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小さい頃に見た流星に敵う空を



いつかこの記事を、父親に見せる日が来るのだろうか。

私の人生を語る時、絶対に外せない登場人物として父がいる。
本人には言ったことはないが、世界で一番尊敬しているし、畏怖の対象でもあるし、なんというか良い意味で複雑だ。それなりに生きた今の私や妹のことも、いまだにまるっと子供扱いをする。それこそ「親にとっては幾つになっても可愛い子供」という言葉がある通りで、自分でいうが父には大きな愛で包んで貰っていると思う。


そんな父が、今年に入り大病を患った。
家でうずくまって動けなくなってしまったところをなんとか動いてもらって、病院に行った、と。母からの電話だった。そこから飛んで帰って色々して、そうこうしているうちにひと月以上が経ち、さらに流行病のせいで私は東京から実家へと帰ることがかなわなくなった。そんな生活になり、半年以上が経つ。

ありふれた病名、ありふれた患い方。そして、治療法。ドラマでも、本でも、漫画でも、読んだことがある。癌ではないけれど父が一番なりたくないといっていた体になってしまっていたらしく、電話先の声が少し沈む日もあった。

妹宛に比べれば少ないが、父は大の電話好きで、よくからかいの電話をかけてくれた。元から多かった電話の量が、さらにちょっとだけ増える。休みの日、仕事の帰り。父は自由に電話をかけてくれた。


父の言葉はいつだって単純だ。

「がんばれ」

「大丈夫だ」

「泣くな」

短調な言葉で、でも私が使うよりずっとずっと力強い。笑い方も豪快で、しなやかで強くて、美しい人だと思う。そんな人の娘だから、ちょっとくらいは自信だって持ちたいなんて思うのだ。


心を与えて 貴方の手作りでいい
泣く場所が在るのなら 星など見えなくていい


小さい頃から、心の在り処を探すようにして今に至る。手探りで見つかるはずもなくて、その都度遠く空に手を伸ばそうとしたことがある。心ってどこにあるの、といまだに思うけれど答えなんて出た試しがない。

それでも、思うのだ。
仕事帰りに家の近所で見かけたご老人。小さい背中に父の面影を見て、数歩後ろをいつもよりもゆったりとしたペースで歩いたとき。
心配しながらかけたはずの電話で逆に心配をされ、「もう子供じゃない」とムキになって言ったひとことが予想以上に語気が強くなってしまったとき。
それを聞いた父の声音が、どことなく嬉しそうで。それと同じくらい寂しそうなのもわかってしまったとき。

そう感じた時に、心があるのだ、と。誰かを大切に思った時に、もうすでにそこに芽吹いている。




子供じゃなくなった私にできることは、案外限られている。それは距離や時間の問題でもあるとは思うけれど。いつまでも可愛い子供でいることができない自分に少しだけ切ない時もあるが、それが生きることだと割り切っている。



父の実家はど田舎で、そこから帰る道すがら、渋滞に捕まった夜に素晴らしい流星群を見たことがあった。窓を少し下げて空を見れば、真冬の冷たい空に溶けてゆく吐息の向こうでいくつもいくつも星が流れていく。記憶には魔法がかかるから、もしかしたら美化されているのかもしれない。でも忘れられないほど本当に美しかった。私が小さい頃の話なので何年も前の記憶だが、一番強烈に残っている記憶である。


鬼束ちひろさんの「流星群」は、星を題材にした歌というよりかは、その星が見えないような夜でも降る想いを大切にしている歌だと思っている。大切にしているというよりは、失わないように必死に抱き留めているような気がする。誰かにしっかりと「伝える」ことに念頭を置いた言葉は難しいもので、一番素直でいたいときにうまく言葉にならないことばかりだ。


たらればばかりを、本当はやめてしまいたい。
電話を切る都度、心配ばかりで言葉が尖りがちな私に何度辟易としたか。

星が綺麗に降った夜を、その都度思い出す。

「おとうさん、おほしさまがながれたよ!きれい!」

そういって運転席に乗っている父の肩をとんとん叩いた。あの頃の無垢さがあれば、とまたたらればが心から溢れる。こんなに言葉を覚えたというのに、言葉にできることなんて一握り程度だ。



そんなことを思う夜は静かに過ぎていく。

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