きみへ、今日の日記

この一か月、一気にいろんなことが起こった。
自分とたくさん向き合った。今まで目を背けてきたところも見ようとして、息苦しくても向き合って、自分の脆さをちょっとだけ知った。
大切な人たちとも向き合った。今までにないくらいぶつかって、向き合おうと頑張った。自分を押し出して、自分を大切にして、自分を大切にしてもらおうとして、頑張った。相手に対する自分の愛にも、向き合った。

それから、私は”誰か”を探していた。
私の生い立ちも、私の複雑な感受性も、私のまだ見ぬ私さえも、
探して、見つけ出して、受け入れてくれる誰かをずっと探していた
でも相手を間違ったみたい。
それに、握りしめていた宝物を見つけたんだ。
目の前にいる友達が、どれほど私へ深い愛をくれていたのか、どれほど私のことを大事にしてくれていたのか、本当の意味で私は全然理解できていなかった。

あなたへ、いつも本当にありがとう。

あなたが私にくれる愛を、私は、今もこれからもずっと、もしかしたら死んでも理解しきれないでしょう。でも、少し前よりも今の方がより愛を感じて受け取れるようになったと思ってるよ。私のことを愛してくれてありがとう。いつも、話を聞いてくれて、受け止めてくれて、あなた自身の頭で考えて、あなた自身の感受性で解釈してくれて、本当にありがとう。ありがとう。

あなたは気付いていたかもしれないけれど、私は自分の感受性と、若さと、性格とにいつも振り回されているんだと思う。こんな当たり前のようなことに気づき出したのは、おそらく最近なんだ。それまでは、周りのみんなも何も考えていないようで実は街を吹き抜ける風の匂いに心を躍らせて、校門の前に並び立つ銀杏の木に挨拶しながらお気に入りの幹を見つけて、好きな音楽を聴いて意識が飛んでしまいそうになるほど心地よくまた苦しくなって、どうしても絵を描いたり詩を書いたりしないと呼吸が苦しくなる日があるもんだと思っていた。でもきっと違うんだね。私は多くの人が感じないことも感じている人なんだね。もちろん、人によってものごとの捉え方や日常の中における出来事への感じ方は全然違うはずなんだけど、私はたぶん多くの人よりもいろんなことを受け取って、振り回されてしまっているんだね、きっと。そう思うようになったんだ。

私は”誰か”を求めたけれど、うまくいかなかった。”誰か”になってほしいと願った人は、私のことを本当に大切にしてくれる人ではなかった。一人の人間が、大人びたように見えるところと、あまりにも幼稚な部分を併せ持っているんだから、それにみんなが同じように見えて考えていることも感じていることも違って、時間とともにコロコロ変わってしまうんだから、人間は難しい。
私は、私のことを本当に大切にしてくれる人としか大切な人生を過ごしたいと思えない。私はほんとうにお互いを思いやれる人としか一緒の時間を過ごせない。私が頑張って分かり合おうとしても、応じてくれない人とは友達ではいられない。ヘラヘラした薄っぺらい友達を続けたいなら、私と本当に向き合おうと思わないなら、あなたと友達で居ようとも思えないの。私が関係性を壊したんじゃなくて、お互いの価値観が、考えが、気持ちが、つり合わなくなったってだけだと思うの。それを自分勝手に縁を切ったなんて思わないでほしい。私のわがままなのかもしれない、でもね、私は自分を大切にする努力をしているの。邪魔するんだったら止めてほしい。

”誰か”なんて求めるんじゃなかったな、でも私は求めてしまった。これからも求めるのかもしれない。でもそれだけ自分を大切にできるようになったってことなのかな。
それにしても、人間ってこんなに些細なことで悩めるんだね!
ねえ、でも私の人生を自分のものにできるようになってきたよ。
今日もおいしいごはんを食べることができて、幸せだった。あなたの夢がいいものであるように今日も祈って、おやすみなさい。

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