ジャパリパークは動物ファーストの場所ではなかったかもしれないという話
先日、アプリ・アーケード連携型のゲーム『けものフレンズ3』アプリ版の新ストーリームービーカットが公開された。
その映像のなかにひっかかる点があった。それは、私がかねてから抱いている疑念、すなわち、「ジャパリパークはそもそものはじめから“動物ファースト”な施設ではなかったのではないか」という疑念を補強するものであった。よい機会なので、今日はそのことについて書く。
映像のなかでは、作品の舞台となる動物園、ジャパリパークの建設された島が、“観測史上前例のない早さで”形成されたことが明言されている。私はそこにひっかかった。
そんな貴重な島に、動物園なんか作るだろうか、と。
西之島の新島やアイスランドのスルツェイ島などのように、島の誕生を人類が観測できる機会は非常に貴重である。新しく誕生した海洋島は、生物がどのようにその島にたどり着き、まったくの荒地からどのように植生が発達し、生態系が築かれていくかを観察し、現在の地球の生態系がどのように形成されたのかを推測するための、このうえない舞台となるからだ。だからたいていの科学者は、その島を手付かずで保全することを要求するし、まともな政府はその要求を飲む。たとえばスルツェイ島は、誕生から2年後の1965年にはアイスランド政府から聖域宣言が出され入島規制がかけられており、現在は世界自然遺産に指定されている。
ジャパリパークの建設された島が、観測史上前例のない早さであれほどの規模になったのなら、開発しようという声が保全しようという声に勝ることなど、現代の常識ではありえない。ましてサンドスター(あるいはセルリウム)のような未知の物質さえ認められるのだ。間違いなく特別保護区とされ、研究目的以外の上陸は禁止されたはずだ。誰だって見たいはずだ。ヒトの干渉がないところで、サンドスターが、どのように生態系を構築していくのかということを。ひょっとしたらそれが、世界的な生態系の荒廃や気候変動を緩和するヒントになるかもしれないのだから。それに比べれば、「世界中の動物が見られる動物園」などにたいした価値はない。
しかし、「けものフレンズ」の世界ではそうはならなかった。どういうわけか、世界中の動物を集めた動物園が、そこに建造されてしまうことになった。在来の生態系を潰し、世界中から集めてきた外来種を放つ、正気の沙汰とは思えない選択がなされることとなった。
この島が自然発生したものだとすれば、考えられる理由は、大きく分けて2つある。
ひとつは、生まれたばかりの海洋島のまだ貧弱な生態系などかまっていられないくらい、地球全体の環境が荒廃してしまっていたという可能性である。ノアの箱船の作らなければならないほど、絶望的に生態系が破壊されてしまっていたならば、突如として誕生した、サンドスターによって外界の影響から隔離されているその島に、世界中の生物を集めようとしてもおかしくはない。
しかし、この場合、なぜそこを動物園というレジャー施設として開放することにしたのか、という点に説明がつかない。
世界中の動物をひとつの海洋島(正確には群島)に集めるなどということは、いち私企業や自治体レベルでできることではない。国家レベルでも難しい。そんな大掛かりなプロジェクトは、国連レベルでないと動かせない。となれば、予算も潤沢に拠出されるはずで、レジャー施設としての入園料で維持費を賄うなんてことは不要である。また、そんなことをしなければならないような地球環境に直面していたら、レジャー施設を作ろう、行こう、なんて発想にはならないだろう。緊急避難的な種の保存のためにパークが作られたなら、そこはやはり、一般人の上陸を規制した擬似保護区として運営されたはずだ。100歩譲って、マサイマラなどのように観光客を入れることにしたとしても、観覧車なんか作らないだろう。
だから、この可能性はかなり低いといえる。
となると、残る可能性はひとつである。貴重な島に動物園を作る計画が通ってしまうくらい、その時点での「けものフレンズ」の世界の人間たちは、全世界的に生態系のことがどうでもよかったという可能性だ。
世界中の動物たちを、鯨類にいたるまで全部集めて、ひとところに展示する。それは現代的な動物園以前の、中世の動物コレクションや近世のメナジェリーの発想に近い。娯楽の対象にするにせよ科学的探求の対象にするにせよ、自分たちの知的好奇心の充足のみを目的とした人間本位の施設として、ジャパリパークはスタートしたのかもしれない。そのような計画が通ってしまうほど人類の倫理観が退化していたか、あるいは、そのような計画を止められないほど、世界全体がアナーキーになってしまっていたのかもしれない。それならば、筋は通る。ジャパリパークは、動物ファーストの施設ではなかったのだ。
現代の動物園も、そのルーツは仄暗い。種の保存、環境教育、科学研究といった意義が確立されてきたのはほんとうに最近のことだ。今、世界動物園水族館協会に加盟できているような施設にだって、コンゴの森で暮らしていたところを無理矢理捕まえられてきたニシゴリラがまだ生きている。現代的な動物園の歴史は、ゴリラの寿命よりも浅い、ということだ。ジャパリパークが同じように仄暗い歴史を持っていたとしてもおかしくはない。
ジャパリパークが海洋群島をまるっと敷地にしているという設定を知った当初から、この疑念はずっと脳裏をちらついていた。西之島に限らず小笠原諸島全体の生態系が保全の対象となっているように、海洋島の独特な生態系は極めて貴重なもので、おいそれと壊していいものではないからだ。今回の映像の情報によって、この疑念はより強化されることになってしまった(ひょっとしたらはじめからそういう設定が明かされていたのかもしれないけれど、私は知らなかった)。登場した金髪少女の発した「ノアの箱船」は、皮肉のように響かないこともない。
もちろん、この結論は、私自身受け入れ難いものでもある。だって、ミライやカコが、好き好んでそんなところに就職するとは思えないから。この結論を受け入れることは、彼女たちの人間性を一部否定することになってしまう。
けれど、ほかの可能性は、いまのところ思いつかないのだ。
さっき、「この島が自然発生したものだとすれば」と書いたけれど、この仮定をなくしてみることはできる。
島で発生するセルリウムやサンドスターは、これまでの作品での描写から、ヒトの思いを反映することがわかっている。というか、純粋な自然物と捉えるには、あまりにヒトに干渉しすぎている。エマージングウイルスが続々出てくるのは人類の活動に対する地球の自浄作用だみたいなオカルトじみた話を聞くことがあるけれど、地球に意思があるとして、ヒトや現代の生態系だけを特別視する理由はない。生物が隕石に吹き飛ばされるのも、核に吹き飛ばされるのも地球にとっては同じこと。ああ、またたくさん生物が死んでいったなぁ、次はどんなやつが出てくるかなぁ、と思うくらいだろう。人類に滅ぼされる生物はかわいそうで、シアノバクテリアに滅ぼされた嫌気性生物はかわいそうではなかったなんてことがあるだろうか。サンドスターほどにヒトを特別視する存在は、宇宙広しといえどもヒト自身以外にはいない。とすれば、セルリウムやサンドスターそれ自体が、人工物である可能性はある。ならば、それを吹き出す島全体がまるっと人工物と考えることもできだろう。「観測史上前例のない早さ」という言葉には、「実は自然物じゃない」という含みがあるのでは、とも思える。
そうだとしても、「そんなもん作って海洋生態系に影響はないのかよ?」というツッコミはあるだろうけれど、自然発生した海洋島を動物園にしてしまうよりは、いくぶん通りやすいのではないか、とは思う。
ただ、ジャパリーパークが人工島であることが知れ渡っているなら、わざわざ「自然発生したことにはなってるけどね」のような含みを持つ発言はそもそも出てこないと思われる。逆に世間には自然発生したと思われているなら、「貴重な島を開発するのか」と結局バッシングを受けることになるはずだ。島の成り立ちについての発言が、人工島であることと整合しない。ただ海洋島に作られたんだよという情報だけならば人工島の可能性もありえたと思うのだけれど、今回の映像によって、その可能性も潰えてしまっているのである。
だから結局のところ、冒頭の疑念に帰着せざるをえない。
ジャパリパークはもともとそれほどクリーンではない成り立ちで、今回新登場した人物はそれを敵視する環境テロリストみたいな立場なのかもしれない。私はそんなふうに思ってしまっている。
できればほかの可能性が、作中で明らかになればいいのだけれど。
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