10/23-10/25「猫にふれる」
今私の中で読書ブームが来てて、私の日記は本当に文章のインプット量に比例するのでかなり筆が乗ってます。
10/23
働いた。
暇だから考える委員会
かなりレギュラーな暇委員会という感じがした。
前回宿題として出された柔道部の動画の話から繋がった学生時代の話、めっちゃ面白かった。本当に他のどこでも聞かない“あの感じ”が突然取り出されて懐かしくも少し苦しくもある感情でめちゃくちゃ笑えるの、このライブならでは。
柔道部の動画はいくつかしか見ずに行ってしまったので、全部見ようと思った。
櫻井さんの今後の話も面白かったし、「6年目ってもう芸歴に追い詰められる年なんだ」と驚いたりもした。
あわだつ大喜利
カベポスター永見さん主催の大喜利ライブ。メンバーは流動的。
今回素人目に見てもかなり難しいお題が多かった。答えやすいお題で一題の回答時間を長くいくライブもあるけど、今回は難しいお題を早めに切ってどんどん出す感じだった。
北川さんが今日も多答ですごかった。両方元から埋まり気味のスケッチブックだったのかもしれないけど、予備の分のスケッチブックまで使い尽くしてた。MBP(MVP)も獲得。
告知用切り抜き動画にも入ってた絵回答めっちゃ可愛かった。絵本のような絵柄。
酔っ払いのやましたさん、実況の真輝志さんなど、おのおのめっちゃ得意な答え方があるのも面白かった。
10/24
働いた。
定時退勤の日。ライブなし。
最寄りの本屋が閉まるというので、その本屋にある本のうち別に今すぐ欲しいわけじゃないけど読もうと思ってた本を全部買った。小学生の頃、毎週金曜日に母と一緒に来て本やマンガを1冊買ってもらったりしていた本屋。数年前から母と危ないかもしれないという話をして、めいめいその本屋で買える本はでかい本屋で買うのを我慢してそこで買うなど、できる協力はしていたつもりだったけどとうとうというところらしい。なくなるの悲しいです。
ONADAIの配信を見た。
例えば炎タキノさんとバッテリィズ寺家さんという大阪学院大学出身の2人が大学の学食を食べに大学に行ってきたことを話す大阪吉本がやってるZOOM配信ライブの形の一つ。
インスタライブでもできることをお金もらってやるのはどうなのかという向きもあって、その舐めがより客数を減らしてる感じもあるんだけど、そこに紛れて無料で聞いていいわけないいい話(ゴシップとかでなく)が聞けてこれでこそ有料配信だと思った。
学食バラエティという隠れ蓑はやっぱり変すぎるけど。
終わって、縫い物しながらパスピエの「&DNA」を聴いた。2週間ぐらい前にネットで買ったもの。
パスピエ、小学校高学年から中学までの一番音楽を聴いてた時期にめっちゃ聴いててそれからずっと好きなんだけど、ほぼ中学までに出たCD持ってる曲(「娑婆ラバ」まで)だけをずっと聴くみたいな聴き方してたから、これを機にアルバムを追うの再開しようという試み。普通に考えたら今の私に大した理由もなくサブスクにある曲をCDで買い直すようなお金の余裕はないんだけど。
でもこれめちゃくちゃよかった。
知ってて好きなシングル曲もたくさんあって、でも知らない曲でいい曲がめちゃくちゃあってすごかった。新しく知った曲では、「やまない声」と「おいしい季節」がめっちゃ好きだった。「おいしい季節」のリフめちゃくちゃかっこいい。リフ、自分が演奏するとなると本当にめちゃくちゃ苦手だけど、聴く分には大好き。
これ見て寝た。
10/25
働いた。
考えて動かないといつまで経ってもできひんままやでと言われた。
わくわく!翔世代別新ネタライブ
野西さんがルーデンス主催であることを知らなかったぐらいのルーデンス安田さん単独主催の新ネタユニットライブ。
幸のとりは新ネタ縛りを忘れて(?)ガチガチのありネタをしていた。実際は新ネタがただ間に合わなかっただけなのかもしれないけど、オープニングで聞いて普通にそうなんだと思ってしまった。私がぼーっとしてるのもあるけど新ネタとタイトルに入っているライブで新ネタ縛りを忘れてきてもそうかと思わせる幸のとり側の要因もあると思う。
みんな大好きなありネタをして、福嶋さんの「ガチガチネタすみません…」でネタ終えてた。
ルーデンスの骨組み命みたいなネタも新ネタの時から言い方の面白さが輝くミステリーハンターのネタもよかった。ルーデンスのネタの前半、あまりの羅列にびっくりした。
この本読み終わった。
私は本を読み始めた地点を記録に残してるんだけど、この本読み終えるまでに2ヶ月ぐらいかかった。大事な本だと思って最初の数十ページで止めてた期間が長いから、実際読んでたのは1週間ぐらい。
「さわる」「ふれる」の違いに始まり、人と人との接触について哲学や倫理学についての知識が薄い私でも読めるぐらいわかりやすく書いてある本だった。
私は人にはあまり接触しないけど猫にはたまに接触するので、猫のことを考えた。
猫をさわる/猫にふれる。
私は猫カフェに行く時など「猫を触りに行く」と言うことがあるので、私は猫を「さわる」人間だと思っていたけど、この本で言えば私の接触の仕方は「ふれる」に近いかもしれないと思った。
猫カフェに行って猫に接触する時、私は猫の毛並みを「さわる」ことを目的にはしていない。猫の鼻先に指をしばらく近づけて許可をもらった後、頭や背中、あごなどをブラッシングするように撫でる。
嫌なさわり方をしたり気分じゃなかったりしたら猫は起き上がって立ち去るし、噛みついてきたりパンチしてきたりすることもある。その可能性もわかった上で、猫がなるべくそういう行動に出なくて済むように過去の接触の経験上猫が嫌がらなかった仕方で猫を撫でる。
人間の撫で方が猫にとってそんなに悪くなかったら、猫は目を細めたり頭を手に押し付けたり、首を伸ばして撫でる場所を指定してきたりする。私はその通りに撫でる。猫はたいていの場合そのまま寝る。
猫が実際どう思っているのかは知りようがないし、「ふれている」というのは私の思い上がりで猫の方はちょっと嫌だけど触らせてくれているという可能性もあるけど、猫の反応ありきの私の接触は「ふれる」に近いのではないかと思った。
猫が膝の上に乗ってきている時にも、猫にふれている感じがする。こちらはただ座っているだけだけど、猫の重さ、あたたかさを触覚で感じる。最後に猫カフェに行った時にも、こちらは何もしていないのにもふもふの生き物が膝の上に乗っているという状況について考えたけど、あまりよくわからなかったのでまた猫カフェに行って考えようと思った。
猫以外でも少し考えて、高校が女子校で同級生との距離が全体的に近かったからその頃は日常的に友達と腕組んで歩いたりしてたなと思った。今はもうその感覚はない。なんとなくみんなそんな感じだったから自然にそうしていた気がするけど、そういう慣習的な接触、接触の空気というものについて考えてみても面白そうだと思った。
本文中の、「さわる」が「ふれる」を内包していて倫理の及ばないほど高次のものへの接触は「さわる」になる場合もあるという部分、難しかったのでもう一度読みたい。