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湖月の君 かはたれ③
父親が倒れた知らせを受けたのは、真理子が絵画教室にいる時だった。
突然の出来事で、電話の向こうの母親も相当に混乱していた。詳細はわからないながらも、父親が救急車で運ばれたことや急いで来て欲しいということは伝わって、真理子も気が動転してしまった。
タクシーで何とか駆けつけ救急外来に着くと、ベッドの横に母親が座っており、父親は横になっていた。
「お父さん、真理子が来てくれましたよ」
父親の腕がぴくりと反応した。
「お父さんね、脳震盪ですって。どうやら昨日頭をぶつけた影響らしいのよ」
「今は?」
「さっき少しお話もしたわよ。もうしばらくここで様子をみて、大丈夫そうなら帰れるらしいわ」
ああ、よかった。
安堵した真理子は思わずしゃがみこんだ。走ったからか汗も滲んできた。
それに気づいた母親は
「お茶を買ってくるわね」と部屋を出ていった。
寝息をたてている父の傍でほっとすると、突然教室でのことがよみがえった。
迷わずタクシーを呼んで、真理子を見送ってくれた男性のこと。
それが画廊で出逢ったばかりの、あの小和田俊之という男性だったこと。
タクシーを呼んでいる際の彼の後ろ姿、かけてもらった言葉や眼差し……意識も記憶もしていなかったはずのことたちが一気に浮かんできた。
足元からふあーっとしてきて、のぼせるような感覚に襲われた。
今思うと、なんて素敵だったのだろう。
まるで映画のワンシーンみたい…。
何度も何度もその時のことが思い出された。
それから小和田俊之は本当に真理子にとって特別な存在になった。
憧れの人。
羨望の人。
遠くても近くに感じられて、でもやっぱり遠い人。
手が届かなくとも、かけがえのない人。
美しい景色を見た時「綺麗ですね」と、一番に分かち合いたい人。
最後まで片恋かもしれないと思ってみたとしても、真理子の心は紅くなるばかりだった。
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