4歩歩いた先にコーヒーがある 8
この前まで梅雨だったのに、いつの間にか明けていたらしくすっかり空は青くなり、そして暑い夏の日々が始まった。
「あっつ…」
みんながそう軽くぼやきながら仕事をしている。生花を扱っているため事務局だけでなく競りの現場の方も冷房はガンガンかけているが、それでも配達などで外に出ると物凄く暑い。
今日は用事があって銀行に行っていたが、本当に暑くて溶けてしまいそうだった。毎年夏を迎えるごとに暑くなっていっている気がして、来年は海が沸騰してしまうのではないかと思うくらいだ。
仕事を終えて帰ると、先に巡さんが帰って来ていた。
「おかえり、菫」
「ただいま。今日は巡さん早いじゃん」
「たまたま、ね。でもまだご飯はできてないからもうちょっと待っててくれる?」
「わかった」
私がそう返すと、あっと何かを思い出したように巡さんが声を出した。
「菫、疲れてるところ悪いんだけど。おつかい頼んでもいい?」
「お使い?別にいいけど。何買うの?」
「蚊取り線香」
予想していなかったもので驚いた。てっきり食材だと思っていた。
「蚊取り線香?それでいいの?」
思わずそう聞くと
「うん。近くのドラッグストアに売ってたよね?」
「あ、え、確か売ってたと思う。ちょっと行ってくるよ」
「ごめんね。帰ってくるまでにご飯作るから」
「大丈夫だよ。行ってきます」
私はそう言ってまたカバンを持って外に出た。仕事にまた行けと言われているわけじゃないから別に不快だとかは思わない。でもなぜ蚊取り線香なのかがわからなかった。
蚊取り線香を買って帰ると、巡さんが
「ごめんね、ありがとう」
そう言って迎えてくれた。
「これで今日は完璧な夜が過ごせるよ」
「どういうこと?」
「ははっ。まずは夕飯を食べてからだよ」
そう言われて私たちはリビングへと行く。今日はカレーだった。
「夏野菜カレーだよ。少し冷ましてあるから食べやすいと思う」
「美味しそう!いただきます!」
でも、確かに美味しかったけど。
こんな暑い日は正直冷やし中華とかサラダとか、冷たい系のご飯がよかったな。。
でもインド人とかは暑くてもカレーを食べるし、そういうものなのだろうか。作ってもらってるから文句は言わないけど、正直私はカレーより冷やし中華が食べたかったな……。
失礼だな、とは思いつつもどこかで不満を抱いてしまうのも事実だった。美味しいし顔には出さないようにするけど、でも不思議と美味しい以外の言葉が出てこない。
ひとしきり食べると、
「デザートもあるよ」
「デザート?」
すると、巡さんは台所へ何かを取りに行った。どうしたんだろう、そう思っていると巡さんが戻ってきた。手には二つ、カップアイスが入っていた。
「スーパーでかき氷みたいなアイス見つけたから買っちゃったんだ。どうせなら熱いものを食べた後の方が美味しく感じるかなって」
そう言って巡さんは私にアイスを差し出す。いちご味の氷菓だ。それも私が好きなやつ。
「えっ、あ、ありがとう…!美味しそう!」
そう言って私が蓋を開けようとした時だった。
「待って。どうせならさ…」
巡さんはそう言って窓を開ける。エアコンをつけていた部屋にムワッとした風が入ってきた。
「蚊取り線香も菫が用意してくれたし、どうせな空を眺めながら食べない?」
なるほど、蚊取り線香が欲しいっていうのはそういうことだったのか。私はそこで全てが理解できた気がした。
私は頷いて、
「うん!そうしよ!」
私たちはベランダに小さな椅子を用意した。蚊取り線香は巡さんが火をつけてくれた。
2人で並んでアイスを食べる。お祭りで買ったアイスを静かな場所で食べているかのような錯覚だ。
私は巡さんを見る。すると、巡さんと目が合う。
「ははっ。こうして食べると、お祭りにきたみたいだね。2人で静かな場所へ逃げて食べてるみたいな」
同じことを考えていたようで、思わず笑ってしまった。
「同じこと思ってた。花火大会とかもあるし、2人で行こうね」
「うん。約束」
巡さんはそういうと、小指を出した。成人を迎えるどころか中学生くらいから指切りなどしていない。照れ臭かったけど、それがまた愛おしかった。
私は照れながらも小指を絡めた。巡さんは嬉しそうに笑う。
「ほら、アイスとけちゃうよ」
「そうだね」
暑い夏。エアコンをつけた部屋にいて涼むのもいいけど。
こうしてどこかで熱を感じながら過ごすのも、たまにはいいんだろうな。