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nyakopan
「生きることについての考え方、変遷と願い」
いつ自分の身体が無くなり魂だけになっても悔いはないと言い切れる生き方をしてきた。大それた野望は元々持っていなかったけれど、こまごまとした幾つかの夢や希望は、それを叶えるためのアクションをとってきたから、叶う叶わないは関係なく納得することができている。経験してみたいと思っていたことも興味があったことも、ひと通りやってきた。だから僕は、いつ自分の身体が無くなろうと後悔はない、と思っていた。しかし僕はいま、日を追うごとに守りたいもの、見届けたいと願う事柄が溢れかえり、絶対に長く、長く生きていたいと思っている。
老いてはいないが若くもないというくらいには大人になり、時代のスタンダードは既に下の世代にあると感じる。僕もそのなかで役割を変え、見守り助け見届けることこそがこれからの自分のすべきことだと考えている。ただ一方でそれもまた、単なる自分の希望でありエゴであることも理解はしているつもりだ。
とりたてて生き急いだり早く人生を終えたかったりしたわけではないけれど、大切な存在ができたことで僕は生きていかなければならないと感じ、自分の命を大切にできるようになった。僕がそう変わったように自分の大切な存在にも、過去現在未来含めて、生きてきたこと、生きていること、生きていくことを大切に考えられるようになってほしいと思っている。僕はそれを側でそっと見守り共に生きることで、自分の人生をより彩りある鮮やかなものとして完成させられるのではないかと感じている。自分にとっての「生きる価値」とは何なのかというのも、自ずと見え説明できるようになれたら、今度こそ本当に思い残すことはないと胸を張って言えるだろう。