サーカ・A劇場①『ピンク色のイグアナ』
派手な女だった。顔立ちもはっきりとしていて、濃いメイクが一層濃く見えた。モデルをしていたこともあったという。くしゃくしゃに整った髪に、古着のドレスという出立ちが、どこか、『ファイト・クラブ』のヘレナ・ボナム・カーターを思わせた。
知り合いの結婚式の二次会だった。カラオケでついた席で隣り合った。彼女も私も、歌うわけでも、騒ぐわけでもなく、酔っ払った福山雅治を、松田聖子を眺めていた。
「退屈ね」と外に誘い出したのは彼女の方だった。「タバコちょうだい」とそっけなく言われたが、「吸わないんだ」と答えると、彼女は自分の、鏡のような薄いハンドバッグから、真っ赤なマルボロを取り出して、火をつけた。
店の避難用階段の踊場から、灰を町に落としながら、彼女は自分の生い立ちを、デタラメに語り出したーー
3歳でビートルズを弾いただとか、小2でレンブラントを描いただとか、高1でカントを読んだだとか、蒸発した母親はタランティーノの映画に出てただとか、失踪した父親はロシアのエージェントだっただとか。
2人で、2月の深夜の町を歩いた。彼女は相変わらず喋り続け、マルボロの煙を吐き続けた。コンビニの前を通るたびに、私はビールを奢らされた。寒くて、おしっこが何度も漏れそうになった。
一軒の雑貨屋の前を通った。元カレがやってる店だという。「見せたいのがあんの」と、彼女は店の裏へと、私を引っ張り込んだ。
裏にはゴミ置き場があった。
「ここを足場にすれば、あの窓から中に入れるの。トイレになってて、上手い具合に下に降りれるわ。」
「…不法侵入じゃん」
彼女の言う通りだった。窓から侵入すると、ちょうど便器が足場になった。私はさっそく用を足した。
彼女はそこから店内へと、慣れた足取りで入っていった。店内は、統一感がない感じに統一されていたーー
『イングロリアス・バスターズ』のポスターに、ボブ・ディランの『ブラッド・オン・トラックス』のLP、ミリタリー・ジャケット、ドクター・マーチン、ハーレー・ダヴィッドソンのスポーツスター・タンク、フィッシュテール・マフラー、ウィトゲンシュタインの『青色本』、アインシュタインのポートレート、キン肉マンのマグカップ、ルー・リードのTシャツ。
彼女は「ヒッチコック」と背もたれに名前の入ったディレクターチェアに腰掛け、「ヒューマンガス」がプリントされた灰皿にマルボロを押しつけた。
「ここ防犯カメラとかないの?」
「そんなもの売ってないわよ」
彼女は勢いよく立ち上がると、「こっちよ」と私を、店の事務所に案内した。
「これよ、これ」と、布に覆われた四角い箱のようなものを持ってきた。
「何それ?」
「じゃじゃーん」彼女は布を外した。
スーパーマリオのブロックよりも真四角な檻だった。その隅で、驚いたような表情で、それはこっちを見ていた。
暗がりで光る目。ピンク色をした生き物だった。
「トカゲ?」
「イグアナよ、私のモモちゃん、かわいいでしょ、ねぇ〜モモちゃん」
彼女の表情が子供のように、パァっと輝いた。
「モモはね、かわいい顔して、けっこう凶暴なのよ」
「噛むの?」
「いいえ、犬を食べるの」
「い…犬を?」
「そう、モモちゃんの大好物は、白い丸々としたチワワよ」
ピンク色の尻尾に絡まれる白いチワワを想像した。イグアナの口から細い舌がチロっと出た。
「珍しい色だね」
「元カレがペンキで塗ったの。嘘よ。塗れるわけないじゃない」
「どこ産?」
「あんた、ウチのモモはね、イクラやマグロじゃないのよ。さ、モモちゃん、一緒に帰りましょうね」
「盗むの?」
「盗む? 冗談じゃないわ、人を泥棒みたいに言わないで。これは私のイグアナなの。返してもらうのよ。」
深夜の町を、私はピンク色のイグアナの入った檻を抱えて歩いた。彼女は相変わらず、喋りながらマルボロの煙を吐き散らした。
彼女は私の家までついてきた。「帰れ」とも言えず、部屋に上げ、ビールまで出してやった。
私の家に灰皿がないことにいちいち文句を言いながら、彼女は自分の将来を、デタラメに語り出したーー
春にはロンドンに行くだとか、来年にはパリで個展を開くだとか、いつかアカデミー賞を獲って、蒸発した母親にオスカーを送りつけてやるだとか、明日にでも父親を見つけ出して、日本政府につき出すだとか。
いつまで喋っていたのか、朝、目覚めると、彼女は消えていた。ビールの空き缶には、マルボロの吸い殻がいっぱい。
そしてピンク色のイグアナ。
彼女はそれを置いて行きやがった。
以来、私はピンク色のモモと暮らしている。その姿を見ていると、モモを置いていった彼女を思い出す。そっくりだ。確かに彼女のものだ。窃盗ではない。
檻から出してもやるが、その時は戸締まりに気をつける。近所の白いチワワが襲われるなんて事件、聞きたくもないから。