湖月の君 便り③
訃報が届いたのは、ちょうど真理子が教室で絵を描いている時だった。
おなじ部屋で電話を受けたオーナーが、
「えっ」
と驚いた声をあげた。
その声に、みな静かに耳をそばだてる。
どうやら誰かが亡くなったのだ。
真理子の鼓動が一気にはげしく鳴りはじめる。
電話が終わると、立ったままのオーナーに八重子が訊いた。
「どなたかが亡くなられたの?」
「小和田くんだよ」
オーナーの返事に、
「ええっ!」
と八重子は悲鳴のような声をあげた。
隆夫がそばにきて、オーナーと話をはじめた。
真理子はそれを、映画のワンシーンを見ているかのようにして遠く見ていた。
ずっと大事に手のひらであたためていた硝子のティアドロップが、突然地面に落ちて割れてしまったような気がした。
粉々に、砕けてしまった気がした。
オーナーの話では、もう葬儀も済んで四十九日も近いらしい。
癌が発見されたときにはすでにステージが進行していて、当初東京の病院に入院していたが、最期は長野に帰りたいと言い、地元の病院で息をひきとったそうだ。
「四十九日が近いとすると……亡くなったのは一月の半ばくらいですかね」
いつのまにかそこに居た野上がそう言った。
「小辻ちゃん、顔色悪いみたいだけど、だいじょうぶ?」
うまく返事もできずに固まっている真理子に、かばうように八重子が言った。
「親しかった人とのお別れは、誰だってつらいわよね。まだ若いから、私たちほどお別れにも慣れていないし、ね」
そのとき真理子は、ああこの人は自分のきもちを察してくれているのだと思った。
「ちょっとむこう行こうか。ふたりでお茶でも飲もう?」
そう言ってそっと手をまわし、八重子は真理子を支えるようにしてキッチンに連れて行った。
「さあ腰かけて」
真理子は八重子に言われるままに腰かけた。
お茶を淹れてくれる八重子の後ろ姿を、からっぽみたいになったままじっと見ていた。
「はい、どうぞ」
ことん、と静かな音で目の前に置かれたカップの中身を見たとき、真理子は限界が来た。
ミルクティーだった。
ああ!
肩や肘を震わせて慟哭する真理子を、八重子はしっかり抱きしめた。
俊之も一緒に5人でお茶を飲んだこと。
そのとき真理子はミルクティーを飲んでいたこと。
それを八重子が覚えていてくれたこと。
八重子自身だってつらいはずなのに、この人はいまこうして自分に寄り添ってくれている。
八重子はやわらかく、あたたかかった。
手のひらから大切なものが零れてゆくのが耐えられなくて、粉々になりかけた自分がいて。
でもそこにはもう、そんな自分を支えてくれるたしかな存在があるのだ。
そのことが、こんなにも、かなしくて、やさしい。
真理子は八重子にしがみついて、吐き出すようにして、乾くまで泣いた。