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湖月の君 便り④
長野から便りが届いたのは、それからすぐのことだった。
真理子のために飾られた玄関の雛人形の横に、それは置かれてあった。
もしかしてと思ったけれど、その封筒の文字は見慣れた俊之のものではなかった。
差出人は稲村良子、住所は長野県下水内郡栄村と書いてある。
たしかに女性らしい筆跡だった。
少し大きめの封筒に、二枚の便箋がたたまれており、一枚目に手紙が書かれていた。
小辻真理子様
突然のお手紙で、驚かれたことと思います。
小和田俊之の妹の、稲村良子と申します。
生前は兄がお世話になっていたようで、ご厚情ありがとうございました。
兄のいた病室の引き出しに、あなた宛ての葉書を見つけました。
兄がこれを、あなたに本当に出すつもりだったのか、そうでないのか、私にはわかりません。
少し迷ったのですが、ここに描かれた絵を見ていると、やはりあなたの元に行くのがいちばんいいような気がして、こうしてお便りさせてもらいました。
会ったこともない私からの手紙で、困っておいででしょうか。
ごめんなさいね。
私も、会ったことのない、お名前も聞いたことのなかったあなたを通して、私の知らなかった兄の世界を見ているような気がしています。
葉書は、おそらく兄が東京の病院にいた頃、描いたものだと思います。
お納めください。
2月28日
稲村良子
真理子は手が震えるのをおさえるようにしながら、急き立てるきもちとは裏腹に、ゆっくりとその葉書をとりだした。
絵を見て、真理子は言葉をなくした。
欅の木。
お花屋さん。
猫。
それから傘。
俊之らしいタッチで描かれたこの鉛筆画は、きっと彼があの席から眺めていた風景だ。
俊之さん、見えますよ。
欅の木は、濡れて光っているでしょう。
猫はあの黒猫ですね。
雨はもうやんでいますね。
傘は、赤い色ですね。
見えます、とてもよく、見えます。
俊之さん……!
葉書の宛て先は確かに真理子になっていた。
懐かしい俊之の筆跡が、溢れる涙で滲んで見える。
差出人のところには、俊之の住所も名前もなかった。
ただ、これだけ記してあった。
「藤村 惜別ー3」
なんだろうと、真理子にはそれがわからなかった。
ただ惜別という文字が、お別れを表すということだけは嫌でもわかった。
きっとこの絵のタイトルなのだろう。
誰かの名字だろうか。
どこかにある村のことだろうか。
そんなことを思っていた。
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