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湖月の君 もう少し①

展示会は金曜日から日曜日の三日間行われる。
受付には常に誰かがいるよう、交代で予定が組んである。
真理子は土曜日の朝から夕方までの担当になっている。
初日はもちろん仕事が終わったら顔を出したいし、最終日の夜は片付けもある。
それ以外でも、友人から連絡が来ればできるだけ直接会ってお礼を言いたい。
なにより会場に行けば俊之とも会えるかもしれないと思うと、この3日間は真理子にとってかけがえのない時間なのだ。

予定表を見ると、初日の受付は俊之になっている。夕方から夜は野上。
土曜日は夕方までが真理子で、その後はまた野上。
そして日曜日は時任夫妻が一日を務める。


会場の準備を終えて家に帰ると、真理子はクローゼットを開けた。
金曜日は仕事あがりだけれど、土曜日と日曜日はどんな服を着ていこうかな。
髪の毛のアレンジは。
アクセサリーは。
足もとは……。

普段はネイルはしない真理子だったが、その時ばかりは少しでもと思って、スマートフォンでサロンを探した。土曜日の夕方に予約がとれた。

初日、仕事を終えてから会場に着くと、野上が笑顔で迎えてくれた。
「おつかれさま!」
「野上さんも、受付ありがとうございます。どうですか?」
「うん。まあまあかな。午前中はさみしかったけど、午後は案内状をもった人たちがちらほら来たよ。たぶんだけど、時任さんちの関係じゃないかな」
「そうですか。明日はもうちょっと増えるでしょうか」
「だと思うよ。今日はまだ平日だもん。やっぱり土日がメインだよ」
「そうですよね。私、まだじっくり見てないんですけど、見てきてもいいですか」
真理子が言うと、
「もちろんだよ。いってらっしゃい!」
野上は笑って送り出した。

まず八重子の絵が迎えてくれる。少女の絵だ。
タイトルは『あの日』。
これまでも、八重子の作品は少女の絵が多かった。
銀色の額に収められた、うつむいた女の子の横顔。
ひとつに纏めた髪の毛とおくれ毛の形が、かわいらしくも大人びている。
鉛筆画でありながら、十分な存在感を放っていた。
さすがだなぁと真理子は心から思った。

つぎの絵も八重子のもので、全体が可憐なピンク色をしていた。
『だきしめて』
チューリップの花束を抱きしめた女の子が、白木の額で縁取られている。
物憂げな表情が、恋の切なさを物語っている。

その隣は象徴的で幾何学的な野上の絵だった。
「いつも思いついたままに線を描いているだけ」という彼の絵だが、彼は線を操る才能があるのだと真理子は思う。
彼は線と友だちなのだ。
野上は額縁も使わない。
絵にはたまに色がついていたりもして、どれも気ままな猫のような印象がある。
『光這』『螺涙』『泣鳴』と、いつも読み方のわからないタイトルは、ただひらめいたままで、野上自身にも読み方や意味がわからないらしい。
タイトルをどう読んでも、何の絵だと思っても、見る人にまかせるというのが、自由で素敵だなぁと真理子は思う。
初めて野上の絵を見たとき、
「すいません……何の絵だかわからないです」
と正直に言うしかなかった真理子に、
「いいのいいの!僕にもわかんないから」
と歯茎まで見せて野上が言ったのを真理子は覚えている。
野上はほんとうにいい人だ。

その次には俊之の絵。
何度も何度も目を凝らして見た俊之のこの絵は、どう見ても真理子が夢のなかで見た景色とおなじだ。
心にある風景だと俊之は言っていたが、実際に見た景色なのだろうか。
『還る場所』。
もしかしたら、思い出の場所なのかもしれない。
大切な人がそばにいたのだろうか。
そう思いかけたけれど、きもちが下がってしまうといけないので、真理子は頭をぶるぶると振った。

そして、このなかでいちばん大きな絵が真理子を待っていた。
『神々の穂高』時任隆夫。
雪に覆われた連峰が、水面に反射して下半分にも描かれている。
靄がかかっていて透明感があって、幻想的で神秘的な絵で、息をのむ。
絵の前で立ち尽くす自分は、壮大な山々を前にした小さな小さな存在でありながら、やはりこの大自然の一部なのだという気がしてきて力をもらう。
すごいです、時任さん!

『梓川 黄昏時』時任隆夫。
ああ、梓川なら知ってるわ。最初に真理子が思ったことはそれだった。
両親と一緒に、昔何度か行ったことがある。水の美しさに感動して、水ってこんなに透きとおっていたんだと、そればかり思った記憶がある。
この絵の清流もほんとうに綺麗で、流れの向こう側の、金色に染まった樹林の具合で、黄昏時なのもよくわかる。

その向こうは赤く縁取られた真理子の作品がふたつ。
ふたつでひとつの作品。タイトルは『雨、雨、雨』

最後にはもういちど、八重子の絵が。
ああ、私この絵好き!
見たときすぐにそう思った。
つたが絡まっている白い壁と、その窓から外を見つめる少女。
秋の色をした絵で、遠くを見ている少女の目尻がとても優しい。
クリーム色のカーディガンで包むように、大切な人をそっと想っている絵なのだと思う。
『窓辺』。
こげ茶色の額がこの絵とよくとけあっていた。


「野上さん、見てきました」
受付に戻ってきた真理子に、
「おかえり~。よく見れた?」
と野上が言った。
「はい。自分で言うのもなんですけど、この展示会とても素敵だと思います」
いつになく元気な真理子に、野上も嬉しくなって、
「やっぱりそう思った?僕もそう思ってたんだ。自分が客だったら、来てよかったと思うよこれは」
そう言った。
それから斜め下に真理子を見て、
「ほんとは、今日一緒にご飯でもどう?って言いたいとこなんだけど、また玉砕するのもつらいんで、思いとどまってます」
ストレートに様子をうかがってきた。
「そうですよね」
そう笑って言うしか真理子にはできなかった。それで野上もあきらめた。

「そういえば小和田さんが明日も顔を出すって言ってたよ」
野上がそう言っていたから心がはしゃいで、真理子は歌うような足取りで家路についた。

早く寝て、綺麗な自分で明日を迎えたいと願った。


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森宮雨
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