咲紅楽ちゃん100日祝い🎵

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昨日は咲紅楽ちゃんの100日祝いでした。その前夜はカズさんと二人で感慨深い感じになり今までの子育ての過程を振り返り色々あったなぁとか、叱咤激励されたなぁとか、体重が中々増えなくて大好きなりんご、バナナ、チーズを我慢するしかないのかなぁとか色々話していたら0時過ぎてました。

初めての出産、初めての子育て。妊娠自体したことは一度有りました。しかし、その頃の私はダメダメな生活を送っていてお腹の子供の相手と泣く泣く別れることになり、一人で安い給料で育てていく、シンクルマザーになる覚悟がありませんでした。それで堕胎と言う形を取ってしまったのです。その事は私の人生の一番後悔したことであり、初めての鬱を発症するきっかけになってしまいずっと後悔に苛まれてました。

もう24の時なので11年は経ちました。今でもその後悔は一度たりとも忘れたことはないし、これからも忘れることはないかもしれません。小さい命の大切さをこの咲紅楽ちゃんを妊娠、出産を通して改めて実感する事になりました。

初めは自宅出産をかなり強く希望していました。それはカズさんの出会った頃からの夢であったのです。なので尚更私はカズさんの夢を叶えてあげたかったのです。でも、その時は出産が偶々重なり深夜に助産院に緊急に行かなくならなくなりタクシーで到着して、子宮口がすぐ全開になっているのに何故か凄く落ち着いていて静かだったので誰一人診察するまでそんな状態で来たとは思ってなかったのです。

『もしかしたら、もう産まれるかもしれないね、安産かも』って院長先生に言われて普通にスルッと産まれるのかなと思ってました。でも、実際蓋を開けてみたら結構大変でした。まず陣痛の間隔が中々5分以下にならなくてとか陣痛の時間も短くてその間でもすぐ息んで何とかしなくちゃいけないとかですったもんだして全然駄目でえっ?って感じだったのですが意識が朦朧とする中寝ないで頑張らないといけないと思う余り顔が痙攣を起こしてました。カズさんはその姿を見てられず『自宅に帰ろう』と何度も言いました。でも院長先生に『もう子宮口が開いていていつ赤ちゃんが産まれるか分からない状態で帰すわけにはいかない』と必死に止められ入院となりました。そのまま一向に進まず横のまま次の朝になり、お灸で陣痛付けしまくり100個位炊いてたかもしれないくらい兎に角凄くモクモク煙がしまくりなくらい助産師さん(野村さん)がとても頑張ってくれました。そして中々進まなかったのでスクワット、少し歩く、階段上り下りの繰り返し、何か息みたくなり息みまくったら何やらボールみたいな固くてボヨンとするモノが有りました。『それを待ってたのよ~!』と言われて何が何だか分からず出産がいよいよ本格的に近づいてきました。

おにぎり食べまくり、水も5リットル飲んでたのかもしれません。あまりの暑さに水をがば飲みしないと耐えられなかったのとカズさんがずっとうちわで扇いでくれました。でも中々それからも一向に進まなくてこれ程難航するなんて思ってもみなかったので少しずつ心が折れそうな私を皆が叱咤激励して一緒に頑張ってくれました。

やっと産道まで下りてきて今度は腰が激痛『痛っ』『痛っ』『痛っ』『こ、こ、こ、腰が、腰が、…腰、腰、腰』と腰を連呼しまくりで泣きそうになりカズさんと野村さんが腰をずっとマッサージ、凄く有り難い気持ちでいっぱいになりました。その後息む姿勢を全然考えてなくて何がいいのかその場で模索しないといけなくなり色々試して落ち着いたのが後ろからカズさんに脇から手を入れてガシッと捕まれて私はカズさんを座椅子のようにもたれかかりの姿勢に落ち着きました。そして破水しなかったので尿も溜まりまくりでそれが邪魔して出なかったので初めてのカテーテルで尿を出すということになりました。

やっと頭が見えてきて『頭が出てますよ、触ってみてください』と言われて触ると確かに何やらモサモサしているのがはっきり分かり赤ちゃんの髪ってこんなにモサモサしているんだって感じでもっと息むの頑張らなくちゃって感じになりました。

そして『力水よ』と言われて何度水を飲んだかさっぱり思い出せないほど飲み、野村さんがアシストして赤ちゃんの頭を引っ張りながら私も目を見開き息を必死で止めまくりこれでもかこれでもかと言う位息むのを繰り返し、中々それも進まず寝落ちして気付いたときには夢を見てJR南武線の川崎行きに乗っていて川崎にたどり着く前に陣痛で起こされ息み、寝落ちしてまた川崎にたどり着く前に陣痛、寝落ちして川崎にたどり着く前にまた陣痛をずっと繰り返し中々上手くいかず、院長先生にバトンタッチして貰いそれからは凄く進みました。もちろん野村さんもかなり頑張ってくれました。でも院長先生のアシストはかなり凄くて私の力不足がハッキリするくらいヤバイ私負けそうと思うくらいグイグイにアシストしてくれてまず真っ直ぐ下に、次に右から下にと車で例えるとマニュアル車のように色々ギアチェンジしている間隔がずっとあって下に、右からまた下にと息む、ギアチェンジ、息む、ギアチェンジを繰り返しまたハアハアとかなり時間だけが過ぎていきました。

破水もして色が少し緑色に濁ってたみたいでモニターの心音は大丈夫だったのですが『このままだともしかしたら赤ちゃんが危ない』と言われて凄くショックでした。

そんな心配一ミリも感じなかったので実際の出産のイメージが全く想像を絶してました。院長先生から『赤ちゃんはお母さんのお腹が気持ち良すぎて離れたくないと思ってるの。でも今出さないといけないという想いで頑張りましょう』と何度院長先生に励まされたか分からないくらい思い出せないほど息んで院長先生をガン見してにらみつける感じでかなり必死でやっと出た時はホッとしました。その時に『目にアザがあるね』と聞かされ、性別も産まれるまで特に気にしてなかったので『女の子です』と言われた瞬間、『さくらにしよう』と言いました。

一度鳴き声が聞こえたかと思ったら鳴かなくなりました。そしてすぐ院長先生と助産師さんが酸素ボンベで色々して私も死んで欲しくなくて必死に『頑張れ』と赤ちゃんにずっと言い続けました。神様にも何度祈ったか思い出せません。

やっと鳴き声がまた聞こえて皆で本当に安堵しました。出てきた後はへその緒を付けたまま暫く私の胸に赤ちゃんを置きました。そしてへその緒をカズさんが切ってくれました。

サチュレーションもモニターも付けることになり、その前に『出て来たご褒美にお母さんのおっぱい吸おうね』と水野さんが私のおっぱいに赤ちゃんを近付けて初めておっぱいを吸って貰ったときはとても感無量でやっと出産が終わったんだって感じでした。

なのでその後の会陰の痛みなんて全く感じず寝不足気味だったので赤ちゃんを預かって貰い私達はよく寝ることが出来ました。

その後はひたすらオムツ交換、おっぱいの繰り返しで子育ての大変さなんて想像してなかったので自宅出産後の後のことなんて考えてなかったのです。

なので最初は色々有り助産院で産まれて本当に恵まれてました。もし自宅に帰って自宅出産していたら酸素ボンベもなければ何もないので赤ちゃんの命が危険に晒されていたかもしれなかったと思うとかなりゾッとしました。そして私自身も出血が多量だったので途中止まらなければもう緊急搬送になるところでした。でもギリギリまで院長先生は私達の想いである自然出産を叶えてあげたくて『それだけはと思った。もし葵さんが弱音を吐くようなことがあれば迷わずすぐ緊急搬送だった。あなたはバイタリティがあるね。それが凄い』と褒められました。

心が折れまくりの出産だったけどカズさん始め院長先生、水野さん、野村さんに励まされてなかったら多分気力も持たなかったかもしれないと思いました。そしてカズさんがいつも言ってたスクワットの大切さにも凄い気付かされた出産でした。

色々痛みが引かず会陰の痛さで歩けなくなりカズさんの肩につかまり、咲紅楽ちゃんをカズさんが抱っこして、まるでRPGのようにカズさん勇者、私、魔法使いみたいになってました。(笑)

その後は会陰の痛さはアロマ湿布という助産院のオリジナルの湿布でかなり激減、最後の退院前にヨモギ蒸しをする事で痛みの治りが良くなると言われて本当に色々教わり至れり尽くせりでした。

帰りのタクシーは全く足が上がらず上り下りに苦労したり、階段上りもかなり辛かったです。

その後の育児は家で早速実践。全く助産院のように上手くいかず、おっぱいで苦労して心配してくれて次の日荒木さんがおっぱいについて色々教えてくれました。その他にも乳首の痛み、乳腺炎の痛み、月賦の仕方が分からないと色々壁がありましたが何とかカズさんに叱咤激励、飴と鞭打ちまくりでかなり心が折れまくりの毎日でしたが100日という節目を迎える事が出来てとても嬉しかったです✨

本当にカズさんには感謝いっぱいです✨

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