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ラグビーの地層が私の中にできるまで

特に覚えようとしたわけではない選手の名前がふっと出てくる.
ぼーっとしてスタメンをろくにチェックしていないときは、かえって狼狽える.
あれ、誰かよく見ている選手と間違ったかな?と思うのだけれど、実況や解説の方の声で胸を撫で下ろすことがよくある.

しかし、なぜこの選手を覚えていたのか、覚えたのか.
全く記憶にない.
ただ、覚えている.
顔を見た時に、反射的に「あ、誰それだ」と口につくのである.

そういう時、私はなぜかちょっとだけ嬉しくなる.
自分の中にラグビーの層が出来上がっているように感じるから.
何もわからなかったままのリーグワン初年度から、ただただ毎試合を追いかけてきた.それが確かに自分の中に積み重なっている.

ラグビーは奥深いし、毎年ルールも変わるという厄介なスポーツだ.
書店員の私は、去年、一昨年のままと何も変わらぬルール本を売っていいか悩んでいる.
ま、時間制限できたぐらいだし、初歩の初歩のルールは変わらないから、と言い聞かせてたら.

今年に至っては用語が変わった.
なんだよ、ノックフォワードって.語呂が悪いねん.
ノックフォワードタッチなんて長すぎだろ.
本はそんなに簡単にホイホイ出し直しはしてくれないのである.
出版不況、ラグビーは悲しいかな、マイナーなスポーツである.
2023年のW杯の時にでも市販のルールブックは改訂されなかった.
(改訂しないルールブックなどに意味があるか?と口について、営業さんの顔を引きつらせた)

選手も移り変わって行く.
新しい選手が入ってきて、アーリーエントリーにわく季節の後には涙の別れの季節だ.
数年のラグビーサイクルなのに、もう胸が痛み始める.
「引退」よりも「社業専念」の方が、心にダメージをくらうことを昨年知った.

「観客席で会えるかもしれませんよ」
と最初で最後の会話の時に、ブーツを脱いだある選手に励まされた.
まだ観客席で会えてはいないが、先日別の試合のコーチサイドにいたのを見つけた.
試合中の選手を追いかけるよりも、双眼鏡の倍率を最大にしてもボヤけるぐらい遠くにいるその人を見つめてしまった.

楽しそうだった.
熱いお茶を何倍飲んでも寒い夕方の観客席で、心は満たされた.

私のラグビーの地層の一番底にあるのは、父親がお正月に見ていたテレビ画面だ。
何が面白いのかさっぱりわからなかった。
ノッコンとラインナウトとスクラムということだけは覚えた。
なんのためにスクラムをするのか、さっぱりわからなかった。
「平尾がすごいんだ」と繰り返し語る父親の刷り込みで、2019年までは平尾誠二さんしかラグビー選手を知らなかった。
(五郎丸ポーズが流行った年は、ブラックの飲食店で正社員をしていて毎日生きて行くだけで精一杯で、ニュースも見ることもなく働きづめで日本の快挙を知ることはなかった)

そんなわけで私のラグビーの地層の真のスタートは2019年ににわか程度、本当におもしろいと確信したのは2021年あたりからで、非常に薄い。
ミルフィーユケーキで100円も取れない。

でも、薄いなりに1年、1年と積み重ねてきた。
そう思えるのが、「あ、誰それだ!」と無意識に選手の名前が口に出てくる時。

リーグワンのシーズンも折り返し地点だそうだ。
あと、何人ぐらい脊髄反射で名前を口する選手が増えるだろうか。


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