ツイてない、もいいじゃないか
ツイてない、フリーライターのaoikaraです。
夜中にお腹をこわし、朝からスマホがかたまり、レンジで温めたら熱すぎてヤケドしかけて、昨日領収書を受け取り損ねたことを思い出した。なんだか全体的にツイてない。
ツイているとか、ツイていないとか、つまりは運。自分ではどうしようもないもの。果たして本当にそうなんだろうか。
お腹をこわした原因はわからないけど、ここ1、2週間は好きなものを自分勝手に食べて胃腸を酷使していたし、そのツケがやったきたといえなくもない。
スマホがかたまっているのは使いすぎているから。レンジで温めすぎたのは設定ミス。領収書を受け取り損ねたのは不注意。原因はどこでもなく、自分にある。
と、全ての失敗を自分のせいだと自覚したらさすがに凹む。とはいえ誰かのせいにするのは嫌だ。だから運のせいにする。そして「ツイてない」というのかもしれない。
でも、きっと本当に「ツイてない」ときだってある。朝はピーカン、降水確率も0%なのにどしゃ降りでびしょ濡れになる、とか。自分ではどうしようもできないし、これは本当に「ツイてない」。
だけど、「だったら折りたたみ傘を持てばいい」なんて反論も出てくるかもしれない。誰かから言われるわけではなく、自分の中でね。だったら、リスクに備えてできる限りのことはしていなかった、とはいえる。
なんて言い始めたら、世の中から「ツイてない」という言葉は消えてしまう。きっと、自分の責任が1ミリもない、なんてことの方が珍しい。絶対的に自分が悪くはないけれど、自分ができることはなかったか、といわれるとゼロではないことが多くて。
それが自己責任ってやつで。でも、落ち込んでしまうようなことも、「それは自分が悪いんでしょ」と思い続けると心が折れる。責任を探したらキリがない。だってゼロではないのだから。だからといって「全部自分のせい」なわけでもない。
だから「ツイてない」って、自分にも誰かにも、責任という重たさを取り除けるやさしい言葉なんじゃないかと思う。もちろん、原因があれば考えたり、次はもう大変な思いをしないように改善したりも大切だけど。
ツイてなかった。ちょっといいこと続けてみて、今度はツイていたらいいな。
2021年10月11日(月)
No.1022