好き、の代償
何かを好きになると、それ相応の痛みを伴うことになる。
蒼、37歳の言葉である。
この痛みを受け止められなくて、好きなものに背を向けて全力で逃げてばかりの人生であった。
先日、ラグビーの日本代表候補が発表したされた。
当日の朝までは、「むふふ、誰選ばれるかなあ」なんて、浮かれていたのに。
いざ、メンバリングみて、、しゅんとしてしまった。
メンバー表見てうなだれて、昼飯を食べていた。
2021年、突然、「あれ、私、2019年にラグビー面白いと思ったんじゃなかったっけ。なんか遠征するらしいんで、みよ。」と思った時には感じなかった痛みである。
その時は顔と名前を辛うじて一致させることの出来るレベルだったので、誰が入ったとかいないとか、ピンときてなかった。
リーチ選手が主将じゃないことに驚いただけだった。
今回はそうはいかない。
D1とD2の試合は全部TV観戦してるので、圧倒的に選手を覚えた。
推しの選手が無数に増えた。
なもんだから。
あの人がいない。
この人もいない。
あの人は活躍してたのに。
この人はなぜ入らないんや。
ということに、胸がつまってしまった。
何回かメンバー表を上から下まで眺めて、シーズンを思い返してみる。
この人は選ばれたな、うむうむ、みたいな満足より喪失感がおおきかった。
どこか怪我してたか?
なにかよくないプレイあったか?
わかるわけがない。
私はただラグビーを楽しんでるだけの、初心者である。
いいプレイとよくないプレイもほんとはわからないし、
体の動きでコンデイションなんて、わかるわけもない。
いわんや、JAPANのめざすラグビーに必要なメンバーなんて。
それにスポーツのチームだから、例えば年齢とか、いろんな理由で新陳代謝は必要だ。
生物の生存理由のように、新しい風がいるのだ。
変わらないチームがあるとしたら、それはある意味その国のスポーツにとって不幸なのだ。
わかっている、わかってはいる。
理性の部分はそう言うけれど。
それでも
あの人がいない。
この人は選ばれてもよかったのに。
としゅんとしてしまう。
何かを好きになると、それ相応の痛みを伴うことになる。
しばらくぶりの、そんな痛み。
好きの代償。
そう、私はやはりラグビーが好きなのだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?