花の色は
桜が咲き始めそうな春めいた気温である。
昨晩は風の音で眠れなかった。春眠とも相まって、眠気が襲っている。
さて、表題についてだが、花の色について考えていたところ、『小倉百人一首』で有名な小野小町の和歌が思い出されたのである。
現代語訳は、以下の通りである。
花の色が移り変わり、枯れていくことを美しいと思っている。
一方で、枯れ果てた姿は衰えて直視しがたいものがある。
我々が人生の中で思い悩んでいる時間というのはどのくらいだろう。
かく言う私も決断することが苦手で、先延ばしにしてしまうことが多い。
もったいないとわかっていても、そういう瞬間は少なくない。
そして最終的に決断するのは、追い詰められた時なのである。
そろそろ、この習慣を変えたい。
人生はあっという間に過ぎ去っていく。
それが、今年が三ヶ月を過ぎようとしていることからもわかる。
そうした人生の中で何を選んでいくのかは、私次第であるが、やはりどちらかと言えば、なるべくようになると楽観的に構えているのが私の人生である。どんなに落ち込んでも、迷いあぐねていても、最終的にはそこにたどり着く。たどり着く先が決まっていたとするならば、それが早いか遅いかの話である。
やりたいことは、やった方がいい。
無論、これは自分に対して言っている。
この文章自体が自己内対話であると思って書いている。
私は新しい自分に出会いたいのだ。
すこし今までの自分には飽きた。
花の色は確実に移ろいでいく。
そのことをいつでも感じながら日々を過ごしたい。
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