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湖月の君 赤④
展示会前日になった。
野上の車を借りて、作品を搬入する。俊之も真理子もその車に同乗した。
真理子の作品を、俊之はまだ見ていない。
俊之は鉛筆で雪景色を描いて、それを白い額縁に収めた。
移動しながら、野上は相変わらず嬉しそうによく喋っている。
それに真理子が笑顔で応え、俊之は黙って窓の外を眺めていた。
到着すると、全体の配置が美しくなるようにと皆で話し合いながら、場を作り始めた。
俊之が自分の絵を吊るしていると、真理子が近づいてきて、そして絵を見るなり「えっ」と言って息を呑んだ。
そのまま絵の前で立ち尽くしている。
どうしたのかと思って俊之が黙っていると、やっと俊之を見上げて、
「これ……この場所……」
と、震える声で真理子は言った。
俊之はふと、出逢った日の会話のことを思い出して、
「これも、私の心にある風景です」
そう言った。
真理子は目を見開いてから、涙を滲ませた。
「こんなことって、あるんですね。……私、これとまったくまったく同じ景色を、夢で見たんです」
そう言われて今度は俊之が言葉を失くした。
真理子はかまわずに、ただ絵に向かって言っている。
「信じられない……。あんまり綺麗だったから、また見たかったんです」
その真理子の姿から、奇跡のようだと彼女が思っていることも伝わって、また俊之自身も本当にそんな気がしてくるのだった。
「小辻さんの作品も見てみたいです」
俊之がそう言うと、真理子はうれしそうに笑って、
「あのふたつです」
と指を差した。
斜めにふたつ飾られた絵は、遠目にも額縁の赤が際立っていた。
真理子のあとからその絵の前に立つと、俊之はああ、と思ったあとで、しみじみとそのふたつの絵を眺めた。
大きいほうの絵は、全体に淡く優しい緑色で仕上がっている。向こう側にパン屋と、手前は遊歩道だろうか。木々の間にベンチがある。その両脇には鮮やかに青の紫陽花が咲いていて、ベンチの下には雨宿りしている黒猫がいる。その猫の瞳も透きとおったメロンのような色だ。人々は影として描かれていた。絵は雨の降り方や雨音まで物語っていて、気温や湿度さえも感じさせた。冷たくも優しくも、憂鬱にも穏やかにも感じさせる雨を、愛情豊かに表現していた。
小さいほうの絵は夜の絵で、街灯と信号機の色が濡れたアスファルトに反射して光っている。街路樹の様子が寒い季節を謳っている。雨の夜に月はかかっているはずもないが、見えなくともたしかにそこにあるのだということを思わせた。濃いめの色を重ねて描かれたこの作品は、それこそ情熱的だった。
どちらの絵も真理子らしい色づかいで、これが彼女の才能なのだとよくわかる。両方とも雨が描かれているせいか、作品にはみずみずしさと湿り気がたちこめている。
「あの、どうでしょうか」
心配顔の真理子に気づいて、我にかえった。
「ああ、すいません。見入ってました」
そして、絵についてよりも先に、額縁のことを言った。
「赤を使ったんですね」
「あ、額縁ですね。はい」
そう照れ笑いをした真理子に、
「また勇気を出したんですね」
と言った。
ほめたようなからかったような、よくわからない言い方をしてしまったと思いつつ、絵の感想を伝えた。
「どちらも、色味がとてもいいです。小辻さんにかかったら、この世界のどんな色でも、何色が入っていても、美しくなるんですね。すごいです」
「いえ、そこまでは」
真理子は恐縮した様子を見せた。
「ほんとうですよ。逆に私は色のついた絵は描けません。自分には向いてないんでしょう。だからその分、そこに潜んだ色彩を表現したいと思ってます」
すると真理子は、
「見えますよ」
と言った。
「小和田さんの世界に散りばめられた色が、私見えます」
そして手のひらで花の形を作って
「どんな色にも可能性がひらかれている、とても素敵な絵だと思います」
まっすぐな瞳でそう言った。
「ありがとうございます。恐縮です」
俊之は素直に単純にうれしく、ありがたく受けとった。
それぞれが絵を飾り終えると、男性陣はテーブルに赤いクロスをかけ、受付や帳簿の確認をした。
八重子は華道もたしなみがあるのか、正面に大きく花を生けている。
そして真理子は、一輪挿しにさりげなく花をしつらえていた。
その姿がとても穏やかで幸福そうだった。
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