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【連載小説】口裂け喫茶①

 いかにも「昭和レトロ」という言葉がお似合いな重厚感のある扉を開けると、扉はカランカランと音をたて、煙草の煙とコーヒーの香りが一気に鼻に突き抜けてくる。
「おかえりなさいませ。今日は随分遅かったですね」
「なぁにいつもの残業だよ。まったく、疲労困憊だ。コーヒーを一杯、それからシベリアと、それから……切れそうだな。ショートピースをひと箱おくれ」
「はいよ」
 ここは今どき珍しい喫茶店だ。昔は煙草専門店だったらしいが、マスターが喫茶店もやりたいと一念発起して始めた店らしい。
 元が煙草専門店だった名残がしっかり残っており、店内でタバコを買うことができる上に、令和の世では珍しく、コーヒーを飲みながら、あるいは軽食を取りながら煙草を吸うことができる一昔前の喫茶店を彷彿とさせる店構えだ。
「はい、ショートピースとシベリアね。コーヒーはもう少々お待ちを」
「どうですマスター、繁盛してますか」
 私は自分が持っていたショートピースをふかしながら店長に絡む。
「えぇおかげさまで。この時間になると、サラリーマンの方で大盛況ですよ」
 周囲を見渡すと、確かにスーツを着た男どもが煙草をふかしながら談笑していた。
 しかし、一席だけ、なにやらスーツも着ていない。なんなら煙草も吸っていない子どもがカウンターの席にポツンと座っていた。
「マスター、あの子どもは一体なんです」
「あぁあの子ですか。あの子はここで親の帰りをずっと待ってるんです。私も気の毒でね、プリンくらいならサービスできるんだけど」
「そうか」
 私は何度かこの店に通っていたが、その子どもとは初対面だった。
 煙草の煙に包まれた子どもは、眉間にしわを寄せて苦しそうな顔をしている。
「はい、コーヒーお待ちどうさま」
「マスター、あの子にシベリアとオレンジジュースを。俺のおごりで」
「わかりました」
 こんな煙に包まれた中でいるだけでもつらいだろうに、なにも飲まず食わすというのも気の毒だ。親が何時に帰ってくるのかは分からないが、気休め程度にはなるだろう。
 ――ショートピースを吸いながらコーヒーを飲んでいると、先ほどの子どもが私の元へとぼとぼと歩いて来て「あの、ありがとうございました」と言った。私は「礼なんていいよ。君も大変だね」と言うと、子どもはどこか申し訳なさそうに頷いた。
「親御さんは、何時くらいに帰ってくるの?」
 私が子どもに聞くと子どもは少し考えて「十一時くらいには」と答えた。
「十一時って、あと一時間はあるじゃないか。その間、君はずっと座って待っているのかい?」
 私がそう聞くと、子どもはまた少し考えて「は、はい」と相槌を打った。
「それは可哀想に。よかったらおじさんの隣に来ないかい? 一緒にお話ししようよ」
「え、でも、いいんですか」
「もちろん。君が隣にいる間は煙草も吸わないし、安心して隣においで」
 私がそう言うと、子どもは笑顔になって私の隣に座った。
 マスターは気を利かせて、子どもが食べかけだったシベリアと、飲みかけだったオレンジジュースを子どもの席へ運んでくれた。
「あ、えっと、私、葵っていいます」
「葵ちゃんか、素敵な名前だね。俺は拓哉。よろしくね」
「よろしくお願いします」
 簡単な自己紹介を済ませた後、しばらく二人とも沈黙を貫いていたが葵ちゃんがこんな話を切り出した。
「拓哉さんは、口裂け女って信じていますか」
 あまりに突拍子もない話に驚いたが、そこは素直に「昔は信じていたな。口裂け女がどうかしたのかい?」と聞き返した。
「こんなこと、初対面のお兄さんに言っても信じてもらえないかもしれないんですけど、私のお母さんは口裂け女なんです」
 思わず飲みかけのコーヒーをぶちまけそうになった。
「葵ちゃん、いくら初対面のおじさんでもからかっちゃいけないよ。口裂け女なんてこの世にいるわけないじゃないか」
「やっぱり、信じていただけませんよね」
 葵ちゃんはしょんぼりとした様子で顔をうずくくめた。
「じゃあなんだい、仕事っていうのは、口裂け女としての活動のことなのかい?」
「えっと、そうなります」
 そんな話をしていると、カランカランと扉が開く音がした。ふと振り返るとマスクをした女性が立っている。
「葵、遅くなってごめんね。帰りましょうか」
 マスクをした女性はそう言った。どうやら葵ちゃんのお母さんらしい。
「マスターすみません、いつもいつもここで待たせてもらっちゃって」
「いいんですよ、気にしないでください」
「それじゃあ葵、帰りましょうね」
 葵ちゃんは、お母さんに手を引かれ、そのまま暗い夜道へ消えていった。
 口裂け女か……一体なんだったんだろう。
「マスター、話聞いてたかい?」
「えぇまぁ少しですが。口裂け女でしょ」
「マスターはいると思いますか、口裂け女」
「さぁどうでしょう。妖怪変化は実はいくらでもいるんじゃないかと私は思いますがね」
「そんなもんかなぁ」
 私はショートピースをふかした。

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