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瞳の先にあるもの 第56話(無料版)

※書き下ろしなので、誤字脱字や展開など、今後内容が変更される恐れがあります。ご了承下さい。


 眠った姿勢のまま水底に、ゆっくりと、どんどん落ちて行く。
 アマンダが初めて意識が戻った時に感じた感覚だった。何が起きているのか不明だが、それでも、不思議と恐怖は感じていない。
 いったい、どれぐらいの時間がたったのでしょう。と、のんびりと思っている程であった。
 一番新しい記憶は、髪型を変えた兄が目の前で微笑んでいたもので、そこで一旦飛び、再び冴えると、今の状況だったのである。目も開かないため本当に水の中にいるのかさえ疑わしいが、表現として最もしっくり来る体感のようだ。
 なお、この間、現実世界では五日の歳月が経過していた。
 六日目に差し掛かろうとした瞬間、急に下から光が発せられた。闇は一気に上部へと逃げて行き、アマンダの体はカサリ、という音と共にどこかへ着地する。
 ようやく自由に動かせるようになった我が身を起こすと、草原が広がっていた。
 どことなく見慣れた風景に、右に左に、はっとして立ち上がってその場で体を回転させる。それもそのはず、ここはライティア家の敷地内にある、庭であったのだ。
 放心していると、心地良い風と一緒に、食欲をそそる香りも漂って来る。耳を澄ますと、ある集団がバーベキューをしているようだった。
 疑い無く近づくと、侍女のエレノオーラとフィリア、見知らぬ若い男女二人がいた。男は兄に似ており、座っている女は、心なしかアマンダの面影を感じる。
 ふと、男と目が合った。金の髪と瞳をしたかれは、アマンダを手招きする。
 「やあ。迷い込んじゃったのかな」
 「え、ええ」
 「あはは。ここは広いからか、色々な人が来る。今日はちょっとしたホームパーティーなんだ、君も一緒にどうかな」
 「こらこら、妻帯者が若い娘を口説くんじゃないよ~?」
 「えっ、そんなつもりじゃあ」
 「んもう、フィリア。いじわるしないの。実はね、お嫁さんの妊娠が発覚したから、久しぶりにって、ね」
 と、エレノオーラ。フィリアもいつも通りの態度だが。
 様子を見るために、とりあえず輪の中に入り、話をするアマンダ。どうやら、夫婦は最近結婚したばかりだという。
 そして、会話の最中、ときどき誰かのか細い声が、胸元から聞こえて来てもいた。
 「そうだ。セイラックたちも準備が出来たら連絡くれるってさ。そしたらアタシが迎えに行くよ」
 「それは良かったわ。王子様たちは、さすがに厳しいかしら」
 「連絡取ってる最中でね。今スケジュール調整してるってさ」
 「まあ。ふふ、でも嬉しいですわ」
 「そうね。ところで、つわりは大丈夫?」
 「はい、今のところは。軽いのかもしれませんわ」
 「そりゃいい。気持ちも楽になるからね」
 『い、で』
 「これね、取って来たばかりのお野菜なの。美味しいわよ。お肉は全部火が通るまで待っててね」
 「はい、ありがとうございます」
 「そうだ。君、名前は何ていうんだい」
 「わたくしはアマンダと申します」
 「アマンダ、か。可愛い名前だね。娘ならそうしようか」
 と、妊婦に向かって鼻の下を伸ばす男。
 「ふふ、気が早いわね。でもいいかも。貴女さえ良ければだけど」
 「もちろんです。とても光栄ですわ」
 「まあ。ありがとう」
 『まして』
 「良い具合に焼けてきたわ。フィリア、お皿くれる」
 「あいよ」
 家を出る前にいつも見た光景。だが、どうも違う。どういう訳か、アマンダの胸には不安が広がっていた。
 知らない人物がいるからではない。令嬢にはもっと何か別の、根本的な何かが異なっているような気がしてならないのだ。
 『ないで』
 「あら、どうしたの」
 「あ、いえ。先ほどから誰かが話しかけてきてるような気がして」
 「そうなの? 私たち以外、いないけど」
 「だね。外にも誰もいない。疲れてるんじゃないのかい」
 「それならいっぱい食べて英気を養わなきゃ。はい、どうぞ」
 「ありがとうございます」
 程よく焼けた肉と野菜は、持ち主の食欲をそそる。渡されたフォークに、肉が吸いついていく感じだ。
 そのまま口に運ぼうとすると、いきなり男がアマンダの手首を掴む。
 「本当に、いいんだね」
 「え」
 「こら、何やってんだい」
 「ん。あれ、ごめんごめん。せっかく一緒に暮らせるようになるのに」
 一緒に、暮らす? どういうことなのかしら。
 『食べてはダメッ。永久に戻れなくなるわよっ』
 はっとしたアマンダは、食器をエレノオーラにつき返し、距離を取った。
 「どうしたの、アマンダ。ここにいれば家族と一緒にずっと暮らせるのよ。好きなだけ高い高いしてもらえるのに」
 ひざを地面につけたエレノオーラは、再度アマンダの前に焼けた具材を差し出した。令嬢は、侍女から感じる冷たい雰囲気から逃れようとする。
 しかし、後ろには普段より見上げるばかりのフィリアが立っていた。
 「もう武器を持つ必要は無いんだよ。あんたに教えた剣術は、健康維持のためのモンなんだからね」
 「今は戦争中なのよ。わたしたちが戦わなければ、力のない民たちが苦しんでしまう」
 「何言ってんだい。そんなものは起こっちゃいないよ。国境付近のいざこざ位さ」
 「そんなはずは。ついこの前もランバルコーヤ王国でも大きな戦いがあったじゃない」
 「大きな戦い? ああ、そりゃアレだ。国別の対抗試合のことじゃないのかい。ランバルコーヤの伝統戦を、交流のために世界規模で行われてるヤツでさ」
 目を見開くアマンダ。現実と辻褄が全く合っていないのに、どうしてか納得してしまう。
 「平和が一番じゃないか。戦争なんてもうゴメンなのは、皆同じだよ」
 「可哀想に。よっぽど怖い夢でも見たのね。お腹八分まで食べたら休むといいわ」
 「あっはっはっ、満腹だとデブっちまうからね」
 再度差し出された皿から、まだ湯気が立ち上っていた。
 世界が平和なら、もう、誰も傷つかないですむ、のよね。
 『魔道具の残滓に惑わされないで。飲まれちゃダメッ』
 突然、空の上側がまるで一点に光を当てたように白み始める。アマンダ以外は眩しかったらしく、顔を覆った。
 『そこまでだ、この野郎っ』
 今度は聞き覚えのある男性の声が空に響いた。光の中から赤く燃え上がるドラゴンが、彼女たちをめがけて飛んで来る。問答無用にパーティー場に突進すると、令嬢の周りで火を吹きほとんどを燃やし尽くしてしまう。
 いつの間にか背に乗せられていた女将軍が、燃え上がる一帯を空から放心状態で見つめていると、下から、
 「ちょ、ちょ。いくら何でもやりすぎでは」
 『ここまでしねぇと奴を止められないからな』
 「面目ありません」
 『お前は悪くねぇよ。持ち主の性格が最悪なだけだ』
 という会話が。少女の理解が追いつかないまま、ドラゴンは少し離れた場所に着地する。ライティア家領内で奉られている、先祖代々の場所であった。
 令嬢の体が浮かぶと、ゆっくり地面へと戻される。影を作っているドラゴンの上側に視線を送ると、アマンダの手首を掴んだ男が鷲掴みにされていた。
 彼は娘の視線に気づくと、にへらと笑いながら手を振る。やり取りを眺めていたドラゴンは、ため息をつくと男を手放してしまった。
 顔面から落ちて来た男だが、不思議な事に全く怪我は無い。
 『まあな、気持ちはわかるぜ』
 「ほ、本当に大丈夫ですか」
 「ま、まあね。しかし付け込まれてしまうとは」
 『魔法師じゃねえお前が抗えただけでも大したもんだ。時間がねぇ、ハーウェル』
 ごうごうと燃え盛る火を背後に、一人の女性が大地から姿を現す。小柄で寝起きのような表情に、結び目の低いツインテールで毛先だけゆるい三つ編み、体のラインがほとんど出ていない服にマントを身に着けている。
 『なぁ~に』
 『お前、寝てたのか? アマンダを送り還すぞ』
 『起きてたわよ~。もういいの?』
 「ええ。会えただけでも幸福ですよ」
 と、口にする男。アマンダの手を取り、甲にキスをする。
 「あんなに小さかったのに。大きくなったね」
 令嬢はいつの間にか体が元に戻っていることに気づく。そして、次の瞬間、男の顔が下にあった。
 「若い頃のアイリに良く似てる。幸せになるんだよ。私の可愛いアマンダ」
 「お、おとう、さま、なのですか」
 嬉しさと悲しさが半分半分の男に、娘は思わず抱きついた。大粒の涙が落ちるたびに、父の存在を実感する。
 感極まる場面が気に入らない者もいるようで、炎の中から焼け爛れた人体が出現し、彼女たちに襲い掛かろうとした。
 しかし三体の、もはや面影すらない化け物たちは、白い軽鎧に身を包んだ集団に押し戻され前に進めない状態に。
 『悪ぃがそろそろ限界だ。最後の残り火、その中に入れさせてもらう』
 と、ドラゴンの全身が火だるまになる。大きな火球はすぐさま小さくなり、アマンダのネックレスに収まって行く。
 人の姿となったドラゴンは、ハーウェルに怪訝な視線を送った。
 『うーん。あんまし彼らに強化魔法って効果ないのね。他のはどうかしら』
 「肉体がありませんから、無理なんじゃないですかね」
 『あ~、なるほどね。なら精神系なら』
 『お前ら、のほほんとくっちゃべってる場合じゃねぇんだっつーの。ったく』
 頭を抱える赤毛の青年だが、慣れた様子でもあり、二人を放ってアマンダに向き直る。
 『あいつらはともかく。お前は現実世界に戻らなきゃならねぇ。もう少しでエレンが力を送ってくれると思う』
 「力、ですか」
 『ああ。毎度ちゃんと説明できなくて悪ぃな。細かいことは、伝わってるのか、疑問だが』
 チラ、と、ハーウェルに目を配る火の魔法師。
 『どちらにしても、ここでのことは記憶に残らないだろうから、さっき力を渡したんだ』
 エレンやフィリアなら気づくはずはず、と彼。白い鎧をまとっていた父親は、迫りくる三体と剣を交わしていた。
 『とりあえず戻るといい。先のことは、奴を完全に封じこめてからな』
 「ラガンダ様。貴方様は」
 首を振る、火の魔法師。
 『まだフィリアとアルタリアが残ってる。大丈夫だ』
 理由を聞こうとしたアマンダの体が、突然光に包まれる。
 『それじゃ、またな』
 声を上げようとした令嬢だが、空高く舞ってしまい、もはや届かない位置に飛んでしまう。
 だがアマンダは、意識が無くなるまで、父と火、土の魔法師の、温かい視線を感じていた。
 一方、現実世界でのとある部屋では、エレノオーラが水晶に向かって魔力を発していた。
 「どうだい」
 「無事に戻れたみたい。やっぱり、あの子には私と同じ特性があるのね」
 「みたいだね。驚いたよ。きっと生まれ持った資質なんだろうけど」
 「あら、どうしたの」
 問われた風の魔女は、顔をかきながら、
 「アタシの悪いクセさ。敵をぶちのめすのに使えないかってね」
 「相変わらずケンカっぱやいわねえ。せめて身を守る方向ならまだしも」
 「先手必勝って言うじゃないか。それはともかく、ラガンダも数年は動けないし、頭痛くなって来たよ」
 「今は休ませてあげたら。せっかく二十数年ぶりに会えたんだし」
 「ああ、まあね。あん時は危なかったからね」
 「そりゃ伴侶や親友が殺られたってなったら、誰でも血が上るわよ」
 「その節もお世話になりました」
 「はいはい。気をつけてね」
 と、笑いながら言うエレノオーラ。だが、表情はすぐ真面目になる。
 「私はここから離れるわけにはいかないから、頼んだわよ」
 「任して。ただ、何の考えもなしにアレを起こしたり、魔法師に手を出すとは思えないんだけど」
 「その辺りは要調査ね。ラヴェラ王子も何らかの形で軍の支援をしてくれるそうよ。表立っていえないみたいだけど」
 「ありがたいね。んま、ラガンダの事だから、手は打ってると思うけど」
 「そうね。そろそろアマンダの様子を見に行く?」
 「エレノオーラが大丈夫なら」
 「平気よ。大して力は使ってないから。アイリにも声をかけて確認しないとね」
 「だね。少しでも心労和らげてやらないと」
 「早く平和になるといいわね」
 「ああ。そのためのアタシらだからね」
 と、フィリア。水晶を消したエレノオーラと共に、アイリの部屋へと向かう。数少ない魔法師の理解者は、すぐさま同意し、娘のいる寝室へと足を運ぶ。
 現当主の寝台の横には家族四人で映っている写真が何枚も飾られており、隣には、十年程前に息子からの困った贈り物の、上半身位の大きく綺麗なクマのぬいぐるみがあった。

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望月 葵
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