせる。そこへ右足をふって左サイドネットに矢のようなゴールを突きさした。
「ワー!」
ハンディカムがガタガタと大きく揺れた。スタジアムが巨大な地震に襲われたような騒ぎだった。
「おっちゃん、ほんとうに、あの選手のマジ親なのかよ! すげえじゃん!」
小学生らは店主にいう。
「ほら、この学校の制服の霧科中学校のサッカー部の先生をやっとるよ」
「うおー、マジやべえ! 」
小学生らはぼくをチワワのような潤んだ目で見る。
ガラガラ。
「おまた」
慎也と荒太が店にきた。
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書いて感じたこと、
⑴「話をきれいに纏めようとする」と「長くなる」=「無計画(ノープラン)」ということだ。
⑵「マクガフィン(秘密の箱)」今回は「サッカー部の顧問の藤本」をもっと簡潔に処理すべき。一行、二行でさらっと処理できるように。
⑶あるいは「サッカー部の部室」「ラーメン屋」のどちらかの場面のみで「出会いの処理」をすべきだった。テーマもモチーフも混在してしまう。話のなかの焦点(ラーメンの味の焦点)がどんどん(薄まって)なくなってボヤけていくようだった。
⑷どうせ⑶まできてしまったのだから、少なくともサッカーのシーンくらいは作ろうと取り繕った。が、成功か失敗かは読者に。
⑸書いていて筆者が楽しい(冷静でない)ときは、大概、失敗作である。
⑹じつは後から慎也は知っていて、眞也がチームで役にたてなさそうだと知っていて、慎也が小学生をこの店に引き入れていた。みたいなことは、一見後ろの文脈で書けそうだが、それはやってはいけないのでは?と思った。どんどんと大きな風呂敷を広げてしまう悪いくせになるような気がした。とにかく今は、自由気ままに物語は広げずに、短くまとめる。基本に忠実に。