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私はキャリーじゃない!『40代主婦による鮮烈デビュー作!』から4年目の冬~#01~

▼『彼岸花』を投稿するまで

コロナ禍を40代なかばですごすなか、90年代を思い出していた。イルで重苦しい雰囲気。でかくなる一方の権力に屈服することしかできず、弱いモノをさらにたたく空気感。従えただ従えという圧。あの頃。世紀末の若者時代の気持ちが蘇ってくる。終わりの鐘が鳴っている。何か、何か、生きてるうちにしなくては。

あの頃、見たくないモノを無視し、聞きたくない音をかきけすために、映画や音楽が必要だった。コロナ禍もそうだった。ステイホーム。ホームのないひとはどうやって暮らすのか。わたしにとっては、映画と音楽だけが、悪魔がくれたミルク&ハニー。10代の時も40代の今もそうだ。家ですごし、評価の高いマンガも読んでみた。全然ノレなかった。

40を過ぎてから、他人のマンガをよんでいても、なにひとつ面白いと思えなくなった。自分が読みたいマンガがない。自給自足してみるか?D.I.Y.はパンクスピリッツ。

90年代とコロナ禍を描いてみようかな。死と暴力をテーマにしたマンガとかどう?自分に問いかけた。ちょとした思いつきだった。

▼『彼岸花』の世界観の構築~「フィルム・ノワール映画からの影響」

「90年代とコロナ禍をいったりきたりで物語ることができないか?」そこで参考にしたのが、40年代、50年代~のフィルム・ノワール映画(や後継作品)だ。

わたしはフィルム・ノワールが大好きだ。ビリー・ワイルダー『深夜の告白』『失われた週末』『サンセット大通り』/ジャック・ターナー『過去を逃れて』/ハワード・ホークス『三つ数えろ』/フリッツ・ラング『緋色の街/スカーレット・ストリート』/アルフレッド L. ワーカー『夜歩く男』/エドガー・G・ウルマー『恐怖のまわり道』・・・思いつくだけ適当にあげたが、もっともっとある。

日本映画なら?鈴木清順『殺しの烙印』の絵作りは痺れるようなかっこよさと意味不明さ。内田吐夢『飢餓海峡』もクライテリオンでは日本のフィルム・ノワール(ジャパニーズ・ノワール)に分類するらしい。え?そうか?とは思うが、私の中で燦然と輝く邦画一位。

フィルム・ノワールの後継と論じられる映画たちまで入れると、もはや手がつけられない。マーティン・スコセッシ『タクシー・ドライバー』、デビッド・リンチ『ブルーベルベット』、パク・チャヌク『別れる決心』・・・ダメだ、もっともっと、かききれないほどたくさん。もうたくさん。

フィルム・ノワールは虚無的・悲観的・退廃的なテイストをもつ戦後の映画ジャンル。ノワールは黒。夜と雨の描写が多い。主人公は中年のアンチヒーロー。アンチヒーローはヴィラン(悪役の主人公)ではない。平凡退屈で無能。ハードボイルドにも近接するジャンルだが、主人公が揺らぐ、汚れるのがノワール。

殺伐とした都市風景を背景に、陰影の濃いスタイリッシュな絵作りや、過去と現在をいったりきたりする複雑な時系列の語り口が特徴的。主人公はシニカルな中年男性で、運命のオンナ(ファムファタル)に翻弄され、大抵の場合、破滅する。過去に執着する男が、過去を回収したと思った瞬間に死ぬか牢屋に入るか、心の牢獄に閉じ込められて終わりだ。要するに「自由なんてないよ」というバッドエンディングばかりの暗いストーリー。人生はそんなもんじゃないかとわたしは思う。

病んでいて信用できず、みさげはてた中年が、過去と男を愛さないファムファタルに振り回される・・・その設定をわたしは<男・女>ではなく、<女・女>でやりたいと思った。

ファムファタル(運命の女)の内面が全く描かれないのはなぜなのか。なぜ幻のようなファムファタルに主人公はこれほど支配され、転落していくのか、まるで取り憑かれているようだなと映画を観ているとき思っていた。だから『彼岸花』ではファムファタルを死人(幽霊)にした。

フィルム・ノワールはミソジニー(女性蔑視)が強いジャンルだ。登場するオンナたちの内面は描かれず、ただ男を破滅させる存在でしかない。ファムファタルが悪女として描かれる理由には、当時の労働や家庭に関する価値感が大きく関わっている。

第二次世界大戦後、帰還兵たちには働く場所と家庭が必要になった。それをかなえるためにも、戦時中に工場労働などに従事していた女性達はイエに戻された。この時代に労働する女や結婚してない女は、男にとっては家庭も自分の労働も脅かす対象だ。だから家庭をもたない若い美女は、中年男を破滅させる、男を愛さない悪女=脅威として描かれる。

ファミリーやイエの維持を阻む悪のアイコンがファムファタルだ。だからオンナの内面は描かれない。外見だけピッカピカ。愛すらもたないただの記号。

ファムファタルを中身も愛もあるオンナとして描く。名前は愛。主人公は愛に囚われた生きる屍。キョンシー。
氷河期男女の労働を。イエに家族にとらわれ、がんじがらめの人たちの苦しみも描こう。映画の中でも最もミソジニーが強いこのジャンルにフェミニズムの要素を足して、オンナの苦しみを、ファミリーとイエの解体を描く、そんな物語を創ったら、ジャンルの意味を解体・更新できるのでは?
わたしのなかで、だんだんこのマンガの構想ができあがっていく・・・

それはワクワクするようなことだった。おいそれと外にでられないコロナ禍にあって、わたしの頭の中だけはどこまでも自由に空想にふけることができた。
 
氷河期の40代男女で、フェミニズムにたっぷり影響された話を、フィルム・ノワールタッチで、90年代とコロナ禍を舞台にやる・・・ヤベーこれはやらなきゃいけないやつだ、批評性もけっこうたっぷりあるチャレンジじゃね?

絶対やりとげよう。そう決意して一目散にとりかかった。今思えば、更年期の苦しみ、コロナ禍の苦しみからの現実逃避だったと思う。厭なときはいつだって妄想でごまかしてきた。

他人に評価されたいという気持ちは全くなかった。ただやってみたかった。絵と言葉で物語ることだけは、自分にだってできるんだってことを証明したかった。わたしがマンガでやりたいことは、まだ誰もやってなさそうなことに思えた。誰もやっていないことだけが、アートとして価値がある。この作品を自費出版するためには金がいる。枚数がたまったら賞にでも出すか?そのぐらいだった。

そしてこの思いつきに取り憑かれてしまったことで、わたしの人生は死を毎日考えるほどツライことになっていく。(つづく)


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青色ひよこ
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