#4 発達障害なのか?愛着障害なのか?それとも…
お久しぶりです!
約半年ぶりの投稿ということで、心機一転、
ハンドルネームを変更することにしました!
「おにぎり先生」
…変な名前ですよね(笑)
というのも、私は現在教職大学院の2年生で、
来年には小学校教員として現場に出て働きます。
あと、今年度は非常勤であったり会計年度のバイトをしていたりと、
いろんな場面で「先生」と呼ばれることが増えてきました。
そこで、まだ学級担任をもったこともない人間ですが、
「先生」としての振る舞いをそろそろ自覚しようと思い、
まずは名前から入ろうと思った次第です(笑)
あと単純に🍙が好きです(笑)
ということで、今後も書きたいときにぼちぼち書いていこうと思いますので
よろしくお願いします!!
今回のテーマは、
「発達障害なのか、愛着障害なのか」
です。
①発達障害とは…
と書かれていますね。では、愛着障害はどうでしょうか。
②愛着障害とは…
それぞれ「障害」として扱われているものですが、
「先天的な発達的特性」によるものなのか、「後天的な養育者とのきずな」によるものなのか、要因は全く違うのですね。
現代の教育現場では、
「発達障害なのか愛着障害なのか、見分けがつかない」
という問題があります。
それぞれ、「多動性」「注意力」「コミュニケーションの困難さ」
などの点で、共通した行動をみられることはありますが、
実際、「何が背景」にあってその行動がみられているのかを理解できていなければ、
誤った対応になってしまいます。
インターネットをみると、
両者の見分けのポイントを紹介している文献がありましたので、
こちらを参照したいと思います。
見分けのポイント
こちらの本では、見分けのポイントを
4つ紹介しています。
(以下、筆者が要約)
とのことです。
なお、こちらの本は
Amazonでも購入することができるようです。
Amazon.co.jp - 事例でわかる! 愛着障害―現場で活かせる理論と支援を | 米澤 好史 |本 | 通販
今回、発達障害と愛着障害の見分け方についてまとめてみましたが、
クライエントの背景によっては、発達障害と愛着障害の両方をもちあわせている場合も
もちろんあると思います。
だからこそ、クライエントの行動観察から、
「何が背景にあるのか」「なぜこの問題が起きているのか」という
ことについて
的確なアセスメントをもとに対応をしていく、
クライエント自身が「困っている」ことに寄り添うことが
重要なのではないかなと思います。
最後に、私自身について
また、私自身のことを話すと、
私はこれまでずっと「発達障害傾向のある人間」と思っていました。
(※追記)
私は障害の“特性”はもっています。たまにそれが原因でしんどくなる
ときもありますが、毎日のように生活に支障をきたしている(=障害にな
っている)わけではないため、「傾向」という言葉を使っています。
それは、以下のような、
発達障害にみられる特性をもっていたことが理由にあります。
(例)・物忘れやモノを落とすことが多い
・イライラするとものにあたる衝動性
・よくコケる(注意欠陥)
・人との関わりが苦手
・見通しが持てないと極度に不安になる
・人と目が合わせにくい
・こだわりが強い
・整理整頓が苦手 など(笑)
しかし、「自分は本当に発達障害傾向なのか?」と思ったことがあるのです。
私は、実は一度だけ、
心療内科・精神科に通ったことがあります。
正直、「私、ADHDだから片付け苦手なんだよね~(笑)」という方々と
一緒にされたくないな…(笑)という思いや、
親に心配を掛けたくないという思いもあり、
専門医の方にみてもらうのもためらっていたのですが、
大学生のとき、あまりにもしんどい出来事があり、
過呼吸を起こしてしまったことがきっかけで、
足を運んでみようと思いました。
(大学生で実家から離れて生活していることも後押ししました)
その際、先生から、
「自閉症スペクトラム(ADHD、アスペ)の傾向、社交不安の傾向がある」
とお話を受けました。
自分はその話で共感する節が多かったため、
「やっぱり自分は発達障害傾向のある人間なんだ」
と思うようになりました。
しかし、昨年くらいに、「発達障害と愛着障害の違い」について
学ぶ機会があり、「発達障害は先天的」という話を受けました。
先天的…ということは、「母子手帳に気になる点があったら書かれているはず!」と思い、実家に帰ったときに母子手帳をみてみることにしました。
すると…
目立った行動の特性について書かれた記述は見当たらず…
あれ?(笑)
と思いました。流石に母子手帳には記録があるはずと思っていたら、
そのことについては全く書かれていなかったのです。
一方で、私は親から愛情を受けて育っていたものの、
親に相談することが苦手であったり、
人を簡単に信頼できない経験(#1参照)をしてきたり、
人に対する愛着に難ありな人生を歩んできたことを思い出しました(笑)
だから私はどちらかというと愛着障害の傾向のある人間なのかなと
自覚しました。
とはいえ、愛着障害では語れない特性も持ち合わせているという自覚もある(幼少期から無口でだれとも話さなかったそうです(笑))
そのため、結論としては、
「発達障害にみられる特性をもっているが、愛着障害の傾向が強い人間」
ということでいまのところ着地しています(笑)
発達障害?愛着障害?それとも…
一番最後に、なぜこのタイトルをつけたかについて自分の考えを述べて
終わりにしようと思います。
これまでつらつらと「障害」について語ってきたわけですが、
私は「障害」という言葉でひとくくりにしようとは思っていない、
どちらかといえば、それは危険ではないのか?という意見をもっています。
たとえば新たな学級の担任になった際、
前年度の担任からの引継ぎで
「発達障害をもっていて、服薬がある」という前情報をみていたとします。
するとどうでしょう。
はじめて会った子どもかつ、自分が担任として関わる子どもなのに、
「障害を持っているから、こういう対応をしよう」
という色眼鏡で子どもを見てしまうのではないでしょうか。
専門的な知識があるのなら、「障害」という言葉がありつつも、
「まずは目の前の子どもをみよう」という考えに至るであろうと思いますが、
専門的な知識がないと、単に「障害」に対する対応に目が向かれてしまい、
その子自身を見ていないことになると思います。
私はまだ現場に出て担任をもったことがないです。
だからこそ、
「障害をもっている」という事実だけでその子を対応するのではなく、
担任としてふだんのその子の様子を客観的・多面的にみて
アセスメントをしたことによってその子の対応をしたい。
という思いは現場に出る前からもっておく必要があるのかなと思います。
「それとも…」とタイトルに追記した理由、
分かっていただけましたでしょうか?(笑)
今回もまた長文でいろいろと書いてしまったので、
この辺で終わろうと思います。
次回更新はいつになるのやら(笑)
この度は、長文をここまで読んでいただきありがとうございました!
自分の記事を読んでいただいた方が、少しでも前を向いて生きていけますように。
失礼します!
🍙おにぎり先生🍙
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