瞳の先にあるもの 第20話(無料版)
ゼノス王と別れた一行は、通ってきた通路を引き返し、アンブロー王国方面へと向かう。アンブローとフィランダリアは前者が建国して以来からの友好国であるため、いざというときのためにお互いの国の主要貴族領を地下通路で繋いでいるのである。
歩き始めてからどれぐらいの時間がたったのだろうか。
女性の体力に合わせて何度か休憩を取るが、まだ先は長いらしい。明かりが灯されているとはいえ、心の先は闇の中であった。
「今気づいたんだけど。ここが地下なら何日歩けば着くんだろうね」
「そ、そうだ。オレたちは大陸を歩いてわたってるようなモンじゃねえかよ」
「半日ありゃつくって。途中でマホウジン使っただろーが」
「何も見てねえぞ」
「情報屋、私が直接フィランダリアに、連れて行った。ほとんど、歩いていない」
「あ、そーなんだ。やっぱ違うなぁ」
事情を知らない外部者には何を言っているのか分からなかったが、アルタリアは負担をかけさせないよう、前もって通路に移動用の魔法陣を施していたのだ。魔法陣は、彼が通れば自動的に発動する仕組みになっており、魔力を持たない者の目には、何も変わっていないように感じているのである。
そんな会話をしている情報屋を、アードルフは一番後ろからずっと見ていた。一国の王に対しての態度が、いくら子供でも随分と優遇されていると思ったからだ。
いくら超一流の情報屋であっても、あのような不遜な物言いを許されるとは考えにくい。もちろん、ゼノス王の懐が大きいのはあるだろうが、それにしてもまるで自分の子と接しているような雰囲気だった。
最年長の紳士は、今、行方不明になっているアンブロー王国の王子のことを思い出す。彼がこの国に住まうことになる以前から、消息が途絶えているというのはよく耳にしており、国が探し続けているとも聞いている。
アマンダより年下だろう情報屋は、年齢上、男か女かの区別がつかない。だが、座りかたや立ち振る舞いから見て、おそらく男だろう。
風の魔法を使えるようだし、あとは剣術が使えるかどうかで正体が分かるかもしれない。この国の王族は、剣術を好んで使うらしいからだ。
アードルフがそのように考えながら歩いていると、
「アードルフ、どうしたの~」
「いや、何でもない」
サイヤは眉間にしわを寄せている彼が気になったのか、声をかけるも普段通りの対応。しかし彼女は、彼が確かに情報屋を見ていたのを見逃さなかった。そして、どうして魔女にあの子供のことを聞かない理由も察しがつく。
「あなたはやっぱり大人ね~」
「ん?」
「あ、馬鹿にしてるんじゃないのよ~。分別がつくっていうか、気遣いが上手だな~って」
色々と悪いわね~、とサイヤ。詳しい経緯はともかく、魔導士や魔女は結束が強いことでライティア内では有名だ。鎖国状態で生活していれば、当然身内のことは口にしないだろう。ましてや情報屋自身が何も話さないのなら、その理由を彼女たちが知っていることは容易に推測できる。
「それぞれ都合があるからな」
「そうね~。でも、協力できるところは協力しましょうね~」
そうだな、とだけ、彼は返した。
飽き性の性格なら発狂してしまうかもしれない程、同じ風景が続くこと長時間。前方がにわかに、騒々しくなる。
「着いたみてーだな」
「思ったよりも人数がいるようですね」
「まず、エスコを探して。早く、治療したほうが、いい」
「オレが見つけてくるよ。あんたたちはここで待ってな」
情報屋は足を一歩踏み出すが、すぐに止まり、
「サイヤ、けが人がおおいみてーだから準備しといたら」
「ん~、そうね~。そうしとく~」
「私も手伝おう」
「俺たちも手伝うよ」
「ありがとう~」
「情報屋さん、わたしもいっしょに行きます」
「私も、行く。時間が、惜しい」
「わかったよ。ついてきな」
二手に別れたパーティーは、それぞれの行動を開始。情報屋たちは市民や騎士たちをかき分け、貴族たちが集中しているだろう場所を見つける。
身に着けいているものが高貴になっていく度、視線が突き刺さるようにもなっていった。
市民よりもはるかに寝るスペースが取られたところに着くと、一人の騎士が立ちはばかる。
「貴様ら、何の用だ。ここは上流貴族の方のみが入れる神聖な場所だ」
「その上流キゾクサマがここにいんだけど」
情報屋は首を傾け、挑発するように言い放つ。何だと、と前かがみになる騎士は、アマンダの姿を見るなり、目を見開いた。
「コ、コスティ様っ」
「それはわたしの兄です。妹のアマンダと申します」
「体格ぜんぜん違うじゃんか。あんたの目大丈夫かよ」
情報屋さん、と彼女がいうと、立ち位置を変え、
「エスコ様がここにいらっしゃると聞いてうかがったのです。通していただけますね」
「は、はあ。しかし、今は」
「通してあげてちょうだい」
騎士の背中から気位の高そうな女性の声がする。振り返った彼は、奥様、と口にした。
コツコツとアマンダたちに近づく足音。
「やっぱり、アマンダだったのね。無事だったのね」
「アンジュ様、アンジュ様こそご無事だったのですねっ」
お互いの姿を確認するなり、手を取り合う女性たち。数回手を上下した後、アマンダはエスコの状態を伺う。
「正直危ないわ。いつどうなるかがわからなくて」
今にも泣き出しそうな表情に変わるアンジュ。彼女の前に、アルタリアは、
「久しぶりだ。エスコのところに、連れて行ってくれ」
「ア、アルタリア様、ですか。何故、こちらに」
「合わせて、話す。まずは、彼を」
は、はい、と騎士に道をあけさせ、駆け足でテントに向かう。テントの奥には、出来る限り柔らかくセッティングされた寝床と、二人の幼い子供たちが泣きじゃくっていた。
「おかあさま。おとうさま、ごほんよんでくれないの」
「ずっとねむったままだよ。父上、ぼくに弓をおしえてくれるってやくそくしたのに」
戻ってきた母に、子供たちは抱きついて不満を話す。死の概念が分かる他の者たちは、右腕以外のほとんどすべてが包帯に巻かれ、顔も左側が白く隠されている彼を視界に入れた。
「さっきよりも顔色悪いな」
「あなたが持ってきてくれた薬草が切れてしまったのね。換えないと」
「待って。薬が切れているなら、ちょうど良い」
少し、離れて、とアルタリア。
彼は聖杯をエスコの上に掲げ、魔力を注入し始める。聖杯が文字通りの光に包まれ、数秒後には消えた。
持ち主の手に収まった杯は、重体者の口に、少しずつ、少しずつ、注がれ、合間に魔法も掛ける。
三十分程過ぎたとき、ようやく器が空になった。
アルタリアはゆっくりと立ち上がり、情報屋に、
「君、回復魔法は」
「初歩のなら使える」
「十分、掛けてあげて」
あまり強いのは、良くない、とアルタリア。情報屋は手足と同時に、聖杯の効力とエスコの容態と体質について頭を回し、納得がいった。幼いといえど魔法の知識に関してはひと通り心得ているのだ。
不慣れな手つきはいかにも子供らしく見え、切羽詰った状態でなければ、周囲を和ませていただろう。
「魔法かけるだけでいいの」
「君は」
「人手がいるなら用意しますわ」
「火傷、に気をつけて。包帯換えるとき。適度に汗を拭いて、清潔にしてあげて」
「畏まりましたわ」
アンジュが言い終わると同時に、傍にいた執事が外に出る。数分で戻ると、白く動きやすい質素な服を着た男性が数名、エスコの傍に駆け寄ってきた。
「アマンダ」
呼ばれた令嬢の反応は早く、彼女の瞳には歳が近く甲冑姿をまとう幼馴染みの姿があった。
「よかった、無事だったのねっ」
「エメリーンこそ。よかったわっ」
「積もる話はたくさんあるけど、今は兄上を優先にさせてね」
「もちろんよ」
親友をぎゅっと抱きしめると、肉親の下へと足を速めるエメリーン。義理姉に視線を送ると、そのまま頷いた。
「情報屋のことは心配しないで。私も知っているから」
母親のスカートを何度もひっ張る子供たちをあやしながら、アンジュは訪問者たちと話がしたいという。
「この子たち、私が見よう。行っておいで」
「申し訳ございません。事が事で」
「大丈夫。子供好き」
しゃがみこんだアルタリアは、子供たちに花をパッと咲かせてみせた。何もないところから出現した赤いバラに、子は好奇心をそそられたよう。
場違いの雰囲気をつくりながらも、三人はゆっくりと表に向かう。対して大人の事情が理解可能な者たちは、夫人のテントに移動することとなった。
共にやってきた執事は使用人に命じて人数分の椅子と大型の机、そしてお茶をセッティングする。
一部の来訪者が感心している間に終わり、下の者たちはすぐ場を後にし、入れ違いに情報屋が入ってくる。
「そうですね。まずは御礼を。夫を助けて頂き、ありがとうございます」
深々と頭を下げるアンジュ。
「あなたが無事だったのも嬉しいわ」
「わたくしもです。安堵いたしました」
ふふ、と笑いあう女性貴族たち。だが、すぐに現実に戻ると、戦況の話になる。
一口お茶を飲んだレインバーグ夫人は、集めた情報を伝えた。
王都とレインバーグの陥落、周囲の小領主への侵攻、一部の領民と国民は造られた緊急避難場所に逃れたこと、カンダル、エコースの砦が落とされたこと。
大まかだが、誰が見てもアンブロー王国がどうなったかなど理解出来た。情報屋の言葉通りである。
「陛下はご無事だと伺っているわ。貴方が関与したのでしょう」
「そこまでわかってりゃ話がはやいや。さすがってトコロかな」
「これ」
「ふふ、お気になさらず」
眉頭を少しハの字にさせている夫人だが、初めて会う赤毛の女性に会釈をした。
「本来なら自己紹介がてらゆっくりとお話したいのですが。お許し下さいね」
お会いできて嬉しいですわ、と口にしている最中、遅れて入ってきた、アマンダとアンジュとの間ぐらいだろう甲冑姿の女性が夫人の隣に立ち、頭を垂れる。
「エメリーン様があなた方に合流するそうなの」
「エメリーンがっ」
思わず椅子を倒しそうになったアマンダに対し、困ったように右手で、どうどう、と小さく空中で合図するエメリーン。我に返った本人はすごすごと、身を縮こまらせてしまった。
くすくす、と笑い声の中、
「もしアマンダがすぐ戻ってきたら合流するようにと、兄上から命を受けている」
「大将はあんたかい」
情報屋の言葉に、エメリーンは顔を歪め、
「情報屋か。話に聞いていた通りの態度だな」
「エ、エメリーン。悪い子じゃないの。口は悪いけど」
「子ってなんだ、子ってっ」
「だってあなた年下じゃない」
アマンダのほうへ首を振った情報屋の言葉は、きょんとした少女の一撃で葬り去られる。一方、子供と同じ出身者は肩を震わせていた。
「わ、私の小隊も一緒だ。後で紹介する」
大きなため息をつくと、彼女は一礼をしてテントから退出。だがその口元は、かすかに笑っていた。
「軍事のことは分からないけれど。あの人の采配なら安心できるわ」
「はい、とても心強いです。でも、アンジュ様は」
「ここのことは心配しないで。魔法がかかっているらしいから、しばらく隠れられるそうよ」
「だな。んま、アンジュよりもアマンダ、あんたのほうが危ねぇから、マジ」
「そなたは。まったく」
「ふふ、仲がよろしいのですね」
「同郷ゆえよく知っているのです。口が悪く申し訳ない」
「大丈夫ですわ。お会いした直後にいうのも妙ですが、末永く仲よくして頂ければと」
何が起こるかわかりませんから、と夫人。頬をふくらませた情報屋に代わり、リューデリアは会釈で返した。
若干冷めた紅茶を飲み終えると、すかさず新しいものが注がれる。
「アマンダ。これからどうするの」
「ヘイノ様と合流しようと思います。方々に散った戦力も集めないといけませんし」
「そう」
少し寂しそうな表情になるアンジュ。少し休んでいくように話すと、この対話は終わりになった。
来客を天幕前で見送ったレインバーグ夫人は、ごつごつとした天井を見上げる。
「コスティ。アマンダを、守ってあげて」
にじんだ目の裏に浮かんだのは、幼い頃一緒に花冠を作った光景。その中に、できたと喜んでいた、年下の幼馴染みがいる。
だがその愛らしい笑顔はすぐに、闇へと消えていったのであった。