『アイノケダモノ』にトリックを見出した話
みなさん、アンジュルムの最新シングル『アイノケダモノ/同窓生』はお手元に届きましたか?私は『行かなくちゃ』で号泣しました。最近アンジュルム関係で「泣いた」とか言っている時は比喩でもなんでもなく本当に泣いています。アンジュルムを見てると泣けてくるんですよね。
でも今回は『行かなくちゃ』ではなく『アイノケダモノ』の、しかもダンスではなく歌詞の話をします。しなくてはならないのです。
楽曲に寄せられた作詞の西野蒟蒻さんのコメントはこちら。
愚かなヲタクである私は「テーマは恋愛です」に引っ張られて「アンジュルム曲にありがちな強い女子の恋愛曲」とばっかり思っていました。違和感を感じながら。
でもよくよく考えると全然違う意味があって、そちらの方がメインなのでは?と感じてきたので、長文ツイートの感覚で記載しておきます。
ってか「西野蒟蒻」って誰?
ことアンジュルムをメインで追いかけている方々にとって「西野蒟蒻さん」は初めて遭遇するお名前かとおもいます。実はハローに割と楽曲提供されている作詞家です。
私は宮本佳林さん「夜明けまでのララバイ」の歌詞が、アイドルとリスナーの関係性という皮を被りつつ規模の大きい話になっていく点に一目ぼれしてしまい、それ以降勝手に西野さんを応援しています。頭出ししたので聴いていってください。
あと私は視聴できなかったのですが「行くぜ!つばきファクトリー」に児玉雨子さんと出演されたそうです。
改めて歌詞をみてみよう
さて「アイノケダモノ」の話に戻りましょう。
まずこの辺りは具体的な恋愛事の話をしています。(2番より)
そしてサビの歌詞はこちら。
「愛してやれ!勇猛果敢な私たち」とパワフルな歌詞です。この辺りは恋愛ものというよりは勢いと強さがメインになってくる印象です。歌詞全体としては「待っててもダメ!自分で手に入れるんだよ!」と楽しそうに攻め込んでいく女子の姿が描かれています。ここまでは見たまんまの感想なのですが、1つこの曲で考慮しなくてはいけないのは「アンジュルムが歌っている」という事です。
アンジュルムが歌う「アイ」の「ケダモノ」
和田彩花さんリーダー時代の「強い女性像」に竹内朱莉さんがリーダーになってからは軽やかさも付加され、三色団子以降の新しい風も加わり、正直今のアンジュルムは何だって表現できる次元に到達していると思います。
でもいつの時代も根底にあるのは「愛」です。お互いを尊重し、背中を押して、いいところは積極的に褒めたたえながら、よりよい公演を作り上げるために心を尽くし、アンジュルムは強いチームとなっていきました。そして今では、メンバーたちが自身を象徴して「愛」という言葉を使う場面も少なくありません。
また、かつては(多分今も)「動物園」と言われるほどやかましかったり、ことあるごとにエピソードとして語られる食に全力な姿勢(かわいい)を、西野蒟蒻さんが歌詞を書く前のリサーチ期間に発見していて、着想を得た可能性は十分にあると考えています。
となってくると、「肉食女子の恋愛ソング」に見える「アイノケダモノ」というタイトルは、もしかして「アンジュルム」をそのまま言い換えた言葉と捉えても矛盾ないのではないでしょうか?
そう思って「愛してやれ!勇猛果敢な私たち」というサビの出だしの歌詞をもう一度読んでみると、とてもアンジュルムに見えてこないでしょうか。
アンジュルムというグループの文脈になぞらえて読むと恋愛曲だけではない新たな意味が見えてくる豊かな歌詞だとやっと気づき、今後もヲタクとしてより精進したいと強く思った体験でした。
ここからは7割くらい陰謀論です。
私がこの事に気づいて初めに思ったのは「どうしてそんなややこしい事を?」でした。アンジュルムならもっと正面からキャラソンしてもちゃんとはまる気がするので。
ヲタクをしていると、歌詞を読みながら「こういうテーマの歌詞として発注されたのかな」と勘繰る瞬間が何度かありました。
なんの証拠もない戯言ですが、もしこの曲がアイドルのシングルA面曲として(この考え方は私が意地悪すぎるだけだと思いたい)「恋愛をテーマに書いてほしい」とオーダーされていたら?
わざわざ遠回りしてこのメッセージにしてくれたことに、社会と主体性をめぐって戦いがちな一女性としては、アイドルに投影するのはよくないと自戒しながらも、やっぱり感謝してしまいます。