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アナキズムは暮らしに役立つ

**「働く女」についてのブックレビュー①

栗原康『はたらかないでたらふく食べたい〜生の負債からの解放〜』**


「働く女」をテーマにしたブックレビューです。2019年の暮れも押し詰まって突然アップし出した顛末についてはこちら

「働かざるもの食うべからず」。

この言葉に心から賛同できないながらも、就職するために折り合いをつけたのは「やりたいことを仕事にすること」だった。やりたいことは何かと問われれば、後ろ指さされずに本を読むこと。だから私は「本を作る会社の人」になった。

実際に「本を作る会社の人」になると、好きなときに好きなだけ本が読めるわけでは全然なかった。読みたい本はどんどん増えるが、手元にある仕事が全然片づかない。そのうちうっかり子どもを産んだら、自分の時間は皆無になった。毎日子どもを保育園に押し込んでから満員バスと満員電車で出社し、時短勤務でできるだけのことだけ済ませたら、再び電車とバスを乗り継いで家に戻り、全速力で自転車をこいで保育園に駆け込む。子どもを乗せたら再び全速力で自転車を飛ばし、家に戻って夕食、入浴、寝かしつけ。子どもが寝たのを見計らって暗闇のなかでPCを開き、眠りに引きずり込まれそうな体に鞭打って残った仕事に取りかかる。それならまだいいほうで、気づいたら朝、やらなければならないことがまったく終わっていない!という日もままあった。

こんな日々が1年半ほど続いたある日、縁もゆかりもない東北地方への配偶者の転勤が決まった。持てる力をフルに使っても常に「まだ足りない」と耳元で言われているような気分のまま、東京でたった一人、仕事をしつつ子育てを完遂できるイメージが持てなかった私は、あっけなくやりたかった仕事を辞め、縁もゆかりもない土地に移り住んだ。「移住」とか「田舎暮らし」といった明るい展望もなく、故郷ではない地方への転居は「都会に疲れて田舎に戻ってリセットする」というのとも違った。配偶者と子どもが急速に慣れていくなか、私一人がずっと旅の途中のような孤独を味わっていた。仕事を手放すべきではなかったと後悔し、配偶者の転勤を口実に自分の能力のなさを見限った自分の弱さを呪い、地方の仕事の少なさを嘆き、配偶者の家事への不参加に対する不満を言い募った。

そんな私のくすぶった心にスコンと風穴を空けてくれたのが、栗原康『はたらかないでたらふく食べたい〜生の負債からの解放〜』タバブックス、2015)である。はっとした。まず、タイトルがいい。「はたらかないでたらふく食べたい」。こんなふうに開き直っていいんだ!という驚きだった。自分をギチギチに縛りあげていたのは、他でもない自分の中で凝り固まった価値観という呪いだったのだ。「働かざるもの食うべからず」という呪い。働き手として、母として、女性として、転勤妻(こんな言葉があるか知らないが)として、「あるべき姿」という呪いに、「こうもありえた自分」という呪い。

著者はアナキズムの研究者。「働く女」にとって、アナキズムがこんなにいくつもの呪いを解くのに有効だとは、本書を読むまで私は全然知らなかった。タバブックスは宮川真紀さんという女性が代表を務める出版社で、ほかにも雑誌「仕事文脈」丹野未雪『あたらしい無職』など、働く女性を応援したり、「わかる、わかる」と肩を抱いてくれたり、黙って寄り添ってくれたりする本が多い。働いて疲れた脳に優しい、小難しいところのない文章も気楽だ。ああ、こういうのが読みたかったんだ!と溜飲を下げた。


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