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フラミンゴに連れて行ってもらった世界旅行から2年が経った





私が生まれた年に、九龍城が崩壊した。






いや、正確には1994年あたりだから、私が3〜4歳の頃にしっかりと取り壊されてしまったらしい。その事実を知ったのは、高校生の時の倫理の授業中、先生と同級生の雑談の中だった。




小学校低学年だっただろうか。図書館にやたらと通っていた時があった。私が通っていた片田舎の町の図書館には、だだっ広いグラウンドが隣接していて、いつも友達とそこで遊んでいた。外で遊ぶの半分、本棚を片端から読むの半分、どっちも好きだった分いつも悩みながら「今日はお外であそぶ!」「今日は本を返さないとだから本読んでくる!」としたものである。



雨が降っていた日だった。風を伴った雨粒が図書館の高い屋根に乱暴に叩き浸かる音だけ、いつもより人気のない館内にこだましていた。奥はほの暗くなってそうで怖いからと、窓際で蛍光灯がよく当たる場所に陣取って重たい図鑑を開く。



世界の名所が載っている本だったと記憶している。
私は今でも日本国外へ行ったことがない。父母も同じで、さらに飛行機嫌いだったため、父方の実家に帰る時以外遠方という遠方に出向いたことなどなかったのだ。日本は小さな島国だと学校で習ったばかりの私にとって、その重たい図鑑がパスポートであり飛行機であり、自由自在に「海外旅行」へ連れてってくれたものだった。そこで、私自分の指先で測れないくらい大きな建物があることを知る。



中でも、九龍城はかつて香港に存在したとてつもなく大きな砦で、華やぐとは程遠いほど怪しく色とりどりの看板が立ち並ぶスラム街だった。当時は言葉の意味などよく知らなかったが、人の手で勝手に作りあげられたと言わんばかりの紹介文に他とは違った雰囲気を感じたのを覚えている。人が集う場所、国があるはずなのに国の手が届かない無法地帯。平和ボケした小さな頭にとんと響く冒険心が、探究心と手を繋いで踊り始めたのがわかった。きれいな花などないが、そこに渦巻くものをのぞいてみたいと思っていた。


…そして、冒頭に戻る。結構な長い年月を経て、在りし日の九龍城はもうお目にかかれないと知って小さくショックを受けたものだった。




あれからさらに何年も経ち、そんなことも忘れていた頃。日常的に聴いている好きなアーティストの新譜(表題にある通り2年前のことなので、その当時の新譜である)が私の耳に届いた。ソニーのイヤホンCMのタイアップで、腹底にリズムよく響く不気味なベース音に耳を傾ける。



宵闇に 爪弾き 悲しみに雨曝し 花曇り
枯れた街 にべもなし 侘びしげに鼻垂らし へらへらり



米津玄師さんの「Famingo」だ。
聞いた曲は当たり前のように格好良くてドキドキしたのを覚えているが、もっと違うところで心が鳴り響いている。

幼い頃の探究心ごとにじみ広がるようにして心が染まった、あの懐かしい感情。
九龍城に対して抱いた気持ちが、胸の奥の棚からこぼれる様だった。


すかさず、MVを開いた。
MVの撮影地は地下駐車場でほの暗く、「駐車場にあるご飯屋さん」として話題になった中華屋「帝里加」だ。




赤を基調とした服を着た米津さんが、フラフラと足を引きずりながら駐車場の通路を歩んでいくシーンから始まる冒頭。それもダンスの一貫と、次の挙動が気になり目が離せなくなる。酔う様に歌い、巻き舌や咳払い、路地裏で大衆居酒屋を前にした時のような音が少し混ざった。切り替わる音に先ほどの景色が揺蕩うようで、余韻を残して大サビへと移る。




何周目かで、ほとんどの音が母音「い」で終わることに気がつく。
それと同時に、九龍城内にて煙草をくわえながら薄暗い店内で笑っていた男性の写真を鮮明に思い出した。薄汚れた場所で不衛生に売られた食べ物、ホコリかぶる棚に陳列された雑貨。幼い頃に見た写真の記憶だから、全てがエモく縁取られているかもしれないけれど。なんというか、あの時の「もう見れないんだ」と悲しんだ感情が溶け出して消えていったのを感じていた。




口の形を「い」にして、半笑いの先に燻る。
米津さんの妖艶な指先が、建物の暗がりの先で手招くように動く。



夢を見せてもらった時の感覚によく似ている。
ファンとして勝手に気持ちを重ねて綴ったこの文章は、レビューというよりは独りよがりな思い出語りだけれど。音楽とともにある生活でよかったな、と思わずにはいられない瞬間だった。





(冒頭の写真は全然関係のない、横浜中華街の思い出写真です。ごまだんご美味しかった)


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