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〈付録〉写真で振り返る『無垢と経験(スペシャル・エディション)』

「その『曖昧な』主張を相手が理解するとき、2人の間の『言葉遊び/連想ゲーム』は成立する」
            「ポエトリー・ゲームズ」

 私にとって、「詩人」、また「詩」とは、幼少の頃より聴き続けている、古い「ロックンローラー」であり、彼らの書いた「歌詞」のことであります。12歳の時に、6つ上の兄に、まるで実験で使われるマウスかのように(きっと面白半分で)、聞かされたのが、「ロックンロール」と呼ばれるものでした。だいたいの「ロック少年」と同じように(この名称には、私の敬愛するジョーイ・ラモーンもきっと、含まれると思うのですが)、私もやはり、「ビートルズ」から、自身の「ロックンロール体験」が始まりました。
 それから、だいたいの「(自称・)ロック通」なる人々と同じように(私は決して、自分自身を「通」とは形容できませんが)、「ローリング・ストーンズ」や、「ボブ・ディラン」に、のめり込んでいきました。
 私は同時に、「映画」も愛しているのですが、「映画」も「音楽」も(「本」も、そして「新聞」も)、共通するのは、得た知識が「派生してゆく」という楽しさではないでしょうか? しかし、ビートルズから始まった私の「ロックンロールを巡る知識」は、やがて、ひとつの狭い「ジャンル」にとどまりました。
 それは私の場合、60〜70年代のロック・ミュージック、「ジミ・ヘンドリックス」や、「CCR」、「ザ・バンド」、または「クラッシュ」や「イギー・ポップ」、そして「ルー・リード」、そしてそして「オーティス・レディング」などなど(「映画」では、30〜40年代の「ハリウッド映画」のいわゆる「黄金期」)でした。ジャンルによってカテゴライズされた知識とは、「嗜好」の終着点であり、同音異義語で言い換えるなら、「思考」の限界であると、私は、この歳(もう46)になり、思うのです。(私の「沼地を進む」という詩は、このことを題材にしています。よろしければ、一読を)
 「知識」における、私にとっての「派生」の限界ーーしかし、それは同時に、私の大切な「居場所」でもあったのです。
 30年以上、浸り続けた、私の「居場所」ーー私の、自分で「詩」と呼ぶ、なんとも拙い文章には、そんな私の「居場所」が、それぞれの「名前」を通して、散りばめられております。そして、それこそが私の文章の中で、「私自身」を体現すると、私は「信じて」いるのです。
 私はそのことを、以前「私はどこに」という詩で、「生はひとつの芸術作品」と表現しました。つまり、「『創作』(もしくは、単に「言葉」でも)を通して、人と人はつながる」というのが、私自身のなんとも拙い「思想」の根幹であります。私がこの『無垢と経験』で多用した「信念」という言葉(又は、「信仰」、もしかしたら、「神」も)は、そういう意味合いであると、解釈して頂けると、また違った読み方になるのかなと、予感しております。
 さて、想定していた以上に「序文」が長くなってしまいましたが、ようやく『無垢と経験』という言葉に辿り着きました。今回、この「スペシャル・エディション」においては、2024年に書いた他の詩も、「ボーナストラック」的に収録させて頂きながら、『無垢』の後に続けて『経験』を読めるように、「マガジン」として編集させて頂きました。
 先程も述べましたが、私は「詩」と呼ぶ、拙い文章を投稿させて頂いているわけですが、その都度、これもまた「絵」と呼ぶには、なんとも拙い「落書き」を添えさせて頂いております。この絵(または落書き)は、一応に、これまた拙い「ストーリー」めいた、連続したものになるように描かれてあります。
 そこで、読者の皆様に、少しでも、私の描いた「絵」(もしくは、私の「苦労」(笑))に注目して頂けたらと考え、今回は、膨大に残った「絵」の「下書き」など(の一部)をご紹介させて頂きながら、ご一緒に、『無垢と経験』という「作品」を「鑑賞」していけたらなと考え、この文章を書きました。
 長い文章ですが、どうぞ、最後まで、お付き合いください。(それと、「友人」と話すような、くだけた表現になっていることをご了承下さい。ここまで、読んで下さる皆様は、「私の友人」と呼べるような方々だと、信じておりますので……)

1.「名前①」/「無垢と経験」

赤ちゃんと仔羊

 『無垢と経験』とは、ご存知の通り、イギリスの詩人、ウィリアム・ブレイクの偉大なる書物のタイトルから引用(盗用/パクリ、なんとでも)いたしました。2年ほど前に投稿した詩にも同じタイトルを使用したのですが、今回、「詩」についての、「自分なりの考え」を形にして、皆様にお届けする「マガジン」を企画したとき、真っ先に思い浮かんだのが、このタイトルでした。
 それと同時に、「無垢」、そして「経験」と、2つの対概念をテーマとして持った詩を、交互に発表していってはどうかと、思いつきました。

 『経験』の最初の詩、(その名もずばり)「無垢と経験」の絵には、こんな案もありました。

おじいさん、スチームパンク風に

 『無垢』の絵の主人公には子供たち、『経験』には、この「おじいさん」を使おうというのは、初期の段階から考えておりました。

お、おじいさん……?(笑)



2.「希望」/「私の深淵」

おじいさんを見つめる「死」

 「希望」と「深淵」という対概念は、別の企画で扱おうとしていたテーマでしたが、今回、『無垢』と『経験』、それぞれの前半部分のテーマに使いました。

初期の太陽おじさん

 「希望」という詩に、どんなイメージが合うのか、悩みましたが、「太陽」を採用しました。その後、「深淵」という詩には「月」を登場させています。
 太陽のモデルには、尊敬する志村けん氏を盗用いたしました。(「月」はもちろん、研ナオコ氏です。)

……勝てない(笑)

3.「オフスプリング」/「無垢とガチャピン」

ノーマン・ロックウェルの絵から構図を盗む

 「オフスプリング」というタイトルは、私の大好きな「ドアーズ」というバンドの、これも大好きな「クイーン・オブ・ハイウェイ」という(とても変な)曲の歌詞から引用しました。
 子供たちに角を生やしたのは、成長の過程で、挫折を味わい、「角をへし折られる」その様で、子供から大人への変化を、絵で表現しやすくするためでした。

トナカイみたいな角が生えた大人が、妙にアホっぽくてボツにしました(笑)
ムックとガチャピンとカメ。

 「無垢(ムック)とガチャピン」という詩は、単なるくだらないダジャレで、詩を書きながら、あまりのくだらなさに吹き出してしまい、詩の中でも、そのまま「アハハ、」と、吹き出した声を書き残しておきました。探してみて下さい。正直、くだらないですが。

4.「ノー・シェパード」/「ノー・テンプテーション」

「あのちゃん」のつもりらしい。
おじさんにとって、「若者」=「あのちゃん」?

 「ノー・シェパード」という詩は、「トー横」に集まっているという人たちをイメージしました。もちろん、会ったことはないですけど。

逆さまにしても使える。そもそも使わなかったけど……(笑)

 こんなこと書いていいのかわかりませんが、「ノー・テンプテーション」という詩はウケませんでした(笑)。そもそも、私の詩は(これを読んで頂いている皆様以外に)ウケてはいませんが、この詩は、群を抜いてウケませんでしたねぇ。だから、妙に愛着が湧いている詩です。
 こういうスタイルの詩は、書いてて楽しく、無限に書ける気がします。だから調子に乗ったのかもしれませんね……。

5.「大脱走」/「夢見る人」

こちらの絵も、ノーマン・ロックウェルの絵から、構図を(堂々と)パクりました

 『無垢』の絵は、3人の子供の成長を通して描いていきました。名前など設定されていませんが、メガネの有無や、角の形で、なんとか伝わってくれたらなぁ〜、と考えていました。先程も述べたように、それぞれの角が折れる様を描かれるのが、彼らの「役割」でした。

「夢見る人」の初期のアイディア。
……ちょっと、よくわかんないっす(笑)

 6、7、8月と、仕事が予想以上に忙しく、睡眠を削りに削って、制作していたので、「夢見る人」という詩のように、夢の中で、絵や詩をかけたら楽だなぁ、と妄想していました。

6.「深淵」/「私の希望」

「深淵」の月のモデルは「赤まむしぃ〜」
……凄い(笑)

 「深淵」は、「希望」という詩に書かれた言葉を、すべて逆の意味にして並べた作品です。暇なときにでも、2つの詩を見比べてみて下さい。はいっ、「逆だな」って思うだけです。

「私の希望」、最初の下書き。
(偉そうに)「色」からイメージを考えました(笑)。

 『note』を始めて3年。子供の頃は絵が得意だったのですが、大人になってから、描いたことなどなかった絵を、3年間、描き続けてきました。その間、何度も何度も、やめてしまおうと思ったのですが、なんとか続けることが出来ました。今では、「良い趣味」が出来たと、楽しめるようになりました。まだまだ苦労はしますし、(はっきり言って、生活に支障をきたすくらい)時間が掛かりますが、それも含めて、「創作」を楽しんでいます。はいっ、私はドMです。

7.「サリー・キャント・ダンス・ジョニー・キャント・サーフ」/「詩と現実」

「ロックンロール」っぽい絵にしたかったのですが……


 「サリー・キャント・ダンス」と「ジョニー・キャント・サーフ」で、それぞれ『無垢』と『経験』に、別々の詩として投稿しようと思っていましたが、そもそも同じような内容になりそうでしたので、くっつけちゃいました。もっと色々、「皮肉めいた」(もちろん、皆様に対してではありません!)イメージを繋げようかと思いましたが、「ノー・テンプテーション」で「失敗」したので、こんな形に抑えました。

「グレイハウンドバス」、かっこいいですよね!

 ここでは、『無垢』と『経験』を、「車」のイメージで繋げようと試みています。

8.「神のイメージ」/「人間のイメージ」

安心して下さい、
文字でオッパイを隠しきれています。

 「神のイメージ」は、ウィリアム・ブレイクの『無垢と経験の歌』にも同名の詩があります。ブレイクの「神のイメージ」は、とても美しい詩で、私自身の「哲学」と呼ぶ、拙い「思想」の根底でもある、「肯定」、「信念」、「祈り」が簡潔に表現されてあります。是非、読んでみて下さい。

めちゃくちゃ大変でした(笑)

 「神のイメージ」と対峙するのは、「人間のイメージ」という詩です。この絵が本当に大変でした。
 私の唯一の「娯楽」(または、「苦行」)は、「新聞」を読むことなのですが、中でも「楽しい」(どちらかというと「苦しい」)のは、毎日、3本の記事を選んで、それを小さなノートに「書き写す(!)」ことです。
 少しでも、文章を書く癖をつけようと始めた(皆様、「文章」って「筋トレ」だと思いませんか? 「ドM」の私だけでしょうか……)のですが、その際、気になった写真は切り取って、そのノートに貼り付けております。その写真の、「模写」を散りばめて、並べたのがこの絵です。

最初の下書き

 私の場合、絵の7割は「ネタ」と呼ぶ、このようなアイディアで、あとは「気合い」だと思っています(笑)。以前、「物体X(スライトリターン)」という詩で、このネタをやったのですが、今回はちゃんと色を塗りました。

9.「ひとりのピルグリム」/「シーフ・イン・ザ・ナイト」

「背景」が描けません!
今後の課題です(涙)

 繰り返しになりますが、私にとって詩とは、好きな音楽の歌詞です。今回の『無垢』並びに『経験』が、レコードの「アルバム」のようなものであったら、この「ひとりのピルグリム」は「シングルのA面」で、続く「シーフ・イン・ザ・ナイト」は「B面」と考え、この2つが、それぞれの真ん中に来るよう、詩の配列を考えました。
 「ひとりのピルグリム」で目指したのは「キャッチー」です。「キャッチー」という言葉の意味は知りませんが。

「夜の盗賊」の最初のイメージ。
裸で刃物持ってます。あぶないです。

10.「大空のハンティング」/「太古の詩人の古い炎」

「黄金比」みたいなもの取り入れました。
生意気ですね。

 「大空のハンティング」は、「ひとりのピルグリム」で登場した主人公の悲しい結末を絵にしてあります。「角」が折れています。この流れのイメージが、絵で表現したかった根底にあり、そこから、それぞれの絵を考えました。

バージョン①
真っ赤!
バージョン②
真っ赤っか!!

 私は「ブルース」という音楽を愛しているのですが、この「太古の詩人の古い炎」という詩のように、ブルースの歌詞の形式を取り入れた詩を、いくつも書いてきました。私のすべての詩の原形は、まず、ブルースの歌詞の形式で書かれています。ブルースの曲を口ずさむみたいに、詩を考えていきます。

11.「サッド・ソング」/「ハッピー・ソング」

「サッド・ソング」
初めは、もっと人数のいる「葬儀」でした。
「『無垢』は死んだ」と語る、『経験』の最初の「無垢と経験」という詩に登場する「狂人」はこの方です。

 「サッド・ソング」、並びに「ハッピー・ソング」は、私の最も敬愛するシンガーの1人、オーティス・レディングの同名の曲から、拝借した題名です。

オーティス・レディング。
「ファ・ファ・ファ」って、どっから思いついたの?

 「オーティス・レディング」、私の詩の中で、1番多く登場している「名前」です。
 彼の音楽は、というか「音」(拙い表現で申し訳ございません。私の語彙力で、オーティス・レディングへの愛情を表現するには、想いが深すぎて、あらゆるイメージが一瞬で、吹き出してしまい、うまく表現できそうにありません)は、「ダイナマイト」であり、工事現場の「コンクリートを砕く機械」であり、「過激」でありながら、「切なく」歌われる「メロディの美しさ」は、どんな時でも、私を支える、まさに「心の拠り所」であります。

12.「リトル・ガール・ロスト」/「リトル・ガール・ファウンド」

「色」を塗る前に、一度、力尽きました。チ〜ン

 「ジャングルの王(リトル・ガール・ロスト)」の絵も大変でした。「ジャングルって……」、「ジャングルの色って……」、と弱音の連続で、このネタを思いついた奴を殴り倒したくなりました。ま、自分ですけど。
 この頃より、夜更け(正確には、もう朝方)に、私の机に「イマジナリー・フレンド」が現れ、色々「ダメ出し」をしてきました。

絵から「少女」が抜け出し……
自分に似た男が「愚痴」を言い始め……

 「リトル・ガール・ロスト」と「リトル・ガール・ファウンド」、それから次の「リトル・ボーイ・ロスト」と「リトル・ボーイ・ファウンド」は、ウィリアム・ブレイクの同名の詩からタイトルを、(またしても)頂きました。

「リトル・ガール・ファウンド」のネタ出し。
こちらでも、絵が「勝手に」喋っています。


13.「リトル・ボーイ・ロスト」/「リトル・ボーイ・ファウンド」

「リトル・ボーイ・ロスト」
子供たちの表情が怖い(笑)

 今回、「詩」についての、私なりの「考え」をまとめて、皆様にお伝えすると企画したとき、「回帰」というアイディアが、私の中に生まれました。それは、大人の「経験」と、幼い子供の「無垢」という「矛盾」を孕む2つの概念を繋げる、ある種の「キーワード」として、私の中で大きくなっていきました。
 そのイメージとして、思い浮かんだのが、幼い子供の手のひらで彷徨う大人の姿でした。私にとって、それは「恐怖」のようであり、何かに守られるような「安心」めいたものを感じさせました。

おじいさんの死。
「わしはここじゃぁぁ」

 一方で、「リトル・ボーイ・ファウンド」の絵は、ここまで、『経験』を引っ張ってくれた主人公、「おじいさん」の最期を描きました。

14.「名前②」/「ポエトリー・ゲームズ」

 11月中旬、ついに私の机は、「イマジナリー・フレンド」たちに支配され……

「落書き」に「ペン入れ」してみました(笑)
ペンって難しいですね……(汗)
チャンチャン♪


 最後の「ポエトリー・ゲームズ」という詩には、最も私の言いたかったテーマが書かれております。すなわち、「『創作』とは記憶を遡ること、過去へと『回帰』すること」という考えです。ですから、絵の方も、1番最初の「名前①」という詩の絵に「戻る」という意味合いも込めて、同じ絵をトレースしてあります。

「名前①」
「ポエトリー・ゲームズ」
この絵に、様々な詩に登場したイメージを描き込みました。
疲れました(笑)

 この他にも、引き出しに、膨大な枚数の「下書き」や「落書き」が残りました(笑)。日の目を見ることはありませんが、今回の記事を通し、私の「絵」に、注目が集まってくれたら本望だと納得し、今度の「資源ゴミ」の日に出そうと思います……(涙)。

終わりに

 写真を添えて、こうして、自分の考えや、感想などを投稿するのは、あまりない経験でしたが、やってみたら、けっこう楽しく、あっという間に、こんなに長く(7,100文字!)書いてしまいました。2024年を振り返る良い機会にもなって、また(いつか)挑戦してみたいです。
 2024年は、本当に駆け抜けました。「もう二度とやりたくない」というのが、今の正直な感想ですが(笑)、また「ネタ集め」から始めて、「詩」を書き、「絵」を考え、皆様にお届けできたら、と考えています。今はなんのアイディアもありませんが……。
 最後まで、読んで頂き、ありがとうございました。
 では、また! よい1日を!!


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