花を贈る君が
※この話は「4歩歩いた先にコーヒーがある」の出会いとなる話です。
花を贈る。それは現代こそ特別な意味合いを持つだろうが、昔では何のこともない、普通のことだった。ただきれいだから持ってきた。喜ぶだろうから買ってきた。君に似合うだろうから摘んできた。そうやって、人々の生活と花は密着していたのだ。
俺が働くカフェの近くには、高校と大学でお世話になった先輩が働く花市場がある。その先輩は女性だが、男女分け隔てなく接しいろんな人から人気だった。俺もその人にはとてもお世話になった。
ある春の日のことだ。4月の初めの、暖かい日だった。
「いらっしゃいませ」
先輩の神田静香さんが店に入る。
「どうも。ねえ曽根君」
「はい」
「今日は新人さんを連れてきたの」
そう言った神田さんの後ろから、少し背の高い女性が。黒い髪をポニーテールに束ね、黒いトレーナーにジーパンという、ラフな格好をしていた。
「加藤菫さん。うちの仕入れ、競りとかそういった現場の方の部署に今日から入った子。きっと今日からこの子もここの贔屓になるわ」
菫さん、は俺の前に立ち、
「かっ、加藤菫です。よろしくお願いします!」
初々しくもありどこか危なげな彼女。何か悪いものが触れたらすぐに壊れてしまうような、繊細でもろい。でもそれを見せないよう必死になっているように見えた。
なんだか放っておいてはいけない気がした。
「菫ちゃん、だね。よろしく。僕はこの店で働いてる曽根巡」
「曽根君が淹れるコーヒー、おいしいのよ。コーヒー飲める?」
「あ、はい。最近飲めるようになりました!」
それまでは飲めなかったのかと思うと可愛い・・・。
「じゃあまだまだ初めてだからそんな苦くないようにしてあげるね」
俺がそう言うと、
「私にもそうしてちょうだい」
「いや神田さんはいつも通り苦めにしますよ」
「なんで?!」
そのやりとりを見て笑う彼女を見て、胸が少し痛んだ気がした。でも、その痛みは決して不快なものではなかった。鼓動が少し早く、ビートを刻んでいた。
その日から数ヶ月経った。菫ちゃんは神田さんと一緒に、この店へ来るようになった。現場は大変なようではあったが、神田さんと一緒の時はいつも楽しそうだった。
「あ、そ、曽根さん・・・・・・!」
お会計を済ませて先に神田さんが店を出ていた。いつもなら2人で出るのに。
「ん?どうしたの?」
「これ・・・・・・!」
菫ちゃんはふと俺に、青い花を差し出した。青い蝶が舞っているような、可愛らしい花だった。
「これは?」
「わっ、えっ、えっと、あ、あげます!!」
そう言って俺に押しつけるように花を渡すと、彼女は足早に店を出て行った。
その日はあまり混んでおらず、ホールには俺とバイトのウェイトレスが1人と数人の客しかいなかった。俺は手に持っている花を見る。そして、彼女の顔を思い返す。この花とは真反対の、真っ赤な顔を。
「曽根さん、どうしたんですか?」
ウェイトレスの子に声をかけられハッとする。ぼーっとしていたみたいだ。
何なんだろう。こんなの、俺らしくない。
数日後のことだ。
「花をもらったの?」
その日は神田さんだけだった。俺は先日菫ちゃんから青い花をもらったことを話した。結果的に俺の部屋に飾ってある花の話だ。
「はい。青い花でした」
「青・・・・・・デルフィニウム、かしら」
彼女はそう言ってスマホを取り出す。画面を見ると、同じ青い花の画像が沢山出ていた。
「菫ちゃん、この花がすごく好きなんだって。品種によってこの花は形も変わるけど、どれも全て可愛いんだって」
「でも、なんでそれを俺に・・・?」
それもわからないのか、と言いたげな顔をした神田さんだった。俺は内心どういう意味なのかわかっていた気もしたけど、それはすぐに自分のうぬぼれだと思って打ち消していた。でも、俺はもう引き返せないほどに大きな気持ちを彼女に抱いていたことを、当時なぜか気付くことは出来なかった。
それから彼女は不定期に花をくれるようになった。市場で余っていたから、と言っていろんな花をくれた。デルフィニウムだけでなく、ガーベラやカーネーション、バラ、スプレーマム、ほかにも沢山の、俺の知らない花までいろいろ贈ってくれた。
しかし、菫ちゃんがこの店を初めて訪れてから1年半後、それが途絶えた。彼女が店に来なくなったのだ。前のように神田さんが1人で来るだけになった。神田さんもどこか寂しそうだった。
菫ちゃんが来なくなってから、俺の心にはぽっかり穴が空いたようだった。いや、1年前はこれが普通だったはずなのに。落ち着かなくて、そわそわして、慣れない感覚だ。
俺はたまらず聞いた。
「神田さん」
「ん?」
「最近、全然来ませんね。菫ちゃん」
すると、神田さんははあ、とため息をついた。
「あの子ね、本当に・・・・・・・・・」
心配とか不安とか、そんな感情がこもった顔をしていた。俺は神田さんの向かいに座り、
「何があったんですか」
「私は事務だから全部見たわけじゃないし、ほかのアルバイトとかパートさんたちの会話を聞いてるだけなんだけど・・・・・・」
「はい」
「菫ちゃん、酷いパワハラを受けてるみたいなの。それまでは自分が仕事できないからしょうがない、新人だから、ってずっと我慢してたらしいんだけど・・・・・・」
雷に打たれたような衝撃が走った。パワハラ?菫ちゃんが?
「ど、どういうことですか・・・・・・・・・?」
「あの子、入った当初から厳しい指導されてたのよ。でも入社してすぐだから、って言って我慢して乗り越えようとしたんだけど。もう今は、前みたいに明るい菫ちゃんじゃなくてね。どんどん痩せていってるし・・・・・・・・・」
俺は思うよりも早く立ち上がった。
「どうしたの?」
神田さんが驚いた顔で俺に言う。
「今日はもう上がります」
「えっ?」
「どうせもうそろそろ上がりの時間だし、行きます」
「どこに?」
「菫ちゃんのところに」
「えっ?ちょ、曽根君?!」
と神田さんが止めようとしたが、俺はさっさとスタッフルームへ行き、エプロンを脱ぎ捨てて鞄を取って店を出た。店の外は強い雨が降っている。台風が来てるとニュースでは言っていた。
菫ちゃんがどこにいるか。わからないけれど、心が彼女に会わなければいけないんだと叫んでいた。
雨で視界が悪い中、車を走らせる。どんどん雨は強くなっていった。どこまできたかわからないほどに来たその先に、黄色い軽自動車が止まっていた。その車には見覚えがあった。俺はその車の隣に車を停めた。そして、弾丸のように打ち付ける雨の中へ僕は向かった。
ここのどこかにきっと彼女はいる。そう思って歩を進めたときだった。防波堤のような大きなコンクリートの上に、ぽつんと立つ人影を見つけた。
その後ろ姿を見たとき、俺は
「菫ちゃん!!」
と声の限り叫んだ。しかしその声は大雨に消され、彼女には届いていないようだった。
俺は走って彼女に近づこうとする。雨でコンクリートが滑ってしまいうまく登れないが、
「菫ちゃん、菫ちゃん!!」
と、彼女の名前を呼び続けた。やっと彼女がいる場所にたどり着いたと思ったと思うと、彼女の身体がふわっと傾いた。俺はとっさに彼女の腕を掴んでぐっと胸元へ寄せて羽交い締めにすると、
「待って!!」
しかし彼女は
「嫌だ、死なせて!!今日なら死ねるの!!」
と、俺のこともわかっていないのか、暴れ続けていた。
「やめろ、そんなこと言うんじゃない!!」
「だって、ここで生きていたって仕方ないんだもん!いろんな人に迷惑をかけて、嫌な気持ちにさせるくらいなら、もう生きてる価値なんかない。こんなに苦しんで生きていくくらいなら、もう全部やめたいの!」
彼女の頬に伝わるのが雨なのか、涙なのか。それもわからないほどに今雨は降っていた。
「菫ちゃん!!」
俺は彼女を後ろから抱きしめるように抱き、
「君が好きだ!」
自分でも驚くくらい大きな言葉が出てきた。彼女は、驚いて動きを止めた。
「君と初めて出会ってから、君が好きだった。君に贈られる花を見るたびに、俺は元気が出た。花を愛でる君が好きだ」
初めてここで俺は菫ちゃんに抱いていた気持ちがわかって、すごく腑に落ちた気がした。今まで恋愛をしたことなんてあったはずなのに、ここまで大きな気持ちを抱いたのは初めてだったのだろう。驚きでもある。
「そ、曽根さん・・・?」
彼女は僕を見上げる。目は真っ赤だった。
「でも、私なんか、無理だよ。いや、無理だよ。だって、だって――」
そう言って菫ちゃんは崩れるように倒れた。
「菫ちゃん?!」
身体が熱い。雨でわかりにくかったけど、もう全身が熱を帯びていた。いやわかっていたはずなのに、それ以上に今彼女が本当に死へ向かうのを止めなければいけない、と必死だった。そして、彼女の身体の軽さがよりその事態を重くさせた。
俺は彼女を抱えてコンクリートを降りた。何度も滑ってしまったが絶対に菫ちゃんを傷つけないように降りた。そして、車に乗せて神田さんに電話をした。菫ちゃんを見つけたが自殺未遂をしていたこと、そして今雨に濡れて高熱が出ているということ、車で来ているのでもう1人連れて来てほしい、と。場所を言うと、そんなところに、と驚いていたがすぐに行く、と言ってくれた。
車の中で暖房をガンガンにつけて、持っていたタオルで彼女の身体を拭く。しかしもうすっかり濡れてしまった菫ちゃんは、とてもタオル一枚では暖められなかった。毛布もない。それなのに彼女の身体はどんどん冷えていっているようで、顔も身体も青ざめていっている気がした。
助けたはずなのに、助けられないのか、俺は。
何もできないのか、俺は。
好きになった人を、俺は助けられないのか。
俺は彼女の身体を抱えた。冷たい。今にも凍ってしまいそうだ。相当長い時間雨に打たれていたのだろう。心臓の音も弱い気がする。自分だって濡れているから無駄なのかもしれないとは思ったが、それでも菫ちゃんに比べればまだ暖かかった。
「菫ちゃん、だめだ・・・・・・。君は、生きなきゃだめだ」
涙があふれる。心の底からあふれるような、高い熱を持った涙。この涙で彼女を包めたらどれだけいいだろう。
「もう俺は、君がいない世界では生きていけない。君と出会ってから、君と出会う前どうやって生きていたのか俺は忘れてしまった。死ぬなんてだめだ、だめだ・・・・・・!」
涙が止まらない。失いたくない。やっとわかったこの恋心。それがこんなにも悲惨な形でわかってしまうなんて。君が花をくれたときに、全て気付けていたら。俺はなんて馬鹿なんだろう。
突然車のドアをバンバン叩く音が聞こえた。振り返ると神田さんと、神田さんの同級生で友人の反町さん、そして救急隊の人がいた。神田さんが救急車をここに呼んでくれたのだろう。
菫ちゃんは、救急隊の人に運ばれていった。
「状況を確認したいので、どなたかに同行をお願いします」
救急隊の人にそう言われ、俺が同行することになった。車は救急隊の人がなんとかしてくれるらしい。
救急車の中で彼女の蘇生措置をしながら、救急隊の人が俺に状況を聞いた。俺が駆けつけたときにはこの大雨の中、彼女が傘もささずに立っていたこと。そして、そのまま自殺を図ろうとしていたことを。気が動転していたこともありうまく話せなかったが、それでも救急隊の人はしっかり聞いてくれていた。
病院で処置を受け、しばらくして彼女は意識を取り戻した。救急車を追いかけて来た神田さんは、菫ちゃんに
「菫ちゃん、ああ!ごめんなさい、こんな・・・・・・!」
しかし、菫ちゃんは何も言わなかった。その瞳には、申し訳ない、という気持ちと、なぜ私はなおも生き続けなければいけないの、と訴えかけているような気持ちがいり混ざっている気がした。
その後、菫ちゃんはしばらく実家に帰ることになった。一人暮らしだったようだ。余計にそれが彼女を追い詰めていたのだろう。仕事の方は休職状態になったらしい。
このまま彼女は、こちらには来ないのだろうか。あれが、最後になってしまったのだろうか。結局菫ちゃんの気持ちがわからないままだった。いや、もしかしたら同じ気持ちなのかもしれないけど、あの日のことを思い出すたびに、うまくいかない気がした。
*
数ヶ月後。台風の季節も寒い冬も過ぎ、春がやってきた。そろそろ閉店の時間という頃、店のドアが開いた。
「いらっしゃいませ」
そういったとき、俺は固まった。
まごうことなき、菫ちゃんだった。かつてジーパンなどズボンが多かったが、ワンピースに白いカーディガンを羽織って髪を下ろした、とても女の子らしい菫ちゃんだった。
「す、菫ちゃん・・・・・・・・・・・・」
「突然ごめんなさい。今日来たらいるかなと思って・・・・・・」
菫ちゃんははにかみながら、
「この後、曽根さんはお暇ですか?」
「う、うん。暇だよ」
「お話ししたいことがあるんですけど、いいですか?」
「いいよ。店の外で待っていてくれる?」
「はい」
彼女はそう頷いて店を出た。俺はできるだけ早く閉店作業をし、そして店を出た。
店のすぐ近くにある街灯の下に、菫ちゃんは立っていた。
「お待たせ。どうしようか」
菫ちゃんは少し考えて、
「私も車で来たので、ついてきてもらっても良いですか?」
「うん、わかった」
そうして俺たちは駐車場まで並んで歩き、車に乗ると菫ちゃんは車を出した。僕もそれを追った。
30分くらい走らせたところで、菫ちゃんは道沿いの駐車場に車を止めた。僕もその隣に止めた。
海沿いの道で、日中は晴れていればとても美しい海が見えた。車を止めて写真を撮る人も多い。
車を降りると、彼女は夜の海を眺めていた。僕はその隣に立つ。
最初は彼女の話をしていた。両親には実家の方で職を探すように言われていたが、神田さんの計らいもあり事務の方へ行くことにしたらしい。最初のうちは両親も反対していたが、神田さんが直接両親に説得をし、納得してもらったという。結果的には彼女はまたこちらに戻ってくるようだ。
一通り話し終えて、しばらく当たりに静かに響く波の音を聞いていた。
「菫ちゃん」
俺がそう名前を呼ぶと、
「私、初めて会ったときから、ずっと、曽根さんが好きでした」
菫ちゃんはそのまま、俺の方を見ずに言った。
「でも、私は曽根さんより年下だし、私なんかよりずっとエレガントで素敵な女性がいると思って、諦めようって思ってました。でも、それができなくて、告白する勇気も出なかったけど、せめてお花は贈ろうって思ってたんです」
俺はずっと彼女の横顔を見ていた。暗がりでも、彼女が赤面している様子がわかる気がした。
「あの日、死のうと思って。本当に、私には生きてる価値なんかない、って、本気で思ったんです。それでも、曽根さんが来て、助けてくれて、好きだって言ってくれて。嘘でも良かった。すごく嬉しかった。でも、それ以上に、あんなに迷惑をかけてしまったことが申し訳なかった」
菫ちゃんは、僕の方に向き直った。そして、頭を下げた。
「本当に、沢山、迷惑をかけてすみませんでした」
菫ちゃんの肩は震えていた。あの日のことを思い返す。絶望に満ちた、あの日のことを。そして、彼女が実家に帰る直前までの、魂が抜けたような顔を。もう、そうなる前の菫ちゃんには戻れないのかな、と思ったりもしたし、もう二度と会えないのかと思うと本当に辛かった。
でも、こうして会えた。それだけでよかった。
「顔を上げて」
俺の言葉に、菫ちゃんは顔を上げる。そんな彼女を、俺はふわりと抱きしめた。
「そっ、曽根さん・・・?」
「嘘なんかじゃないよ。俺も、君が好きだ。あの日、君を失うのが怖くてたまらなかった。君が意識を取り戻してからも、もう二度と会えないんじゃないうかと思うと本当に本当に辛かった。でも、こうしてまた君に会えた。これはもう、僕にとっては奇跡なんだ・・・・・・!」
僕はいったん彼女から離れる。月明かりに照らされる菫ちゃんは、本当に美しかった。
「君が好きだ。僕で良ければ、これからも、一緒にいてほしい」
心臓の音が体中に響く。これ以上ないほどに俺は緊張していた。でも、ここでちゃんと言えなかったら、もう言うチャンスはないと確信が持てた。
菫ちゃんは、涙を流しながら頷いた。
「私も、好きです。大好きです。一緒にいさせてください」
花は、俺にとっては幸せと愛の象徴だ。きっとほかの誰かに聞いても、そう答えるのかもしれない。でも俺にとっての花はそうだし、即答すらできる。花が、僕の愛する人と出会わせてくれた。
青い蝶が舞う花。デルフィニウム。そんな花を贈ってくれた君が、僕は好きだ。
そう、これからもずっと。
了
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