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欄干伝いに心と足取り弾ませて


先日文鎮となっていた私であったが、本日は様子が違った。

早起きして野菜たっぷりのスープを作り、洗濯を終え、その間にシャワーも浴びた。しっかり化粧をすれば、自粛期間で手を抜いていた顔が少しだけ垢抜けて見えた気がして随分と気分がいい。文鎮ではなく人らしくなった瞬間だった。

あらかた家事を終え、身なりも整えた。準備が整いドアノブに手をかける。
夏日の名残が香った。この時期が好きだ、夏の終わりは幼い頃から変わらず好きである。

ついこの間、アンナチュラルを見終えた話を綴ったが、そのあとすぐにMIU404を観た。知り合いに「夏が終わる前にぜひ観てほしい」と言われたからでもあるし、一刻も早く観たかったからでもあるが、正直に話すともう5周くらいはした。その話は後でするとして。


端的に言うとロケ地巡礼をしてきた。本当に着の身着のまま、小さいバッグに愛用のデジカメと財布、携帯を持って。秋になり掛けの時特有のねちっこい日差しを受け、早々に日傘を持ってこなかったことを後悔した。腕まくりした薄手のパーカーからのぞく腕がやけにじりじりとする。少し焼けてしまったらとも思ったが、足が止まらない。早く目的地に着きたくてたまらなかった。

最終回、舞台になった場所で写真をいくつか撮った。

歩きながらここはあのシーンと繋がってる、ここでああなったのか、と演者さんたちが歩いた軌跡を歩いてみる。


私は、物づくりがとても好きだ。感動しいな心のおかげで、きっと人より多くの感銘と感動を受けてきた。自分の生活に浸透するほど、そして人生に大きな影響をもらうほどだ。自分はひどく空っぽで、そのくせひねくれていると自分のことを思ってきたからか周りがやけに眩しい。だからこそ、第一線で活躍してる人達が格好良くて、堪らない。

自分もああなれるだろうか。

そう思えたのはとても早かった。

自分はああなれないな。

そう諦めるのも早かった。


そうしながら、結局諦められないことばかりで「どうせなら楽しいことをたくさんする人生にしよう」と、確実に諦めた日から10年ほど経った今、物づくりをし始めている。人とはわからないものである。


演者さん方、とりわけ俳優というお仕事はとても素晴らしいと思っている。私が目指したわけではないけれど、諦めることに慣れ切った心によく喝をいれてくれていた。そして、慰めもしてくれていた。その演技に助けられていた。音楽や文章と同じくらいに。それについてはいつか詳しく書き記したい。覚書として、ここに置いていこう。


ドラマの中で、主人公がもう1人の主人公に語りかける重要なラストシーンがある。橋の欄干に寄りかかりながら、対照的な2人が心を重ねていく。

その行間を、言葉のあいだを、読めるような豊かな人になりたいと、思っている。

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