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離婚されて覚醒剤をやめた話

最近気持ちが安定してきた。
死のうなんて考えないし、死にたいとも思わない。
薬をODすることもないし覚醒剤や大麻などの違法薬物にも手を出すことなく過ごせている。
身体は軽いし体力もついて一日中子供を追いかけまわすことも出来るようになってきた。

思うように動けるようになって嬉しいが私以上に夫や子供が私の回復を喜んでくれている。
家族の会話が増えたし家の中は電気が灯ったかのように明るくなった。

約二ヶ月前の私は覚醒剤を使ってトイレのドアノブで首を吊っていた。
薬物からなかなか足を洗えず夫に離婚を突きつけられてしまった頃だった。
使えば罪悪感から自殺したくなるのにどうしても薬物への欲求を自力で止めることが出来なくなっていた。

精神科には通っていたけど薬物を使いたくなくなる薬なんて存在しないし、ただ主治医に再使用していると報告するだけの通院生活だった。
その時はどうして自分が薬物を欲しているのか後悔するのに何故使ってしまうのか自分でもよくわかっていなかった。

当時の私は身体が鉛のように重たくて朝起きるのもやっとだった。
起き上がるのも立ち上がるのも辛いし、気分はどんよりとしていて何もしたくなかったけど、日々の生活は待ってはくれないしやることは山ほどあった。
自分で子供を産んだくせに、可愛いと心から思っているのにご飯は作りたくなかったし掃除機もかけたくなかった。
全身が嫌だ!と叫んでいるのを無視して抑えてご飯を炊き、掃除機をかけ、洗濯物を干す。

片付けはしてもしてもすぐに散らかっていくし、散らかしていく家族に対して苛立ちを感じてぶつけていた。
イライラする私と夫は毎日のようにぶつかって喧嘩ばかり繰り返すようになっていた。

喧嘩するたび私は家を飛び出しホテルに泊まり怒りを発散するかのように覚醒剤を買い使った。
覚醒剤を使うと鉛のように重かった身体は嘘みたいに軽くなって、いつも抱えていた鬱々とした気持ちは吹き飛んで気持ちが良かった。
家にいたらやりたくもない家事に追われるけど、一人で覚醒剤を打ってる時は自由で気ままに過ごせた。

だけど薬の効果が切れる時激しい罪悪感と恐怖に襲われた。もし、使っていることが警察にバレたら私はまた刑務所に入ることになるし、夫には愛想尽かされて本当に離婚されてしまって子供とも会えなくなることになる。

そのことが恐ろしくなって何度も首を吊ろうとしたけど毎度失敗して終わった。
だから一刻も早く身体から抜きたくて覚醒剤を抜いてくれる点滴をしてくれる病院に行った。
一回三万円近くする点滴は効果は抜群で受ければ身体から薬物は抜けて気持ちも落ち着いて、家に帰り夫には覚醒剤を使ったことは黙っていた。

元の生活に戻って家事や育児をしていてもしたくないことを嫌々して、我慢の連続だった。
不満はどんどん募っていきすぐに爆発して夫と衝突すればまた覚醒剤に逃げる。
そして負の感情から逃れるために高額のお金を払って点滴をする。

そんな生活を繰り返していて私は生きていくのがどんどん嫌になっていった。
もうその頃には覚醒剤なんて使いたくなかった。
だけど自分ではもうコントロール出来なくなっていて誰かに助けてもらいたい気持ちでいっぱいだった。

その日は私の27歳の誕生日だった。
前日に夫と喧嘩して私は売人から購入した覚醒剤を押し入れに隠し、自暴自棄になっていたからいつもよりはるかに多い量を雑にポンプに詰め込み夫と子供が寝静まっている時に注射器で腕に覚醒剤を打ち込んだ。

シラフのフリして夫と子供と接して過ごしていたけど、喧嘩してた夫が私にネックレスを誕生日プレゼントだと渡されて、義母からも郵送で化粧品の贈り物が届いた時涙が溢れた。
自分がどれだけ無責任で最低な行為をしていたか痛感してとんでもなく懺悔したい気持ちになった私は全て夫に打ち明けてしまうべきだと感じて、自分が薬物を再使用していたことを告白した。

話を聞き終えた夫は絶望した表情で何も言わなかった。しばらくして再び私が怒りのコントロールが出来なくなって大喧嘩をした時夫は離婚届を持ってきた。
私は覚醒剤を打ち込みハイになった状態で同意してテーブルの上にポツンと置かれた離婚届にサインをした。

離婚してから数日私は覚醒剤浸りになった。
本当は離婚なんてしたくなかった。
私には親も兄弟もいない。唯一の家族であった夫と別れることになって心の中にポッカリと穴が空いてしまった。
夫の稼ぎで生活をしていたから仕事もしていないしこれからどう生きていけばいいのかも分からない。
いつも味方でいてくれた夫を失って初めて今までどれだけの安心感を与えられて支えてもらっていたのか痛いほど感じることになった。

どうにもならない現実を受け入れたくなくて大量に薬を飲んだり、自殺未遂をしてみたけど死ぬことはなくて現実は変わらないしただ淡々と時間が過ぎていくだけだった。

睡眠薬を飲んで寝てばかりの私に対して子供はいつでも無垢な笑顔で駆け寄ってきた。情緒が不安定で別室で大声をあげて泣いていると、子供が駆け寄ってきて「ママいたいいたいの?」と心配そうに顔を見上げてくるから私は急いで涙を拭いて無理矢理笑顔を作った。
そんな子供の想いについて考えているうちに自分は何のために生きているのか、という疑問にぶち当たった。

今までは自分が、自分が、と自分自身の痛みや苦しみにしか目を向けていなかった。自分のためには何もコントロール出来ないのはわかった。だけど人のために自分を制御することは出来るのではないか。
子供にとって私はたった一人の母親でありかけがえのない存在なのだ。

そんな唯一の信頼できる母親が薬物に狂ってボロボロになっていたらどうだろう。子供の気持ちを想像したら心が張り裂けそうになって、変わるなら今しかないとそう思った。

夫に何度目になるのか分からない「変わる」宣言をして、私はとにかく家事と育児を必死に行う決意をした。
自分のためではない。自分の大好きで大切な人たちが安心して快適に暮らせるようにそれだけを考えて生活しようと決めて自分の体調や気持ちを無視することにした。

はじめは体力が追いつかなくてたまらなく疲れて毎日倒れるように眠りについた。
嫌で嫌で仕方なかった家事も一緒に暮らして過ごしてくれることに感謝するようになって徐々に苦じゃなくなっていった。
私の変化を半信半疑で様子を見ていた夫も数週間、一ヶ月と安定したルーティンをこなし感情のコントロールを出来るようになってきた私を受け入れてくれるようになってきた。

何をするにもパパがいいと泣いていた子供もゆっくりと私にも懐いて今ではママがいいと求めてくれるようにもなったし、喧嘩ばっかりだった食卓は今では笑い声が響き渡っている。
前はご飯を残されるだけで不機嫌になっていたけど、今は残されないような食事を作れるようにもなってきた。
それに残されても何も思わない。次はどんな工夫をすればいいのかと思考を変化させていくことが大切なのだと気づき始めた。

離婚して私は独身になった。
だけどまだ一緒に暮らして家族を続けてくれる人がいる。

私は相手の立場に立って物事を考えることは苦手だ。
自分が嫌な思いをするとほとんど衝動的に腹が立ってきて怒りをぶつけたくなってしまう。
だから私は毎晩ゆっくりと今日一日の出来事を振り返り感謝すべきことと懺悔すべきことを10個ずつあげていく習慣をつけることにした。
毎日自分の行いや周りから受けた恩について深く考えるようになって見えてくるものが沢山あった。
すると自然に怒りの感情は自分の中から溶けて無くなっていった。

自分のルーツについても思い返すようになって、怒りで相手を傷つけたくなった時、私は自分自身が幼かった頃にされて辛かったことを思い出すようになった。
自分は感情の起伏の激しい親から理不尽に怒鳴り散らされて怯えて育ったのに、まるで親と同じことを夫にしてしまっていることにようやく気づくことができた。

毎日をコツコツと過ごしていくうちに覚醒剤への欲求は日に日に小さくなっていった。
全く使いたくないわけじゃない。酩酊感を味わえる睡眠薬を飲んだ時に理性が飛んで売人に連絡してしまって翌日急いでキャンセルすることも何度かあった。
だけど、私は今あるこの生活を手放したくない。

まだ覚醒剤に浸かっていた頃から二ヶ月も経っていない。だけど、家族との絆は今までにないくらい深まっている。

私に怯えて近寄りたがらなかった夫は今では私と握手もするし、頑張った時はハグもしてくれるし、ふざけたことも言うようになった。
子供は私の抱っこやおんぶが大好きだし、私がいないと何度もママは?と夫に聞いているらしい。

ここまでくるのにたった二ヶ月だけど相当な努力が必要だった。嫌なことをやりたいマインドまで持っていく為に何冊も本を読んだし、夫や子供は不安定な私に慣れていて顔色を伺って心の鍵を閉めてしまっていたからなかなか心を開いてくれなかった。
だから今こうして夫と子供と笑顔で暮らせることが尊くて大切で絶対に壊したくないと思う。

覚醒剤は確かに気持ちのいいものだ。
元気がみなぎって身体は思い通りに動くようになるし、嫌なことは全て忘れられる。
だけど、ただそれだけでしかなかった。
使っている時は楽しくても効果が切れる時は楽しかっただけの負債を負う事になる。

家族のために何かをして喜んでもらった時、私は覚醒剤を使った時以上に満たされた気持ちになる。それは効果の切れ目も反動や負債もない持続した幸せの感覚だった。

私は今その幸せの感覚の虜になっている。
夫や子供を自分の行為によって満たせた時、何にも代えられないような喜びの感情で自分自身が満たされていく。
覚醒剤なんかでは得られない繊細で柔らかな暖かい快楽。
私はその快楽を得るために今毎日家族に全力を尽くして生活している。

この生活は一度でも覚醒剤を使ったら綻びてしまう。私が人工的な快楽に身を委ねている間に夫と子供の笑顔は凍りつきまた絶望の淵に追いやってしまうことになってしまう。

そんなことはもうしたくない。
私はこれからは夫と子供の笑顔を守るために生きていく。
だからきっと覚醒剤を使うことはもうないはずだ。

離婚して法律上は夫婦ではなくなったけどこれも新しい家族の形として私は受け入れることにした。
はじめは何がなんでも夫婦でいたいと言う気持ちでいたけれど、夫の気持ちがラクな方が今はいいと思える。

別れることになってひとりぼっちになった気分でいたけれど、夫は今も変わらず私を信じて支え続けてくれているし、別れなければ私は今もまだこのかけがえのない絆に気づくこともなかったかもしれない。

だから離婚することは意味があったし、してよかったのだと今はそう思える。

覚醒剤を使うのをやめるのは簡単なことではない。だけど、難しいことでもない。
自分の中で大切な何かを見つけられた時人はアディクションから卒業出来るのかもしれない。

まだ辞めてから数ヶ月しか経っていないけど私はこれから先覚醒剤に溺れることはないだろうと思っている。
それは今もそばにいて支え続けてくれる夫や子供の存在があってこそのことだ。
一人じゃ依存症からは抜け出せない。そして、一人と独りを履き違えてはいけない。
目を開いて周りを見渡してみると自分を心配に思ってくれている人がきっといるはずだ。

今日も薬物を使うことはなかった。
明日も使うことはないだろう。
家族のためにご飯を作り、掃除機をかけ、洗濯物を干す。

こんな有意義で幸せな時間は他にはありません。
今日も私と生きてくれてありがとう。
今日、生きてて良かった。

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