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幾千の夜に微笑む秋月の女神へ
“春花秋月”という言葉がある通り、古来から秋の夜に佇む月華は他の季節と比較にならないほど美しいとされています🌕
そんな今宵の秋夜は屋根の上で、静寂な夜空に目と耳を傾ける機会を儲けながら本稿の話を起こして参ります📝
闇夜の静寂に佇む包容の女神
日本では“中秋の名月”と呼ばれて久しい秋の風物詩である“お月見”🎑
優しい秋風に靡くススキを飾りつつ、収穫祈願に月見団子と酒を供えて夜空に想いを馳せてきました。今もなお、その美しさは変わることなく人々を魅了しています✨
ホラ、この手にあるお猪口が何よりの証拠でございますれば…笑🍶
さて、屋根から視点を少し落とせば、永遠の暗闇が続く“漆黒の大地”に、青や赤、黄色、紫など色彩豊かな小さい灯が静かに瞬く。仕事帰りか、家族団欒か、はたまた私とよく似た旅人か…想いを巡らせるとキリがない🔭
この“人の営み”という灯りのない数千年の昔、人々は地ではなく天に煌めく灯りを追いかけながら、漆黒の海に浮かび上がる壮大な物語を綴ったという。現代でそれは“星座”♈️と呼ばれ、各国文化圏の違いを越えて世界各地の人々に親しまれていますね💁♂️
そんな漆黒の大海原の灯船に紛れ、まるで灯台のごとく輝く巨船がある。高貴で、秀麗で、可憐にして妖艶にして崇高の姿に誰もが目を奪われるに違いない。
月<moon>🌕
ローマ神話ではルナ<Luna>、ギリシア神話ではセレーネ<Selene>の名を持ちますが、いずれも“月の女神”を指す言葉です🕵️
“女神”に例えられる月の美しさたる所以は、その“在り方”ではないかと。
太陽の無き頃合はその可憐で優しい輝きを以て世界を静寂で包み込む。その輝源は太陽であるが故に太陽の存在は絶対理ながら、太陽が在る頃合いはその荘厳な姿を以て表舞台で輝くことは決してない🤦♂️
ゆえに…私は思うのです。
天空に煌き数多を照らす“太陽”よりも、静寂に佇み数多を包み込む“月”の方が美しい、と。
女神の表情と人の心
幾千年にも渡り人々を魅了する、この美しき“女神”には“表情”があるという。幾夜、いや毎分毎秒ですら僅かに変化するんだとか💁♂️
改めて意識しながらその荘厳な姿に目を移すと、確かに見る度に印象が僅かに異なる気がしなくもないから不思議である👀
ちなみに、視覚は極めて不確実性の高い感覚器官の1つ。錯覚や心の持ち様で簡単に映し出すモノが変わってしまう。その意味では、表情を意識したことで都合よく視覚に反映されたと考える方が事実らしいんですよ🧑🔬
ただ、“表情を読む”とは究極的には自身の心理状態と無関係ではいられない。何せ“他人の表情”とはすべて自身の“視覚”という名のフィルターを通して見た在り方でしかないからです💁♂️
視覚を通して見ることを前提とした上で初めて人の“表情”という概念が生まれる…見る者の心理状態と無関係に“表情”の有無を語ることは滑稽ですね📝
すなわち、“女神の表情”もそれを見る者の視覚フィルターを通して現れる幻影…と片づけることは容易いですが、“人”と異なる点として“月”自身には感情も意志も全く存在しません🙅♂️
もし“女神の表情”が変化して見えたのであれば、それは見る者の心の在り方が変化したことを意味する👀
例えば悲しい心で見ると“哀愁の表情”😿を、恋慕の心で見ると“恍惚の表情”😺を浮かべる。“月の表情”とは自身の心を映し出す“鏡”と定義する方がより最もらしいと感じるんですよね✨
果たして今宵の女神の心情はどう映るのか…皆様も名月と謳われる明夜に輝く女神に刹那の想いを馳せてみては如何でしょうか?それでは💁♂️