生きる世界の狭さ
今まで生きてきて、世界は狭いなと実感する。
高校生までは地元の狭いコミュニティの中で生きてきた。もちろん知り合いも今ほど多くないし、自分の地域外のことはあまり知らなかった。
大人になり東京神奈川と暮らしてきて、人が多い世界。
また旅行に行ったり、いろんな場所を訪れるようになった。
それでも初めて知り合う人のはずなのに、共通の知り合いがいたり。同じ出身地であったり。元同じ職業であったり。
世の中を騒がせる事件現場は見たことのある場所であったり。
特集を組まれている旅番組は先日訪れた場所だったり。
長野のシャインマスカットと検索したら、Twitterの写真にたまたま映り込んだ友達の前夫が出てきたり。
もちろん私の生きている世界は限られているのだけれど。こんなにも共有している人たちがいるのだなと思う。
悪いことをすると神さが見てるよ。なんて小さい頃は言われたものだが、
悪いことをすると知り合いが見ている可能性もある。
前に飲食店で働いていた時。
人間の行動パターンは似ているのだと思ったことがあった。
休日でもないのにお店が混みあったり。かと思えば暇であったり。
お手洗いが混む時もそう。そこのフロアは混んでいるが他のフロアは空いていたり。
行列の出来るお店も、タイミングをずらせば空いていたり。
マイノリティであることを拒むかのように同じような行動パターンをする。
それが日本人にとっても安心なのかもしれない。
個人の価値観は自由なのだが、何をしても許されるわけではない。
何を言いたいかと言うと。なんでも言えるのだが、
この狭い世界から飛び出そうとか。
新しい場所へ行こうとか。前向きなことも言える。
私が言いたいのは、狭い世界だからこそ。
あなたの世界だけではない。
ポイ捨てと歩きタバコはやめようよ。
マナーとエチケットは守ろうよ。と言うことだけは言いたい。